第24話 販売終えて…これから(前編)。それとミーンの町の水(井戸)事情。
朝の七時半…、この時間にはもう異世界の町は本格的に
動き始めている。街灯や照明のないこの町で
太陽の出ている明るい朝から夕方までの時間は、火をつけて
明るくする為の薪や油が必要ない貴重な活動時間帯である。
多くの人々が暮らしの糧を得る為にこの明るい時間帯に
皆必死に働くのである。異世界には社会保障などはロクに
無く、故に下層の人ほど実利を好み虚飾を嫌う。
下層民ではないが、商人もまた似たような気概を持つ。
彼らにとって虚飾を排した『利』こそが『理』で、
その多寡が商人の正義である。
彼らに『頑張った』は要らない、『儲かった』、…これこそが
商人の勝利。その意味で今日の元太はまさに勝利者であった。
□
ギルド内でのパンの販売も終わり、後片付けをした後に
冒険者ギルドへの加入手続きや、ギルド内でのパンの
販売手数料の支払いを済ませた僕は、マオンさんとギルド内の
一角にあるテーブル席を借り、今後の事を話しあう。
まず僕が必要だと考えたのは、マオンさんの生活の安定と向上だ。
何も無い屋外で雨風にさらされてゴロ寝するよりは良いだろうが、
納屋はやはり納屋である。何の変哲もない板で出来た薄い
屋根や壁では、寝ようと思っても外の音が気になったり、
この季節は朝夕の冷え込みが厳しく安眠には
不向きだろう。隙間風だってあるかも知れない。
何より無用心だ。
しかし、家を建てるのは時間も、お金もかかる。
今日は利益だけで考えれば四万円程。凄い儲けだが、
家が建つ程ではない。だから、しばらくは納屋のままだが
その住環境自体をレベルアップできる部分があると考えたのだ。
今の納屋を温かくして寝るとか、せっかく敷地内に自前の
地下水を汲み上げる事の出来る掘り抜き井戸があるのだから、
その良質な水を最大限に活用できるようにするとか…、
実現すると快適に暮らせる方法があるに違いない。
ちなみにこの町の多くの人が使う井戸は共用井戸で、
これは町の横を流れる川から樋を用いて水を引き、
それを地面の下を通し上水道として町の中を巡らせ
町の各所の井戸に配水されるのである。
言い換えればこの町の井戸とは、水路を作って引いた川の水を
町中の地面に穴を掘って作った町中にある溜め池であり
住民はその溜められた水を紐付きの桶で汲んで利用する。
これ自体は日本の江戸時代における江戸の町の井戸事情も
同じで、現在は石神井公園として知られる石神井池や、
神田上水として名高い井の頭公園内の井の頭池が水源の
神田川から水を引き、江戸市中の地下を樋で巡らせ
上水道として各所の井戸にその水を運び江戸百万の民を
潤したのである。
ここミーンの町の井戸水は川の水を直接引いてきただけで
あるから、生水のままだと長年住み慣れた人が飲むなら
免疫のような物があるからまだしも、他所から来た人が飲むには
危険過ぎる。実際、飲み慣れた人でも腹を下す事は
ままあるそうで用心するに越した事はないという。
マオンさんによれば、共用井戸水は布などで汚れを濾して、
煮沸して冷ました物を飲むのが一般的なのだそうだ。
塩素消毒された水道水に親しんだ僕が生水を飲んだら確実ッ!
そう、コーラを飲んだらゲップが出るくらい確実に腹を壊す。
仮に日本で例えるなら、そこら辺の河川の水を汲んで
消毒も煮沸もせずにそのまま飲もうとするようなものだ。
誰もそうしようとは思わないだろう。
しかし、マオンさんの敷地内にある井戸は川の水を引いてきた
町中の井戸とは違い、地面を深く掘り水を得た掘り抜き井戸。
濁りがあったり、魚を始めとする様々な生き物がそのまま
井戸に流れ着いている事もある共用井戸の水とは違い、
その水は清らかで澄んでいる。
マオンさんはこの水をそのまま飲んでもお腹を下した事はなく、
昨日来たナジナさんとウォズマさんもそのまま飲んでいたけど
お腹をこわした様子はないからおそらく清潔な水なのだろう。
もっとも、塩素消毒された水を飲んで育ち、地球と異世界という
文字通り『別世界』に育った僕には安全でないかも知れないが。
家屋を焼失し、竃などを失ったマオンさんに
とって、煮沸しなくても飲む事が出来るこの井戸水は
命をつないでいく為に不可欠な水をそのまま飲む事が出来るのは
大変ありがたい事だろう。
よし、決めた。
納屋をDIYして増築する、みたいな技術は僕には無いので
せめてマオンさんが暖かく眠れるように、それと納屋の裏の
井戸周りを利用しやすく出来るように何か考えてみよう。
でも、一番手っ取り早いのは身の回りの物を整える事、
きっと持っていた物が燃えてしまい生活に不便するような
事もあるに違いないし…、まずは町に出て買い物に行こう。
□
話し合いをしていたら、三十分くらいが過ぎていた。
腕時計を見れば8時過ぎになっていた。
「ああ、もうすっかり明るいよ。冒険者さん達もほとんど
出払ってしまったね。儂も家に戻って片付けでも
しようかね」
「マオンさん、その前に身の回りの物を買いに行きましょう。
今のままじゃご不便な事も何かとあるでしょうし…」
「そりゃ、不便がないかと言われればね…、でもね儂には
恥ずかしながらそんなにお足(お金の事)が無いからね」
「大丈夫ですよ、今稼いだお金が…」
「お待ち!ゲンタ!!」
マオンさんが強い声で僕の言葉を遮る。
「それはゲンタの稼いだお足だよ」
ピシャリと彼女は強い視線と共に言う。
「ゲンタ、アンタはとても優しい子だ。
だがね、人を甘やかし過ぎるのは良くないんだよ。
それでは人を頼りきりになってダメにもする。
子育てと似たような物さね」
もう、だいぶ婆さんだけどね…、マオンさんは笑う。
「だからね…このお足はゲンタ、お前さんが使うんじゃ。
学院にもいずれ戻るんじゃろ?いくらあっても困ると
いう事がそうはないのがお金だよ。逆に足りなくて困る事は
世の中いっぱいあるだろがね」
僕ははい、と応じる。
「学費に使うも良し、残ればその先に備えれば良い。
良い人を見つけたら古今東西何かと物入りじゃ。
新しい服の一枚も買ってやったら良え。
それに、こんな凄いパンを作るお前さんじゃ、
粉も他にも仕入れにはお足がいるじゃろう」
「確かにお金は必要ですが…」
僕が反論を試みたのだが…、
「ゲンタ…。儂はの、孫みたいな歳の子に金をせびって
生きるような…、そんなババアにはなりたくないんじゃよ」
カラカラと笑いながらマオンはそう言った。




