第324話 闇に堕ちるもの。その2
「カ、カグヤ…」
ふわり…。
闇精霊のカグヤが宙に浮いている。
「…闇精霊は主に物理作用より、精神作用への干渉を得意としています。フィロス姉様を傷つける事無く無力化させたのも彼女の力でしょう」
隣からシルフィさんの声が聞こえた。
「怪我とかはしてないって事ですか?」
「おそらく…」
「そうですか…、それなら…」
そう呟いているとすーっとカグヤが僕に近づいてきて僕の目の前で止まる。
「……………」
ここ異世界では言葉を音に出して発せないと言われている闇精霊の彼女は僕の目の前で何かを伝えるように唇を動かした。それはそれはゆっくりと、僕を見つめながら。
「寝てるだけ…?」
くすっ…、カグヤは一つ微笑むと僕のシャツの胸ポケットに入った。まるで自分の役目は果たした、そんな感じすらする。
「ゲンタさんは精霊の声が聞こえるのですか?」
シルフィさんが問うてきた。
「いえ、僕には精霊の声というのは聞こえません。だけど、カグヤが僕の目の前で声には出さなかったのですが、唇の動きで伝えてくれました」
僕は先程の…目の前で一音ずつ五回唇を動かしてみせたカグヤの仕草を思い出す。
「…そう、ですか…」
そんなやりとりをしているとフィロスさんの意識が戻ったようだ。
「わた…しは…?」
どうやらフィロスさんには何があったかつい先程の記憶は無いようだ。ロヒューメさんたちがかいつまんで先程の状況を説明する。
「ええっ!?わ、私がそんな事を…」
「うん、お姉ちゃん凄く怖かったんだよ。私たち誰も….ううん!この町ごと誰一人助からないと思った」
シルフィさんも。セフィラさんたち五人も卓越した魔法の使い手である。その全員が口を揃えてあの時の魔法を行使しようとしたセフィラさんに戦慄を覚えたという。
「二重平行詠唱をするだけでも出来る人は限られます。それをあんな獄炎災厄なんていう誰も発動出来ないような魔法を制御しながらなおかつ別系統の精霊魔法を二つ同時に…三重平行詠唱をしてみせるなんて…」
「そんなに凄い事なんですか?」
魔法について無知な僕はとりあえず質問いてみた。
「凄いなんてもんじゃないよ〜!」
ロヒューメさんが両手を上げてアピールする。
「そもそも長い間、誰も使えなかったから途絶えてしまった獄炎災厄の魔法は遺失魔法と言われてきました。それを使えるというだけで大変な事です。かつての偉大な魔法を取り戻すに至ったのですから。それだけでも偉業と言えるでしょう」
「しかも、そんな超高難度の魔法を詠唱しながら、同時に火と風の精霊の力を行使…。それも極大化させながら…。そんなの出来る訳ない!私たちの里の長老にだって無理な事だよ!」
現代では使い手がいなくなってしまった超高度の大魔法をコントロールしながら、別系統の魔法をさらに二つか…。
「それだけフィロスさんの魔術士としての実力が凄いって事なんですね」
「町滅亡の危機でしたが、魔法史に残る偉業の一端を垣間見えたと思えば…」
僕らはそう言ったのだが…。
「い、いえ…。わ、私にも何がなんだか…。そもそも獄炎災厄の魔法は研究こそしていましたが、高度すぎて私の実力ではとても発動させる事は出来ませんでした…。そ、それなのに…」
「「「「「え?」」」」」
その場にいたフィロスさん以外のエルフの人たちがそんな声を洩らした。
「どうしてそんな事が出来たのか…、私にもさっぱり分からないんです…」
フィロスさんのそんな言葉に僕たちはただ戸惑うばかりだった。
……………。
………。
…。
ギルドでの騒動はとりあえずギルドマスターのグライトさんの預かり案件となった。一歩間違えば大惨事どころの騒ぎじゃなかった訳だし…。しかし、一方で偶然なのかも知れないけど古代の偉大な魔法が復活するかも知れないという偉業が達成されたかも知れない。
そこでグライトさんは僕たち以外に人がいなかった事、シルフィさんやセフィラさんたちがなんとか重い処分だけはご勘弁して下さいと嘆願したり、僕たちも被害は無かったのであえて騒ぎ立てる必要もないと判断、いきなりなんらかの処分という事にはせずひとまず保留となった。
「ああ…、なんだか色々あった一日だったなあ…」
夕方、周辺スーパーでの買い出しから自宅に戻り僕は思わず独り言。やはり今日も菓子パンにせよ調理パンにせよ品薄で十分な数を入手する事が出来なかった。そこで僕は早々に見切りをつけ、昼過ぎにあらかじめマオンさんにパン作りを依頼しておいた。それは以前に1キロ78円で投げ売りされていた強力粉。とある激安を喧伝するディスカウントショップで投げ売りされていたのを買い占めるが如く大量買いしたものだ。
それを使って固くない、柔らかなふっくらとしたパン…コッペパンのような形状のものを作ってもらうようにマオンさんにお願いした。せめてもの罪滅ぼしか、フィロスさんやセフィラさんたちも手伝ってくれるらしい。
「僕はそれ以外の用意をしておきますので」
そう言ってすぐさま日本に戻り、僕は買い物を再開したという訳だ。買ってきたものを整理し明日の朝に備える。その間にカグヤが布団を敷いてくれていた。うん、横に並べてとはいえちゃんと二組の布団が敷いてある。明日の朝も早いし忙しくなるだろう、そう思ったので早く寝ようとした時の事…。
「ねえ…」
僕が自分の布団に入ろうとするとカグヤが声をかけてきた。
「ん?どうしたの」
僕が応じるとカグヤが鼻と鼻が触れ合うくらいに顔を近づけてきた。思わぬカグヤの行動に僕はどきりとする。
「ゲンタ…。私に…何か言う事あるよね…?」
至近距離で僕をまっすぐに見つめながらカグヤはそんな事を言う。あ、助けてくれたお礼をちゃんと言えてなかった…。
「う、うん。カグヤのおかげで助かったよ。ありが…」
「違うよ…」
話の途中でカグヤが否定した。どういう事だろう?
「ゲンタ…、私がフィロスを止めた時…何してた?」
すっ…。
指だろうか、不意に僕の唇に指が当てられる。そのせいで僕は声を発する事が出来ない。
「ねえ…?抱き合ってたよね…、シルフィと…。私が助けようとしてる時に…」
カグヤは僕の唇に添えた指を離し抱きついてくる。
「許さない…。ふふ…」
にこ…。そう言って彼女は静かな微笑みを浮かべた。