第199話 『塩商人』ブド・ライアー。相手にされなくなる
この日、ブド・ライアーは珍しい事に朝から動いていた。ネネトルネ商会に対して香辛料を売り込む為である。
ブド・ライアーはまず最初にネネトルネ商会が滞在しているという宿屋に向かったのだがまだ朝だというのに既に出かけた後だった。
護衛と共に早朝に出発したという。どこに向かったのか宿屋でその行先を聞いたがどこに向かったかは分からなかった。
そこでブド・ライアーは手代たちを走らせた。具体的には商業ギルドに二人の手代を走らせたのだ。もしそこにネネトルネ商会の者がいれば一人はそれを足止めし、もう一人は自分の元に知らせるように指示した。相手の都合を無視した自分勝手な指示である。
だが、商業ギルドにその姿は無く、また訪問するという前触れも無いという。少なくともミーンの町の商業ギルドはネネトルネ商会にとって訪問する優先順位の低い相手であるということが明白であった。
その事を伝えに来た手代の話を聞き、ブド・ライアーは考える。まず、戻ったばかりの手代を再び商業ギルドに戻らせる、ネネトルネ商会が訪れる可能性が無い訳ではない。先程と同様の指示を出し、待機させる事にした。
さて、どうするか…、ブド・ライアーは考える。
確か護衛を連れて宿を出たと言っていた。その護衛は冒険者であろうか。なら、聞き込みに行ってやろうか…俺様の役に立てるならありがたがるだろう。
そう思って冒険者ギルドに馬車を向かわせる。
その結果、誰からも相手にされずあまつさえ風の魔法によって叩き出される事になるとはこの時のブド・ライアーは予想もしていなかった。
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冒険者ギルドの前では朝早くから人が集まる。そのお目当てはゲンタが持ち込んだ塩、通称『しろいしお』。
日本のスーパーでゲンタが毎日10キロ、多い時には20キロも買いこんでくるそれはミーンの町の塩の流通における大きな転換点となった。
ミーンの町において塩というものは二十年の長きに渡りほとんどブド・ライアー商会の一社独占状態であった。ごくまれに他の行商人から持ち込まれたり、あるいは岩塩が見つかる事がありそれが流通する事もあった。
しかしながらそれは定期的なものではなく、その量も少量である。とてもミーンの町の消費を支える程の量ではない。
それゆえに塩という生きていく為に不可欠なものを…言い換えればミーンの町の住民の命綱の一本をブド・ライアーは握ったのだ。
そしてその事は増長を生んでいく。文句があるなら買うなとばかりにブド・ライアー商会は客に接し始める。塩の価格、砂混じりと揶揄される低品質の塩だが町の住民には他に買う手段が無い。
文句や不満があっても買うしか無かったのだ、しかしそれがハッキリと変わりつつあった。すなわち、競争相手の登場である。
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「あっ!嘘つき(ライアー)のブド・ライアー商会の馬車だよ!!」
小さな子供が冒険者ギルド前に停めてある馬車を指差して言った。母親に連れられて冒険者ギルド前の名物、機構仕掛けの自動販売機で塩を買おうとしたのだろう、その行列に並んでいた。
列に並ぶ誰もが害虫を見るような目でその馬車を見ていたが、その子供の発言が引き金となり口々にブド・ライアー商会の悪口を言い始める。
商会の宣伝だとばかりに馬車にはブド・ライアー商会と文字が浮き彫りにされた看板が打ち付けられ、塩を入れた麻袋の絵が描かれている。一目でどこの誰が乗る馬車か分かる仕様となっていた。
現代日本で言えばラッピングバスのような感覚だろうか。路線バスの車体に会社のロゴや商品の画像がプリントされているアレである。
しかし今日に限って言えばその馬車の目立つ外観が悪い方向に働いている。いわゆる悪目立ち、嘘つき(ライアー)商会の悪趣味な馬車…中には大嘘つきが乗っているとばかりに嘲笑の…あるいは罵声の格好の対象だ。
ある種の炎上状態だが、そんな時に更なる燃料が投下される。
「あじゃパァーッ!!」
突如冒険者ギルドの扉が開き、中から一人の男が放り出された。間抜けな声と共に吹っ飛び、目立つ馬車の前に転がった。
小太りな外見、泥に塗れたとは言え上質な仕立ての服、小狡く町の人々を見下していた顔、その男はよく知られていた。『金は有るが嫌な奴』…まさに時の人、ブド・ライアーであった。
「おっ!誰かと思えば『嘘つき野郎』(ライアー)じゃねえか!」
「だけど何で冒険者ギルドから吹っ飛んで来たんだ?」
