第27話 卵の常識と黒き琥珀金(エレクトラム)
マオンさんと二人で食べようと思っていた朝食だが、今は八人でテーブルを囲んでいる。人生初のタマゴサンドに彼らは興味深々のようだ。
「今食べるのは半分までだな?兄ちゃん」
ナジナさんが再度の確認。僕は、はいと応じる。
じゃあ…、食べますか…と言う事になり、全員が申し合わせたかのように同時に『ぱくっ』と口を付ける。
「フオォォォォォォォォッ!!」
上半身を後ろに反らし全身をプルプル震わせたナジナさんがまるで何処かの女性用下着を被ってしまった変態チックな仮面男の様な興奮した声を上げる。
「これは…凄い。この卵、なんという滑らかさとコクだ…」
「はい、舌の上でとろけていきますぅ…」
「それだけじゃねえぜ!この弾力が有るのは茹でた白身の部分か?この食感の対比、面白いぜ」
「それより、このパン…。回りを切り取り、中の白い部分だけを使っているのでしょうか?なんという贅沢な食べ物でしょう…、この『さんどいっち』という物は…」
「卵はしっかり中まで火を通さないと危ないから固茹でにするけど、それだとパサパサするのに…。この黄身のところは全然パサパサしてないよ…、どうして?」
試食している六人が驚きと称賛の声を上げた。ミアリスさんに至っては早くもネコミミがぴょこっと出てきている。おそらく尻尾も出ている事だろう。
そのミアリスさんが言った『卵にしっかりと火を通す』だが、実は地球においても地域によっては卵というものは取り扱いが難しい。それはちょっとした事で割れるという脆弱性だけではなく、衛生面の意味である。
生食をする日本人にはあまりピンと来ないかもしれない話だが、現代の地球でもほとんどの地域で卵はしっかり火を通す。生の状態の卵を世界的にはあまり口にしない。
それはサルモネラ菌をはじめとして様々な菌の存在がある。日本のスーパーなどで流通している卵は世界トップクラスの衛生管理がなされており、卵かけご飯や月見うどんなど生で食べる事が出来る。しかし、それを海外でやろうとすると前述のサルモネラ菌などによる感染症にかかる覚悟をしなければならない。
それでも医療体制が整っている地域であればまだ良いが、それが無い地域では命取りにもなり得る。仮に命を取り留めたにしても、あえて苦しい思いをする必要はない。医療保険制度が整ってなければ高額な医療費もかかる。
ましてやここは異世界、社会保障とか医療体制について整っているかは『推して知るべし』である。卵はしっかり火を通す、それがここの常識なのではないだろうか。
「ミアリス嬢ちゃんの言う通りさね、しっかり火が通った黄身なのに全然粉っぽくないよ…。ゲンタ、これはどんな魔法を使ったんだい?」
マオンさんも満足そうに食べながら聞いてくる。
「ああ、それは…」
僕が説明しようとすると、
「こ、これは…、ま、『まよ』だな…?兄ちゃんッ!!この滑らかさは『まよ』の仕業だろう!?」
この味の正体、見破ったり!とばかりにナジナさんが吠える。
「「「「「「ッ?」」」」」」」
皆が弾かれたようにナジナさんに視線を向けた。
「だ、ダンナッ!『まよ』と言うのはいったい…?」
たまらずといった感じでマニィさんがたずねる。
「そうか…、甘い物好きな嬢ちゃん達は『じゃむパン』とか甘いパンだけ食べたのか…。俺はさっき、兄ちゃんの『まよういんなあパン』を食べたばかりだからな…。だから気付く事ができたぜえ…」
「ッ!!まさかッ!ゲンタ君、『まよ』とは昨日の『ころっけパン』の上にも黒いタレのようなものと一緒にかかっていたあの白みを帯びた物の事かい?」
僕は昨日の試食で出したコロッケパンの形状を思い出しながら
