第323話 闇に堕ちるもの。その1
その瞳は狂った色をしていた。
これは何もかもが厭になったフィロスさんが、復活させた遺失魔法『獄炎災厄』を行使するに至った時の表情を見た時の偽らざる感想である。
この魔法は地獄の業火という言葉でも生ぬるいような炎と、魔王ですらどうにも手が出せないような災厄…具体的には飲み込まれたら何もかも根こそぎ奪われて塵一つ残らないような竜巻や大嵐のようなものが合わさったような魔法であるらしい。
火と風が合わされば火勢が強くなるのは自明の理だが、その規模たるや想像もつかない。さらにはその魔法だけでなく、フィロスさんは精霊魔法を用いて極限まで高めた火と風の精霊の力を上乗せしようとした。後に聞いた話だが、別系統の魔法を合成させるような発動はそれぞれの魔法の威力を別々に放った時に比べて倍以上…、それこそ三倍にも四倍にもするらしい。獄炎災厄の魔法はこの町一つくらいなら苦もなく焼け野原となるらしい。その何倍にもなるのなら…。間違いない、町の周りの森林とか全部無くなりそう…。炸裂したら地形とかまで変わってしまいそうだ…。そう、炸裂すれば…。
□
「獄炎災厄ッ!!!!」
「ミーン冒険者ギルドに…、栄光あれーッ!!!!」
フィロスさんとグライトさん、二人の声が同時に響く少し前…。他の人たちもまた動いていた。
ぐいっ!!
僕は後ろに引っ張られた。
代わりにそれまで僕がいた所には鉄の板金鎧を着込んだ後ろ姿、2メートルはあろうかという体躯。ナジナさんがいた。同じように右隣のマオンさんの前にもウォズマさんが飛び出してきている。彼から魔法を唱えたフィロスさんまで距離があり過ぎる。ゆえに彼ら二人はフィロスさんを抑える事を諦め僕たちの盾となる事を選択したのだろう。僕たちを護衛る、その依頼を果たす為に…。
そこにさらにもう一つ飛び込んで来るものがあった。
(シルフィさんッ!?)
彼女もまた僕を守る選択肢をしたようだ。フィロスさんを止めるように動く選択肢もあるが詠唱は完了している。後になって考えてみれば何らかの手立てでフィロスさんを止める事が出来たにしても、魔法が放たれてしまえば僕らは無事には済まないだろう。
シルフィさんが僕に飛び込み、背中にその腕を回す。彼女は僕の盾となる事を選んだようだった。フィロスさんの魔法、それを自らの背で受けてでも僕を守ろうというのだろう。気がつけば僕はシルフィさんの背に手を回していた。そんなシルフィさんがたまらなく愛しくてなる、まるで照明を点ける為のスイッチだ。一瞬で彼女への気持ちに火が灯る。
(最後まで、あなたと共に!)
僕はシルフィさんを抱き寄せフィロスさんから少しでも横を向くように体を捻った。シルフィさんだけを盾になんかしたくない。そんな思いからだった。
……………。
………。
…。
「うっ…」
そんな声が聞こえた。女性のものだった。
いつの間にか僕は目を閉じていたのだろう、再び目を開けると冒険者ギルドの中は先程と変わらず存在した。何かが焼けたような様子はない。僕の目の前に盾となって立ちはだかるナジナさんの背はいつものように頼もしい。
来るであろう獄炎災厄の魔法の衝撃が来ないので(そもそもそんなものを食らって生きていられるかは甚だ疑問だけど)、僕はナジナさんの横からひょいと顔を出し様子を窺った。そこには対峙するような形でフィロスさんとグライトさんがいた。
フィロスさんはこちらに向けて先程と同じく右掌を突き出し魔法を放たんとする姿勢。一方、グライトさんはこちらに背を向け、体を大の字に広げ魔法を防ぐ壁の如く立ちはだかっている。
次の瞬間、ふっと力が抜けたような感じでフィロスさんの体がかくんと崩れ落ちる。膝が床につき、その体が横に崩れそうになる。
「お姉ちゃん!!」
ロヒューメさんが駆け寄り、その体を支えた。他のエルフの姉弟たちも向かった。
「お、おい…。どうした、急に…」
ナジナさんが戸惑いながら尋ねた。
「意識を失ったのか…?」
ウォズマさんが応じた。
助かった事のか…、そんな安心感から僕はシルフィさんを抱く手の力を緩めた。咄嗟の事とは言え思い切った事をしたものだ。お互い気恥ずかしかったのだろう、すぐに体を離した。一瞬、視線が合うがそれも互いに俯く事で逸らしてしまう。
「フィ、フィロスさんを…」
「え、ええ」
「でも、なんで魔法も撃たないまま…?」
「…あ、あれは…」
「えっ!?」
驚いた様子でシルフィさんが見つめる先はフィロスさんの頭上。
ふわり…。
闇精霊、カグヤが静かに浮かんでいた。