第286話 祝福(あい)された魚。
「ぬううっ!わ、分からんッ!このバラカイ・ザンユウの舌をもってしても…」
例えて言うなら怒りゲージが溜まっていくような感じだろうか、色白なエルフ族のザンユウさんだが顔がやや紅潮してきている感じがする。
「巨大鮒を焼くのに際し行った工夫は分かっておる。塩も香辛料も柑橘も橄欖油に漬け込んだ事も…。私の舌は看破しておるッ!!だが、最後にただ一つ、一つだけ…焼きが…焼きだけが分からんッ!」
「や、焼きっちゅうてもこの石板で焼いたものではないんでっか、バラカイはん?」
遠慮がちにゴクキョウさんが声をかけた。
「そんなのは分かっておるッ!私が言いたいのはこの熱、炎そのものの正体だ!」
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「ほ、炎そのものの…」
「しょ、正体やて?」
マオンさんとゴクキョウさんがザンユウさんを覗き見ながら呟いた。
「この焼き加減は、その石板に熱を溜め込ませて焼いてるんちゃいまっか?」
「それは言うまでもない。しかし…、それならば『ただ焼き加減の良い焼き魚』が出来るのみ…。しかしッ!!この焼き加減…火の通し具合は言うまでもないが、中のふっくらした感触を出すには水が肝心なのだ」
そして、ザンユウさんは石板を指差した。
「しかし、この焼き板を見ろ!ところどころに穴や亀裂を施しておる。これは焼いて出た余分な脂を下に落とす為…、そうだなッ!?」
くわっ!!ザンユウさんは迫力ある顔をこちらに向け問いかけてきた。
「はいっ!」
「それゆえ不思議なのだ。余分な脂を落とす時にどうしても水気も抜け出てしまうものだッ!しかし、この仕上がりは完璧だ。最初の下ごしらえで塩をした事により余分な水分は抜け出てしまっでいる」
長いセリフだ、ザンユウさんはなんだか遠い目をしちゃってるぞ。誰に向かって説明しているんだろう。もしかするとこの世界を俯瞰している誰かに向けてであろうか。
「つまりその時点の巨大鮒の切り身に残された水気が最良であるはずだ。焼きによって身から流れ落ちればすなわち不足する。パサパサとした食感になるだろう。だが、それを恐れて焼くのを躊躇えば生焼け魚の出来上がりだ。しかし、この魚にはそれが無いっ!下処理もなかなかのものだ、焼き方も良い、そして仕上がりはその予想の上を行く。…なんだ、まだ私に見落としが…、分からんっ!このザンユウにもっ!!」
だんっ!!!
悔しそうにザンユウさんが振り上げた両の拳を石木のテーブルに叩きつけた。なんだ…、なんなのだ…とまだ呟いていたのだがやがて顔を上げた。
「み、認めたくはないが…。私の予想もつかないような調理法なのか…。思いもつかぬ…、思い…も…?」
ぴたり…。
電池が切れた機械仕掛けの人形のようにザンユウさんがその動きを止めた。信じられないとばかりにその両の目は見開かれている。テーブルの向こうとこちら、向かい合うように座る僕とザンユウさん。その視線の先を辿っていくと…、僕の…手元…?いや、僕の胸元あたりのテーブルの上だ。
むしゃむしゃ…。
もぐもぐ…。
「あっ…」
そこには焼き魚を一心不乱に食べている火精霊ホムラと水精霊セラの姿があった。
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「ふむう…。魚に塩を振った後に洗い流したのは水精霊、この石の板を加熱したのは火精霊とは…。どうりでなしえた水気と火加減だ…」
僕のお皿にある焼き魚…。一味唐辛子をかけた部分を『うめーッ!マジ美味え!』とばかりにホムラが、お猪口に入った日本酒を焼き魚をツマミに飲んでいるセラ。お猪口と自身の大きさのバランス的には成人が一斗樽(18リットルの日本酒が入る樽)から直接飲むかのような感じである。
「わはははっ!!こらバラカイ先生も一本取られましたな!精霊が力を貸して作るモンっちゅうたら御伽噺になるような名剣ってのが相場や!やれ大怪鳥を斬っただの、剣一本で王座についただの…、まあ大抵が話に箔をつける為の眉唾なモンばっかりやけどな」
「へえ…。ゴクキョウの旦那、名剣魔剣を携えて…みたいな英雄譚は嘘っぱちなのかい?」
興味を持ったようでマオンさんがゴクキョウさんに尋ねた。
「せやでぇ!ワイは六百歳をゆうに超えてるから分かるんや!例えば…そうやなァ。百五十年前の人獣殺しの英雄いたやろ?」
「あ、ああ。人憑き虎を一撃で倒して…。その功績で伯爵になったって…。その剣は大地の精霊から授けられたって…」
「ああ、そりゃウソやで」
「へっ!?」
「まァ…、名剣…っちゅうたら名剣やけどな。少なくとも精霊からは授けられてへんし、倒したのは人憑き虎やないで。ただのデカい虎や」
「デカい…、虎?」
「そうや。英雄サミン、あいつの武器は両手持ち剣でなァ…。突き出した剣がたまたま大口を開けた虎に『ぶっすぅ〜』っと刺さってな。確かに凄い事なんやが、あの剣はサミンがその何日か前に酒場で意気投合した鍛冶屋から買うたモンやで。そしたらいつの間にか精霊から授かっただの、人憑き虎を討伐した事になってたりとか…」
「ほ、本当かい、それ?」
「本当も何も…。あれはワイの隊商の護衛の時に出くわしてなァ。剣が喉に突き刺さって即死したから毛皮に傷がほとんど無かったんや。だからワイが買い取って…、今はウチで敷皮にしているで」
「なんとまあ…」
マオンさんが何とも言えないとばかりに口をあんぐりと開けている。
「まあ、伝説なんてそんなモンっちゅう事やな」
「しかしコレは本物だ。精霊に祝福された料理と言えるだろう」
「祝福された?それはどういう…」
「精霊は滅多に人前に姿を現さへん。現したとしてもすぐに姿を消すんやで。それで剣を授けるとか…、ワイが精霊ならそんなんよう出来んわ!」
「そういう事だ。火精霊に水精霊…、ほんの一時の気まぐれの助力と言えどもそれはもはや奇跡て…」
ぽん!ぽんっ!
多分、奇跡的だ…と言いたかったんだろう。しかし、ザンユウさんは最後までそれを言う事が出来なかった。小腹が空いたのか、お昼寝から起きて小さな破裂音のようなものを響かせ姿を現した光精霊サクヤと闇精霊カグヤに驚いたようだ。
「もちろん二人にもあるよ」
そう言って僕は焼き魚の香り付けに使った果物、皿に割り付けたスダチを残りを輪切りにしたものを出した。二人も喜んでスダチに向かう。
「な、何やてぇっ!」
ゴクキョウさんの絶叫が響いた。