「はい、そうです。茹でた卵の黄身を取り出し『マヨ』と一緒に練り、白身を細かく刻んだ物と和えた物をパンに挟んだのが『タマゴサンド』です」
そして受付嬢さん達やミアリスさんに『まよ(マヨネーズ)』とタマゴサンドの成り立ちを説明する。
「普通に食ったら固くパサパサする火を通した卵の黄身を滑らかに…そして味わい深くしている…。ただでさえ高価な卵だ、それをこんなにもたっぷりと…。それこそ『まよ』まで使ってよう…。それも、こんなにも美味くしやがってよぉ…、王都のお偉いさんでもこんなのは食えないだろうに…。それにしても『まよ』の美味さってなあ凄えな」
その言葉に皆が一斉に首肯く。
「ところでゲンタ君、半分残すように言ったのはなぜだい?」
「それはですね…」
ウォズマさんの問いに、僕はゴソゴソとリュックからある物を取り出しながら応じるのだった。
□
「僕はタマゴサンドにこれをかけて食べるのが好きで…」
そう言って僕は粗挽き黒胡椒の瓶を出した。
僕はタマゴサンドを家で食べる時に粗挽きの胡椒をかけて食べるのが特に好きだった。昨夜、業務用の食品を取り扱うスーパーに行った時に胡椒を切らしていたのを思い出したので他にもいくつかの調味料と合わせてついでに購入したのだった。
ちなみに各種一瓶78円(税抜)均一、普段買っていたスーパーより安かったのも嬉しい発見だった。
取り出した胡椒の瓶のフタを開け、タマゴサンドの具材部分に粗挽きの胡椒をかける。マオンさんのサンドイッチにもかけた。
「皆さんにも食べ比べていただきたいのですが…」
「兄ちゃんの出す物なら美味いに決まってるぜ!」
まずナジナさんがサンドイッチを伸ばしてくる。
ウォズマさんもそれに続く。ミアリスさん、受付嬢さん達も続いたがシルフィさんはわずかで良いとの事だった。
そして、全員が再び口に運ぶ。
「こ、これは…、まさかとは思ったが…やはり!」
珍しい事にウォズマさんが真っ先に驚きを口にする。
「ええ、間違いありません、これは…」
シルフィさんがそれに続く。
「ん〜。ピリッとしますぅ〜。でもクセになりそう」
「ああ、鼻にも少しツンと来る。だが嫌いじゃねえよ」
「卵と合わさると何か良いですね」
「これも違う美味さがあるね、ゲンタ。美味しいよ」
女性陣にも好評のようだ。
だが、普段なら一番先にコメントしそうなナジナさんの様子がおかしい。
「………」
試食のサンドイッチを食べ終えた彼は石で出来た彫像のように微動だにしない。隣の席にいたウォズマさんがナジナさんの肩に手をかけ呼びかける。
「ぷはあっ!………ふうっ、息をするのを忘れていたぜ!なんてこった!『まよ』以外にもまだこんなものが…。兄ちゃん、お前はいったい何者だ!? 底が知れねえ、まったく兄ちゃんは底が知れねえぜ!」
息を吹き返したナジナさんが豪快に上機嫌に話す。
「それにしても…こりゃあ何だい、兄ちゃん?もともと美味い『たまごさんど』が、この黒い粒によって締まるんだ。美味さ広がる『たまごさんど』がピリッと締まる。そして鼻に抜ける香りが惚けた嗅覚を呼び覚ます。すると甘いパンの香りがまた感じられて、それにふさわしい柔らかな白いパンが頭に浮かぶんだ。パンに卵、そして『まよ』!全てに包まれてるのに時々この粒が俺に切り込んでくる、鋭くよう…。まったく不思議な粒だぜえ」
「皆さん、驚かないで聞いて下さい」
「ああ、特に相棒。声、立てるなよ」
シルフィさん、ウォズマさんが少し声を潜めた。
□
「ゲンタさん、この黒い粒は…。胡椒…、ですね?」
シルフィさんが声をひそひそ話程度の声で話す為、自然と皆がテーブルに額を寄せ合うような格好になる。メガネ美人のシルフィさんの顔が目前にある。僕は頬がカーッと紅潮くなるのを感じる。
