第317話 それは苦くない、甘い恋。
突然、顔を覆い泣き出してしまったように見えるシルフィさん。僕はと言えばどうしたものかとオロオロするばかり。それでも訳を聞こうと意を決して口を開いた。
「シ、シルフィさん…。僕、何かマズい事とか…いけない事を言ってしまったりしたんでしょうか?」
肩を震わせる彼女はどんな応答をするのか…、ただただ不安がつきまとう。
「う、嬉しいんです…。願っていた事が叶って…」
「えっ?」
意外な言葉に僕は呆けた声で聞き返した。
……………。
………。
…。
「私たちエルフは森と共にある種族です」
落ち着いたシルフィさんがいつものように冷静さを取り戻し話し始めた。しかし、その冷静で知的な口調にも今は少し熱を帯びたものを感じる。
「一つの森の中に里を作り、同胞たちと暮らします。血のつながりは無くとも一つの家族のように…。例えばフィロス姉様のように年長者を兄や姉と呼び、セフィラたち歳下の者たちを弟や妹と呼ぶのはそういった慣しがあるからです」
どうやら彼女たちエルフ族は一つの里の中の関係を疑似家族のように捉えているらしい。住居などはさすがに血族だけで住むようだが、森や里の中ではその部族は一つの大家族のように位置付けられている。
「森で採れる恵み…例えば果実などは里で暮らす同胞と共有し、自然と精霊たちを友に日々暮らしています。それこそ百年、二百年と…」
エルフ族の寿命はおよそ八百年から一千年、ちなみにこの異世界で人族は五十年ほど。長命な種族とされるドワーフ族でさえおよそ二百年、エルフ族の視点や価値観はとかく長期間を基準としたもので俯瞰的かつ大局的だ。
そういっだエルフ独特の観点で見ると、人族などの行動は性急にして短絡的にも映ると言う。しかし、言い換えれば変化に富み情熱的とも言える。そんな中、シルフィさんは里の外の世界を見たいと旅に出たのだと言う。ちなみにフィロスさんが旅に出た理由は聞いていないが、セフィラさんたちはシルフィさんの後を追って来たと言っていたらしい。
「森の恵み…、それを分け合って食す事…。それは私たちエルフにとって最高に近しき関係であり親愛の証でもあります。と、特に…その…」
冷静な口調のシルフィさんだが急にしどろもどろになりだした。なんと言うか…、挙動不審?
「そ、その…。あ、相手の…く、口に食べ物を運ぶ…と言うのは…幼い我が子に食事を与えるような…特に親しい間柄のものなんです。…そ、それが…と、年頃の男女間の事となれば…その…余程し、親しいと言うか…ふ、夫婦とか…こ、恋人と言うか…」
色白なシルフィさん、分かりやすいくらいに顔が真っ赤だ。で、でも、夫婦?恋人?それはなんとも…。
「わ、私は…あなたを受け入れました。ゲ、ゲンタさん…。も、もう一つ、先程の『血誉呼礼闘』はありますか?」
「は、はい」
僕は間近で見つめてくるシルフィさんにドキドキしながら言われるままに一口サイズのホワイトチョコを手渡した。
「ゲ、ゲンタさん…」
そう言ってシルフィさんは銀紙を剥いたホワイトチョコを指先に掴んで僕の口元へ…。こ、これは…アレか?食べたらOKサイン的な事になるのかッ!?
どうする、どーすんのよ、僕は。どう返事する?
こ、これは大事な選択だぞ。…三秒考えさせてくれ。
…3、…2、…1。
ぱくっ。
思案、ノータイムでした。
差し出されたチョコを唇で受け止める。その時に微かにシルフィさんの指先の感触を感じた。だって、メガネ美人エルフさんですよ。地球じゃありえない美貌なんですよ。それに…、素敵だし…。
「…ふふっ」
口の中でとろける甘み、シルフィさんは僕を見ながら小さく笑って身を寄せて来た。穏やかな月が僕たちを優しく照らしていた。
□
さすがにギルドの裏通りでずっと寄り添っているのもなんだか間の抜けた話なので僕たちはその場所を離れた。
ブンッ!!…ばっ!
「これがシルフィさんの『光速』の瞬間移動…」
町の西外れに辿り着いた僕たちは、ぎこちなく手をつないだ。そして次の瞬間には町の境界でもある柵の外へ。町の西側から南へと沿うように流れる川の滸にいた。
日本の清流とは異なり、ゆったりと流れるこの川は澄んだ水面ではなく土の色が混じり濁りがある。昼間ならそれが目につくかも知れないが今ここで宵闇を照らすのは足元を見るには頼りない月明かりのみ。だけど今は…その頼りなさが良かった。色白なシルフィさんだけを照らしてくれる、他のものが気にならないくらいに。この淡い光は余計なものを隠してしまう、この世界にシルフィさんしかいない…そう思える程に。
敷き物を広げ、僕たちは並んで座った。以前、森の中で二人歩いた時と違うのはやはり距離感だろうか。よう前から彼女は僕に寄り添い、ぎこちなく微かな感触に過ぎないけれど常に接触はしている。
チン…。
僕たちはグラスを合わせた。日本ではそう高価ではないワイングラスもこの世界では高級品であるらしい。華奢なグラスは作る時にも繊細な技術を要する、なんせ全てが手作りだ。熟練工の…それも年に数個作れるレベルのグラスではないかとシルフィさんが感想を洩らす。
一回目の時に比べて少し慣れたのか、シルフィさんは以前ほど我を失うような変化はない。しかし、甘く葡萄の風味が炭酸によって弾けるスパークリングワインは次第にシルフィさんの理性や冷静沈着な部分を少しずつ剥がしていく。
「私…嬉しかったんです…」
うっとりとしたシルフィさんが呟く。
「ゲンタさんが恋に喩えた『血誉呼礼闘』…。それを私に…相応しいと言ってくれて…」
言葉に熱情がまたこもっていく。
「ほろ苦さは大切な人への不安や嫉妬、一人の時の恋煩い…それを取り除いて…。そして生乳については豊穣の証…。そんな『血誉呼礼闘』…、なんの痛みもない幸せで満たしてくれる恋を告げてくれたのかな…と」
「んうっ?」
「恋にも例えた『血誉呼礼闘』…。その恋からほろ苦さを除き、豊穣の生乳は豊かさを…。う、嬉しいです私。ほろ苦さの無い甘い…甘い恋の中に私はいられる…、ほろ苦さなんてない恋の中に…」
そ、そこまで考えてなかった…。
「私…嬉しいです。ゲンタさん…」
とん…。
寄り添うシルフィさんが僕の体にその頭をもたれてきた。
「………」
(うわ…否定しにくい…)
どうやら先程のミルクチョコは余程情熱的な愛のささやきのように思われたらしい。しかし、悪い気はしない、シルフィさんを好きかと問われれば間違いなくその通りなのだから。
(エルフ族の目には人族は情熱的にすら映る…か。そんな事ないですよ…。こうして僕はシルフィさん、あなたの情熱を感じてる。冷静で理知的、そんなあなたが今はこうして…)
「僕も嬉しいですよ、シルフィさん」
そう言って僕は彼女の手に自分の手を重ねた。
人族とエルフ族、地球人と異世界人。色々な違いはある。だけど重なり合った思いはその差を埋める一助になるのではないか…、そんな事を思いながらシルフィさんと二人過ごすのだった。
次回、あの人が動き出す…。
夜それは誰にも知られず、何かが動く時…。次回、第318話、『秘密』。ご期待下さい。