第221話 小さなお針子さん。ゲンタ、雇用主になる。
郵送で友人に三枚の布マスクを送った。ポスト投函も出来る便利な封筒のようなものだ。何かと便利である。その次に向かったのは…。
「やっぱり無いよねえ」
駅前のドラッグストアでマスクを探してみたけどお得用の50枚入りはもちろん、お高めの3枚入りのマスクも無い。とにかく無い。
仕方がないのでここではパンを買うだけにした。なんと言うか…菓子パンがよく残っている。板チョコが包まれているパンが残っていた。即買いする、チョコ系は女性冒険者やエルフ族に人気が高い。エルフの姉弟五人組パーティは必ず一人は買うだろう。
アパートに戻るとカグヤが待っていた。
「ねえ?」
「どうしたの?カグヤ」
「あの『すまほ』とか『でんわ』っていうのは遠くの人と会話が出来る道具なんだよね?」
「そうだね。風の精霊の力を借りて声を遠くの人に届ける魔法と似てるかな?あっ、でも魔法だと声を届けるだけだから一方的に送るだけか…。だとすると、お互いに声を届ける魔法が使えて離れた所で同時に会話が出来るみたいなものだね」
「ふーん…、そうなんだ…。…ねえ、ゲンタ」
「なに?」
くすっ…。彼女は小さく微笑を浮かべた。
「さっきの『でんわ』の相手…、女の人の声だったよね?」
今夜のカグヤは何だか怖いです。
□
それから二日ほどして夜に電話がかかってきた。
「マスクありがとう、電車通学だし助かる」
高校の同級生、専門学校に通う大野さんからだった。ごく普通の大学生の僕とは違い、コロナ禍でも実技の授業は参加しないとならない彼女は最低限にしているとは言え通学しなくてはならない。
「役に立って良かったよ。洗えば繰り返し使えるみたいだし」
自宅アパートのフローリングの床に座り通話している僕の横に座っていたカグヤがスマホを持つ手とは反対の左腕にしがみついてくる。
これは…。いくら僕がニブくても分かる、カグヤは今とても不機嫌だ。
「今日ね、実習先の施設に見学に行ったんだ…」
「うん…」
「職員さんも、利用者さんも残りのマスクの数を気にしながら過ごしてるみたい。職員さんなんかね、もしお店で売ってるマスクを見つけたら立て替えて買っておいて欲しいって言われてるんだって」
利用者さんというのは介護施設に入所している人の事だ。
「じゃあ、今度行く施設もマスクに関して不安を抱えてるんだね」
「皆でマスクをするべきだもんね。マスクも万能じゃないし、一人がしていても周りの人にマスクが無いんじゃ意味は無いだろうし…」
「やっぱり不安だよね。そうでなくても風邪とかでも重症化する場合があるし…」
そんな話をしていると病院や介護施設に手縫いでマスクを寄付したというニュースで取り上げられた女の子の行動がいかに素晴らしいかがよく分かる。
一人がしていても効果は薄い。それならみんなが出来れば…。
通話を終わらせるまで僕にしがみついていたカグヤに『待たせてごめんね』と謝り、その髪を撫でながら何か僕に出来る事はないかと考えていた。
□
「お針子さんかい?」
「はい。マオンさん、そういう方に知り合いはいませんか?」
翌朝、冒険者ギルドでのパン販売を終わらせシルフィさんたちと朝食を摂りながらそんな話をしていた。
「いるにはいるが雇うのは難しいと思うよ。なんたってお針子は女が出来る仕事の花形の一つさ。手間賃もそれなりにあるし、なんたって重いもの担いで歩いたりしなくて良いからね。こざっぱりしてるし、何より目と指が利けば年齢がいっても続けられるしね」
「そうだよ旦那。だいたいお針子は商会がお抱えにしてるだろうからそれ以外の仕事は受けないんじゃねーかな?」
マオンさんの言葉にマニィさんが続いた。うーん、じゃあ誰かに協力してもらってマスクを数多く作るのは難しいのかな。
「もしかしてゲンタ、前に作った『ますく』を縫う人を探しているのかい?」
「はい、マオンさん。あのマスクはとても良かったです。なのでもっと作れたらなあと思いまして」
「それなら別にお針子じゃなくても…。儂が作った物くらいの出来で良いならある程度の縫い物してれば出来る事だよ」
「そうなんですか?」
