第305話 立派な硬貨(コイン)。
今回、名前だけ出しましたが聖都オウヒンのイメージは横浜です。横浜を音読みにしただけなんですけどね。
「ワイな、よりあんさんが欲しゅうなりましたんや」
ゴクキョウさんは真面目な顔で話し始めた。
「え…?」
僕は思わず聞き返した。
「ああ、別に首に縄つけてでもゲンタはんを商都に連れて帰ろ言う事やないんや。その辺は心配せんでよろしい」
他意は無いとばかりにゴクキョウさんは表情を崩し手を振った。しかし、すぐに表情を戻す。
「ワイな…、考えましたんや。稼業の軸になる商会はしっかりしとるつもりですわ。子らに商都にも王都にも…、せやから後はワイは理想の宿屋作りたいだけなんやわ」
「は、はあ…」
「そこでな、ここミーンで宿屋作れへんかと思うた訳や!」
「ええっ?ミーンで?」
「せや!ドーンとごっついのブチ上げたろ思いましたんや!」
□
いきなりゴクキョウさんが語り始めた宿屋の新規建設計画。大商人、大富豪、どんな言い方が一番正しいのか分からないけど何やら大きな話になっている。
「だ、だけどさ、ゴクキョウの旦那。ここミーンは山里が開けた町だよ。山林が多く肉や皮、後は鉱石が手に入る。逆に平地は少ない、麦はおろか黒麦だって割高だよ?良い建物作ったって出てくるパンがボソボソじゃあ客はガッカリしちまうんじゃないかい?」
「それはワイがなんとかしまひょ!小麦の方は…いや、それ以外の物もや!」
「それだけではないですよ。ゴクキョウさんが理想とする宿屋をやるという事は高級なものになりませんか?」
「まあ、そらなるやろな」
「そうなると泊まる人の懐具合を考えないといけませんよね。ごく普通の旅人では泊まらないでしょうし、お金のある商人とか、貴族とか…そういう人しか泊まれないのでは…」
「その通りや!」
身を前に乗り出しゴクキョウさんがずいっと顔を寄せてくる。
「まずはそこが第一歩や」
「えっ!?」
「いくら良い物吟味して用意しても買われへんかったら意味無しや。そやさかい、まずはそこに気ィ付くんかが大切や」
「は、はあ…」
「そやからこそ、そやからこそやゲンタはん!!」
「えっ?」
「あんさん、今まで誰も思い付かんかったような宿屋…やりまへんか?」
□
テーブルの上には金貨が三枚置かれていた。
「こんな老人の話相手になってくれたお礼や」
そう言ってゴクキョウさんが僕に置いていったものだ。金貨三枚…、日本円で三十万円にもなる。ゴクキョウさんは既に冒険者ギルドを後にしていた。
きらり。
金貨に浮かんだ光沢。誰かがギルドの扉を開けて入ってきたのか、それとも出ていったのか。いずれにせよ外から差し込んだ日の光がギルド内のこのテーブルに届いたのだ。それがゴクキョウさんの姿を再び思い浮かばせる。
……………。
………。
…。
「いや、でも…」
話を聞いただけで金貨三枚なんて受け取れませんよ…そう言おうとしたのだが…。
「良いから取っとき(取っておきなさい)!時間っちゅうんはタダやないんや。あんさんほどのお人、この時間も働いとったら少なくとも銀貨何枚かは稼ぎまっしゃろ」
「え…」
「あんさんに限った話やないんや。誰かてこの時間があれば何かが出来る。煮炊きしてもよろしい、洗濯してもよろしい、働いたかて良えんや。青銅貨一枚の儲けでも得られるんなら立派なモンや!」
「ア、青銅貨の儲けでも立派なのかい、じいさん!アンタみたいな大商人が青銅貨だなんて…」
ナジナさんが驚いたように叫んだ。無理もない、青銅貨とは貧民とか賎民の通貨だと言われてまともな商店なら受け取り拒否と言われているのに…。
「青銅貨も立派な硬貨でっせ!」
ゴクキョウさんが強い口調で言った。
「金銭に大小はあっても優劣はありまへんのや。それに青銅貨かて十枚集まれば白銅貨になる。それが集まって銀片、銀貨になっていくんや。ほしたら次は金貨になるんやで、誰もがありがたがるお金貨様や。小銭と言うなら集めれば良えだけの話や、金銭っちゅうんは青銅貨の一枚でもお宝なんや!」
……………。
………。
…。
理想の宿屋か…。でも、とても出来るとは思えない。この山あいの町で…。ゴクキョウさんほどの人がそれに気づかないとは思えない。だけど…。
テーブルの上の金貨三枚…。
ここにいないはずのゴクキョウさんが何も言わずに僕に問いかけをしているように感じていた。