第200話 『塩商人』ブド・ライアー。儲けのカラクリ(前編)
うーん、200話到達。なんかここまで続くとは思ってませんでした(笑)
今を遡る事、二十数年前…。
これはブド・ライアーが塩商人として成功する話である。
立て続けに興した事業を失敗し、故郷である商都を抜け出した若き日のブド・ライアーは故郷から歩くこと二日程の寂れた漁村で塩製造の商家の人夫見習い、早い話が下働きをする日々であった。
優秀な頭脳の俺が薄給で使われる…、そんな不満を抱えて過ごす日々。酒場に出かけ安酒に酔う事だけが生きがい、なんともうだつの上がらない境遇を恨めしく思いながら何気なく聞いたミーンの町の塩不足の話が大儲けのきっかけになった。
塩の精製過程で産まれた不純物だらけの余り塩、苦味にエグみも含まれる粗悪な塩でさえミーンの町では高値で売れる。
実はミーンの町は四方を山々に囲まれた盆地で、交易をするにも山越え谷越え苦労が多い。山々からは鉱物が発掘され、獣もそれなりに多い為、交易の対象として決して価値の無い土地ではない。
しかしながら手間がかかるのだ。荷馬車を仕立てて向かうにしても山道は険しく、天候の影響を受けやすい。本来、交易で往復をするなら大量輸送が出来た方が良い。しかし険しい山道、まさに隘路である。
大量に輸送するには不向きな土地であった。小さく軽くとも価値のあるもの…、例えば宝石や香辛料を扱うなら利益も見込める。しかし、そんなものは噂が流れれば狙ってくる連中も多い。仕入れにもそれなりに金が必要だ、だからブド・ライアーは当初それらには目も向けなかった。
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ある時、ゲンタは冒険者ギルドで周辺の地図を見る機会があった。
その時に彼はミーンの町と南に伸びる通称『塩の街道』、そしてその道の先にある大きな港を持つ商都の位置関係をミーンは甲府、商都は横浜のように感じた。
その地図は現代日本の道路地図のような詳細かつ正確なものではなかった。およその位置関係が分かる程度のものだ。ゆえに距離や方角はそこまで正確なものではないかも知れない。聞いた感じでは休む間を惜しんで歩けば五日くらいで移動できるらしい。
道自体もアスファルトで舗装された歩きやすいものではないし、一直線でもない。山に向かって来る訳だから道中に高低差もあるし、また川を横切るとしても橋が架かっているとも限らない。移動スピードも現代人が道路を歩いていくよりは時間のかかるものだろう。
戦国時代を例に出せば甲斐(現在の山梨県)の戦国大名、武田信玄が周囲の大名家との関係悪化から塩の取引を止められたその確保に苦労した事は有名な話だ。海の無い甲斐では塩を自国で生産出来なかった事が大きな原因である。
山に囲まれた町、ミーンでもそれは同様である。常に塩は不足し高値で取引される。希少品だ、多少質の悪い塩でも高値が付くのは自然の成り行きである。
ブド・ライアーはそこに目を付けた。塩なら何でも良いんだ、どんな物でもコイツらは買う…そう確信した。
自分が下働きしている塩屋の絞りカス…、塩味はあるが苦味もエグみもある『余り塩』と呼ばれる海辺では打ち捨てられるようなものがここでは高値だ。
ならば塩屋での下働きはこのまま続けて、日銭を得る事にしよう。だが、本当の目的は余り塩だ。ゴミのように捨てられるそれが違う場所では銀貨にも金貨にも化ける、それをコイツらは知らない。
良い気分だった、馬鹿どもはこれに気付かない。無料で手に入る分、売れた金額がそのまま儲けになる。笑いが止まらなかった。
しかし、ブド・ライアーはこのボロ儲けのカラクリに全く不満が無い訳ではない。時間がかかり過ぎるのだ。余り塩は無料で手に入るがその量は100重から多くても150重(1重は0.996グラム)といったところだ。
初めてミーンの町に塩を持ち込んだ時は20過重はゆうに超えていた。過とは千倍、日本語でいえばキロである。いくら高値で売れる塩とはいえ量が少なければ大した額にはならない。ある程度の量が必要になる。
それならば…とブド・ライアーは下働きの時に色々と観察し、見様見真似で塩田を作ることにした。
ブド・ライアーのねぐらは漁村の外れにある入り江に出来た自然洞窟。宿代をケチりそこに住み着いていた。
入り江は海流のせいか漂流物が流れ着く。そこは船の墓場とさえ言われ、船乗りもそれなりにいる漁村の住民からは縁起が悪いとか気味が悪いと言われあまり近付かない場所であった。
そんなものは迷信だとブド・ライアーは構わず入り江近くに住み、そして漂着した船のマストなどを木材として再利用し塩田の設備を作る。
