第三話 遠くに見える町を目指して(実際に歩いた距離、約1.5km)
「結構時間かかったなあ…」
歩き始めた道からここに来るまで三十分はゆうにかかった。今僕がいるのは先程よりも広い道。馬車の車輪の轍だろうか、原付のタイヤと同じくらいの太さの線が真っ直ぐにつながっている。
その先には最初に建物のように見えたもの。それは見張り台がついた門であった。
周りに広がっていた草原は町に近づくにつれ畑になっていく。稲のように真っ直ぐ空に向かって伸びる緑色の茎、その根本は水を張っていないのでこれは田んぼではなく畑だと気付いた。植えられている植物は麦だろうか、そんな事を思いながら歩いた。
門に近付いていくと、その門の左右には柵が伸びて中を囲うようになっている。そしてその柵の外を沿うように川が流れる。おそらくはこの川が周囲の畑を潤すのと同時に町の人の渇きを癒し、そして有事には町を守る堀となるのだろう。
さて、いよいよ門の前。川を渡ろう。
木を横にして組んだ橋はでこぼことしていて下手な地面より足裏に違和感を感じる。
もっとも、人間の足は1センチの段差でも違和感を感じると言うし、表面が滑らかなアスファルトに慣れた僕特有のカルチャーショックなのかも知れない。
門の前には二人、男性が立っていた。
門番とか守衛と言うのだろうか。二人とも槍のような物を持っている。これ、刺されたら死んじゃうぞ…。それに服装も…、色というか無染色の綿だか麻だか分からないけど飾り気のない服に胸当てと手甲や脛当てを着けている。武装した門番さん?だけどこっちは丸腰、武器になりそうな物なんて持ってないし…思わず緊張する。
かと言って、この期に及んで背中を向けて引き返したら怪しまれ捕まるかも知れない。
緊張しながら門まで数歩という所まで近づくと、よく日に焼けた中年の門番が軽く手を上げながら「よう」と声をかけてくる。
薄茶色というか、やっぱり色味のない服装だ。二人とも同じような格好だし、あまりデザインとかしない簡素な服装がこの辺りの流行なのだろうか。
「雨には降られなかったか?それにこの辺りじゃ珍しくだんだんと蒸してきやがった。徒歩だと暑くて大変だったろう」
初対面の時の雑談に天気の話を混ぜるのが良いなんて言うけど、本当だな。何の接点もない武器を持った人を見て緊張していた僕だがおかげでその緊張が若干ほぐれた。
「こんにちは」
と返せるくらいには僕の心が安定したのだった。
□
日本語が通じている。僕も、相手も日本語を喋っている。なぜなんだろう?ここは日本か?
いや、しかしどう見ても目の前の人物は外国人にしか見えない。そしてもう一人の門番は若い、その人もまた同じようにおよそ日本人らしい面相ではなかった。
「運良く雨には降られませんでした、たまたまですかね。蒸してはいますがこのぐらいならなんとか…」
蒸し暑い日本育ちの僕には慣れっこなのだが、このあたりでは違うらしい。むしろ慣れない未舗装の道を時に傘を杖がわりにしながら歩いてきたことの方が大変だった。
「珍しい服装をしているな、こんな服を見た事は俺はないぜ。アンタ、どこから来たんだい?」
若い方の門番が僕の服装を見て声をかけてきた。
なるほど、確かに日本語を話しているが口の動きは合っていない。なんていうか腕の悪い映画の字幕翻訳者が字幕を作ったかのようだ。意味は通じるけど口の動きに合わせていなかのような…。二人と話して感じていたちょっとした違和感の正体が分かり、少しずつ落ち付いてくる。
だけど今はなぜ日本語が話せるかはひとまず置いておこう。今は意思疎通が出来ている、その事が肝心だ。
「これは私が扱う商品でして…。しかし、途中で荷を失ってしまいまして。あと、服は今着ているこれだけが残りました」
「なるほど、服を扱う旅商人か行商のような事をしているのか」
若い門番がうなずきながら中年の門番の方をみる。おそらく一定の理解は得られたのだろう。ここに来るまでに誰何される際に付いてきそうな質問を予想し、回答を用意しておいて良かった。
「よし、問題は無さそうだがくれぐれも面倒は起こさないでくれよ。じゃあ早速だが関賃を頼む、商人なら分かると思うが白銅貨10枚だ」
関賃…、町へと続く門(関)を通る際の入場料とか入場税の事かな。白銅貨10枚、白銅貨10枚と…、僕はお尻のポケットから財布を取り出しお金を取り出そうとしたところである事に気付いた。
あれ?ここの通貨って何だろう?
日本語は通じているけど、日本円で大丈夫なのか?
ヘタに日本の硬貨を出したら偽金を使ったとか言われないかな?その偽金使用の罪とかで逮捕されたりしないよなぁ…。偽金の使用はどこの国でも厳しい罪だと言うし、これはやっちまったかなあ…。
出すか出さないか、一瞬躊躇ってしまった拍子に支払おうと掴みかけていた硬貨が指先をするりと滑る、焦って掴み直そうとしたら財布の中の硬貨を数枚バラ撒いてしまった。そのうちの一枚がコロコロと転がり始める。よりによって500円玉だ!失くす訳にはいかない!
その時、不思議な事が起こった。
財布から溢れ転がり始めた500円玉が、一回り大きく、そして刻印が消えて無地のコインとなったのだ。
それだけじゃない、他の硬貨も同じような事になっている。
「あっ!」
中年の方の門番の方が転がっていくコインを止めてくれた。僕も他のコインをあわてて拾う。
「いやー、珍しいモノが出てきたな。まさか大白とはなあ」
中年の門番さんが拾った『元500円玉』を眺めてニカッと笑う。
「トマス!お前これを知ってるか?これが大白だ、俺がガキの頃まではけっこう作られていたモンだ。白銅五枚分だって事は若いお前でも知ってるだろうがよ」
「これが大白銅貨…。初めて見た」
トマスと呼ばれた若い方の門番の男性は新鮮な驚きと共にコインを見ている。
「そうだろう!そうだろう!俺だって十年、いや十五年は見てねえかも知れねえ。お前は運が良いぜ、これを機会によく拝んでおくんだぜ」
中年の門番はまるで子供の頃に大切にしていた宝物を懐かしむかのように若者に『大白話し聞かせている。
拾った硬貨の中にもう一枚、『元500円玉』があったので僕はその二枚を門番さんに関賃の白銅貨10枚分として手渡したのだった。
今回の大白銅貨を懐かしむ中年の門番さんの話は、イメージ的には『五百円札』を懐かしむ四十代中盤くらいの方をイメージしたものです。
同じ五百円でも『お札』から『硬貨』への転換は、それまでの500円というお金の価値を『紙幣』を使用するようなある種の高額という立ち位置から、四ケタ『千円』以上は『お札』で『三ケタ以下は硬貨(小銭)』という一種の心理的線引きを当時の国民に促した事と、切り替えをしたその数年前から当時への激しい物価の変動がそれまでの日本の貨幣制度の仕組みを一部変更させるに至ったのかなあと思い至ったので書きました。
いまだ半額パンが一度も活躍していませんが、次の会では登場します。皆さま、もう少々お待ち下さい。