「ああ、そりゃそうさ!そんなになんでもかんでも誰かに頼んでたらいくら金があっても足りないよ。縫い物が出来なかったら服が破れたりほつれたりしたらどうするんだい?出来る事は自分でしないと金は出ていくばっかりだよ」
そうか…、この世界は機械化されて大量生産大量消費の地球のような環境ではない。手作業で生産をする世の中だ。
「そうですよぅ。それにお針子さんってなかなかなれないんですよ。商会のお抱えになったらずっと続けられますしぃ。だから若い人がなるには余程の技術がないとなかなかなれないんですよ、上がつかえてますしぃ」
「フェミの言う通りだぜ。お針子は長く続けられる。だから若い奴はなかなか布を縫う機会…、店に出すような縫い物の仕事にはありつけねえ。いわゆる狭き門ってヤツだよ」
なるほどねえ…。だとすればお針子さんを雇うというのは難しいかな。
「あの…、ゲンタさん」
夜明けまで森で薬草採取をして戻ってきた猫獣人族のシスター見習いのミアリスさんが話しかけてきた。
「もし良かったら私の話を聞いてもらえませんか?」
□
「今日は20個の『ますく』が出来ました!」
孤児院も兼ねた教会に住む十三人の子供たち。男の子4人、女の子9人、その中で一番年長のハミルちゃんが今日一日の成果を報告してくれる。
「ゲンタ兄ちゃん、こっちの仕事もこれで終わりだって!」
こちらは男子最年長のダルバ君だ。
「ご苦労様、もうすぐシスターさんたちが迎えに来るから手や顔を洗っておいで」
「うん!よし、みんな行くぞ!」
たたたたーと男の子たちが元気よく井戸に向かった。
「にいちゃー!野菜切れたー」
「分かったー!今行くからー」
離れた所では小さな女の子達がキャベツを細かく刻んでいた。
……………。
………。
…。
ここはマオンさんの自宅、数日前とは少し様変わりしている。
まず庭の石木のテーブルではマオンさんや女の子達が座り今は縫い上がったマスクに不備が無いかチェックをしてダンボールに箱詰めしている。テーブルの四隅の外側には太い柱、それを支柱にして屋根が乗っている。日本の公園などで見かけるいわゆる四阿である。
これがあれば少々の雨なら問題ない。雨天の日でも作業が出来るのでガントンさんにお願いして最優先で作ってもらった。
お針子さんを探している僕にミアリスさんが提案したのは、教会の子供たちを雇ってもらえないかということ。なんでも子供たちはある程度の年齢になると日中は働きに出ているとの事。いわゆる見習いとか下働きというものだ。しかしこの下働きというのは中々にハードなんだが、子供はまだまだ体力的に不十分で大人一人分の仕事量には及ばない。また、仕事を覚えさせてもらっている身の上だとして雇う側にとっては都合の良い低賃金労働者という意味合いもあった。
ゆえに一日働いて銀片一枚(日本円で千円)にもならない仕事であった。
僕はミアリスさんに連れられ、教会に依頼を受けてカレーを作ったとき以来の再訪をした。ミアリスさんは早速シスターさんに話を通し僕がお針子さんを探している事を伝えた。
「近所の目が悪いお年寄りの服を代わりに縫う機会などはありますが…」
仕事としてのお針子さん募集に当初困惑していたシスターさんだったが、試しに年長の女の子たちに縫い物をしてもらったところ技術的に問題はなかった。
それが分かったので安心して不定期だがお願いしたい事を伝えるとシスターさんも承諾してくれた。報酬は子どもたち全員分で一日あたり銀片3枚(日本円で三千円)で良いとの事。
男女も年齢も関係なく雇う事になったのは、以前作ったカレーが子供たちにたいへん強く印象に残っていて
お勤めが終わったシスターさんたちが夕方に子供たちを迎えに来る。そこで全員で夕食を…という事になったのだが、カレーの印象からか針仕事ができる女の子だけ食事を出すのは他の子が羨ましがってしまう為である。
それゆえ僕は子供たち全員を雇い、針仕事ができる子はお針子さん。男の子はガントンさんたちの下働き、小さい子にはさらに年下の子の子守と食事の下働きを任せる事にした。
これがなかなかに機能し、もう何日かすると上手くいきそうだ。そんな訳で僕は短期的になりそうだけど雇用主という事になった。
さてこれが今後どうなるか、不安もあるがやってみよう。