砂浜に流れ着いたものを利用し、柱状の木を砂浜に置き四角く囲う。丁度漢字の口の字のような形状だ。柱の太さは十五センチから二十センチくらい、製材した訳ではないので不揃いだが役割は十分に果たせる。
その木材で囲ったスペースに砂を入れていく、時間はかかったが柱の厚みを満たす程の砂を入れ終わった。そこに砂同様いくらでも手に入る海水を振りまいていった。
知っての通り海水には塩分が含まれる、だから極論を言えば海水を蒸発させれば塩が採れる。しかしその濃度は低い、そこで海水を木枠で囲った砂に薄く撒いていく。その海水は天日によって水分が蒸発し、塩分は砂に付着して残る。
それを繰り返し付着する塩分をを増やしていき、最終的にはその砂を汲んだ海水に投入し、海水に塩を溶け出させ、濃度が濃くなったところで煮立たせ効率よく塩を得る。煮立たせる為の燃料となる薪も買えばそれなりに金が必要になるが、入り江に流れ着いた漂着物を使えば無料だ。
無料のもので丸儲け、馬鹿には思いつかない儲け方だよなーとブド・ライアーはほくそ笑む。その気付きがさらにブド・ライアーの価値観を固めていった。
他にも微量だが手軽に塩を採る方法があった。幅広の海藻を拾い集め干しておけば良いのだ。朝干しておけば日没には間違いなく乾いている。そうしたら海藻の表面にこびりついた塩をこそぎ落とせば良い。ほとんど手間無く塩が手に入る。
もっとも手軽に出来るだけあって大した量にはならない。自分の食事に味を付けるくらいだ。だが、そんなわずかな塩も繰り返せば少しは足しにはなる。それも集めた。
ブド・ライアーは一カ月程で30過重の塩を集めた。再び担いでミーンに向かう。塩の流通は相変わらずのようで高い金を出して買うのは変わっていなかった。
ブド・ライアーは行商人として町の住民たちに塩を売った。というのもいちいち小売していては面倒だから最初は商業ギルドに売り込みに行った。
しかし、ギルドではその塩は質が悪いと買う事を渋られた。それだけではない。どうしても買って欲しいと言うならば、割安になるがギルドが紹介する商家で買い取ってもらうのはどうだとさえ言われた。
確かに町に行き渡るような量の塩は無いが、塩を扱う商家が無い訳ではない。大した取り扱い量は無いクセに高値で売れる塩のおかげか利ザヤが稼げているのだろう。塩がほとんど入らなくても(あるいは買い占めてさらに値が上がるのを待っているのかも知れないが)その商家は店として成り立っていた。
おそらくはそちらに安値で流させて荒稼ぎするのだろう…、そう感じたブド・ライアーは売る事をせずに引き上げた。
だが、商業ギルドの指摘は的外れではなかった。ブド・ライアーの塩は一目で分かる砂混じりの粗悪品であった。
なぜブド・ライアーがこのような塩しか作れなかったのかは、彼が製塩作業をする人夫の見習い…言わば下働きであるからである。
当然、ブド・ライアーが下働きをしている海水を塩田の砂に撒いたものを活用してそのまま煮立たせて塩を作れば同じように砂混じりと揶揄される粗悪な塩が出来上がる。
しかし、その製塩を行う職人たちはさらに一手間も二手間も加えるのだ。それが海水に混じった砂を…、そして海水に含まれる苦味やエグみを取り除く工程である。
新参者の下働きに過ぎないブド・ライアーがそれを知らないのも無理はない。秘匿されている技術なのだ、門外不出のお家芸とも言うべき大切な技術である。簡単に見られるものではなかった。
だが、ブド・ライアーは海水は塩分を含むという事さえ理解していれば良いやと思っていた。何回か塩田に海水を撒くのは後で塩分濃度の濃い海水なら同じ煮立たせる作業一回で得られる塩の量が増える、だから効率が良い…それだけで十分だった。
それで得たこの塩を喜んで買っていくミーンの住民がいるのだ。金が入ってくる、ブド・ライアーはそれだけで満足であった。
長きに渡り塩に飢え、粗悪でもなんでも良いからとブド・ライアーの塩を買いに殺到する町の住民たち。まだこの頃はブド・ライアーも相場を支配出来るような力が無かった為、商家で売られている価格よりは安く塩を売っていた。
それでもこの一回のミーンへの訪問で金貨六枚以上の売上になった。一般的な家庭なら半年は暮らしていける。それをわずか一日で成したのだ。
この日をきっかけにブド・ライアーはたびたびミーンを訪れ塩を売るようになっていく。その事がミーンの町にもともとある塩の商店を追いこんでいく。
良いものが売れるとは限らない。砂混じりの塩は粗悪品でも安価で大量にあれば市場を淘汰出来る事があるという事を示した好例である。