「ああ、アレじゃねーか?冒険者ギルドが本物の『かれー』を売るもんだから」
「文句言いに来たって訳か!?心底クズだな、コイツ!」
普段の行いのせいか、まだ立ち上がれないでいるブド・ライアーに手を貸そうとする町の衆は誰もいない。むしろ、良い気味だとばかりに嘲笑の追撃が続く。
「それにしても冒険者ギルドは良い仕事するよな。この『しろいしお(白い塩)』と言い、『かれー』と言い…」
「ホントホント!それにこうやってムカつく奴を道に転がすとか胸がスーッとするぜ!!」
「そうだ!そうだ!天罰ってヤツだ!」
拍手喝采、手を叩いて喜ぶが如く住民たちは盛り上がる。
「お、俺はあの『やきそば』って奴がたまんねえ!」
「アンタたち、『あじのひもの(アジの干物)』を知らないのかい?アタシら猫獣人族まっしぐらだよ!」
「そうだよ、そうだよ。アレに比べたら嘘つき(ライアー)商会の干魚なんて偽物も良いところさ!」
「いや、待ってくれ!実は海藻も取り扱いがあって…」
「いや、『らめえぇぇ!?ん』を忘れてもらっちゃ困る!」
「てゆーかぁ、『たいやき』の名前が出てこないとかありえないんですけどー?」
「にんじん…しゅき…」
終いにはブド・ライアーの事はそっちのけで冒険者ギルドの…正確に言えばゲンタの繰り出す商品への賞賛が種族や老若男女を問わず巻き起こる。
そのうち話題はどんどん飛躍していき、例えば猫獣人族に大好評の魚の干物を食べてみたいと感じる人族が出てきたり、女性にとって甘いものというは正義なのか…まだたい焼きを食べた事の無い人が食い入るようにたい焼きの話を聞いている。
どうやらたい焼きを食べた事のある人もない人も塩を購入し終わったら冒険者ギルドに次にいつ売るのかを問い合わせ、あるいはまた屋台を出してもらうように依頼する事をその場で決める。
いつの世でもやると決めた女性たちのエネルギーはとても強い、それはここ異世界でも同様のようだ。
そしていつの間にかブド・ライアーは姿を馬車と共に消していた。最初こそ嘲笑や罵声の対象となっていたブド・ライアーであるが、町の住民たちの話題はつまらないものから興味のあるものに変わっていた。
彼らにとってブド・ライアーはわざわざ手に取るような存在ではない道端の石ころくらいの価値であった。目について憎らしく感じたら蹴っ飛ばす、そんな存在である。
他で塩が買えるとなればブド・ライアーを相手にする必要は無い、ましてやカレーの一件で評価はさらに下がった。この商会から物を買おうと考える人は減りに減った。
他では買えない物か、あまり遠くに買い物に行けない人ぐらいしかブド・ライアー商会で買う人がいなくなってきたのである。これをきっかけにブド・ライアー商会はより経営状態を悪化させていくのである。
そのブド・ライアーであるが再度の冒険者ギルドへの訪問を諦める事にした。入ろうとしたところで通算二度目の吹き飛ばしに遭う事は明確であるし、もしかするとより厳しい処置を喰らうかも知れない。
それならばと冒険者ギルドで情報を集める事を諦め、この町に来ているネネトルネ商会と接触を取ろうと考えたのである。しかし当のネネトルネ商会がどこにいるのかが分からない。何の手がかりも無いがブド・ライアーは商業ギルドに向かう事にした。もしかするとこの町の商人が何も知らなくとも出入りする他の町の商人から何か聞けるかも知れないと考えたのである。
あるいはネネトルネ商会がなんらかの手続きか商談、情報の収集にでも来るかも知れない。どこに向かったか分からない以上、訪問しそうな場所を探してみる…正しい判断とは言えるだろう。
しかし、ブド・ライアーに根本的に欠けているものがある。
相手の事を考えるという気持ちである。いきなり訪ねて来られても予定というものがある。ましてやこの町で商売をするというのであれば、有力な取引先を確保する為にとにかく数多く会談するものだ。
そんな忙しい相手に対し事前の約束も取り付けずに会おうとするというのは常識に欠けていると言えた。しかし、ブド・ライアーが興味を持つのは自己の利益のみ。相手の都合など考えもしない。
それでは会いに行ったとて断られる公算が高い。
そうしてブド・ライアーは品質に不満を持つ住民…いわゆる一般消費者を失い、その次に商家や商会といった大口の売買相手を失っていくのである。
築き上げてきたブド・ライアーの牙城、その土台は扱ってきた塩で作ったが如く脆いものであった。しかもその脆い土台を支えていた人は次々と離れていく所であった。
役目を終えた役者は舞台を降りるのが常である。ブド・ライアーという者が表舞台から去る…その時は確実に迫りつつあった。