「なっ!こっ、こし……。す、すまねえ、もう大丈夫だ」
ウォズマさんがナジナさんに視線を向けると、ナジナさんは声を上げるのをなんとか堪えたようだ。
「だけど、なぜ胡椒を持っていたんだい?」
「えっと…、たまたま?」
僕は正直に返答したのだが、全員が何やら信じられないといった表情で見ているが気にせず続ける。
「僕はこれをかけて食べるタマゴサンドが美味しいと思っていて、それをマオンさんと一緒に食べたくて…」
「ゲンタ…」
「でも、それならオレ達にまで使わなくても良かったんだよ?」
「いえ、せっかくタマゴサンドを食べるなら、お世話になってる皆さんにも試して欲しかったんです。まあ、こうしたらもっと美味しいかなって勝手に思ってるだけですけど」
「そんな事なねぇ!『たまごさんど』はそれだけで絶品だ!だが、これをかければ、また新たな美味さがある。だがよぅ…、胡椒は凄く高価えんだ」
「高い…?」
78円(税抜)の胡椒が…?
「ゲンタ…、胡椒がとても高いのは知ってるだろう?この辺りじゃ高価な物を例える諺に『胡椒一粒は、黄金一粒』って言うのさ。実際には純金とまでは言わないが、それでも琥珀金ぐらいの価値はある筈さ」
「エレクトラム…?」
聞き慣れない言葉に僕は首を傾げる。
「そう、そんな貴重で高価な胡椒だから『黒い琥珀金』と例える事があるのさ」
うーん、これは日本で高価で取り引きされるクロマグロを『黒いダイヤ』と別名するような物だろうか。
「若い方はご存知無いかも知れませんが、1000年程前までは金と言うのは今日の様に不純物を取り除き純金のみを取り出す鍛冶技術がありませんでした」
十分に若く見えて美しいシルフィさんが『若い方』と言うのはなんだか違和感があるが、それを飲み込み話を聞く。
「今では鉱山に入り、石を掘り出しそこから金を得ます。しかし、古代では金と言えば川から得る物だったのです」
「えっ?川?」
「はい。山から流れ出した川の流れは長い時間をかけ、岩を削り上流から下流へと至ります。その時に岩の金を含んだ部分が削られ剥がれ落ち川底に沈みます」
「じゃあそれを集めて…」
「そうですね、その小さなカケラ一つ一つが自然金、いわゆる砂金です。それを集めて貨幣がわりに流通しました。やがてそれをそのまま融かして固め作られたのが硬貨としたのが琥珀金貨幣です。今は金とその他の物を分けられる為に作られる事はなくなった古代金貨…という感じですね」
「ゲンタや、琥珀金は別名『金銀鉱』とも言うんだよ。川で見つかる砂金は金と銀が混じってくっついているのが多いそうでね、その砂金の色が琥珀に似てるから『琥珀金』って言うんだよ」
「へぇ、婆さんよく知ってるなあ。伊達に歳食ってる訳じゃねえなあ!」
ナジナさんが感心した様子で感想を漏らす。ただし、余計な一言を付け加えて。
「歳の事は言うんじゃないよっ!」
マオンさんは抗議の声を上げた。異世界でも女性の年齢に触れるのは御法度らしい。
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また、ウォズマさんによると特に決まってはいないが、琥珀金貨はだいたい銀貨二枚分として扱われるのが通り相場だそうだ。『だいたい』というのは、琥珀金貨はそれぞれで金銀の混じっている比率が違う。その為、受け取る側が損をする事がないように取り決めたものだという。
って事は…、胡椒一粒が金とか銀が合わさった物と同じ価値って事!?…じゃ、じゃあこの一瓶の胡椒が…何万円にもなるの?
その事に僕は唖然として僕は胡椒の入った瓶を見つめるのだった。




