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第19話 夕闇染める町の中。彼らはパンをフライングゲット!


「ゲンタ様!!」


 ミーンの町を夕闇(ゆうやみ)が染め始めた。その人はそこにいた。冒険者ギルドの受付嬢、エルフのシルフィさん。


 パンを食べ終えたナジナさん、ウォズマさんもどうした事だとばかりに様子を見守っている。


「シ、シルフィさん、どうしたんですか!?」


 パンの納品の件だろうか。先ほどの話では採用でも不採用でも、マオンさん宅に連絡が来る事になっている。だが、採用されるとするならばギルド(マスター)の許可がいる。


 普通、こういう事ってトップが決めるまで色々と時間がかかるものだ。それがこんな短時間で判断がされるなんて…。


 もしかするとパンが『取るに足らない、不採用』と判断されてしまったのだろうか…?


「ゲンタ…」


 僕の不安が表情や声に出てしまったのだろうか…、マオンさんも心配そうに僕の横に来る。


 この間、ほんのわずかな時間なのに夕闇が少し濃くなったようだ。それにつられて僕の不安感も濃くなっていく。例えるなら幼い頃、日暮れを前にして自宅に帰り着いていないような…そんな心細さを思い出した。


 そんな中、シルフィさんが僕のすぐ真ん前に来た。どんな結果でも…もう逃げられない、だから僕は覚悟を決めた。


 イエスかノーか…その結果がどちらになったとしても…。ただ、その結果を告げに来てくれたのがシルフィさんだった…、そういう事なんだから…僕はそう思い目の前の麗人の言葉を待った。目を逸らさずに…。


 薄暗い中でも彼女の美しさは変わらない。その彼女から告げられるのがたとえ絶望であったとしても…、きっと何の(あらが)いもなく受け入れてしまうんだろうなあ…。そんな事を考えている自分がそこにいた。


「ゲンタ様、マオン様。パンの納品についてミーン冒険者ギルドの決定をお伝えに参りました」


 来た!やはり来た!


「はい」


「ゲンタ…」


 僕は不安そうに呟いたマオンさんの手を取った。僕がこの世界に来て一日目、マオンさんとはたくさん話もしたし、一緒に痛い目にも遭った。


 嫌な奴も含めて色んな人と話をした。だが、それら全てマオンさんがいなければこんな色々な経験は出来ていない。


 クローゼットを開けてはるばると…。そもそもこちらの世界に来ないで日本に残ったままだったなら…。コロナ禍でもあり所持金も心細いからきっと僕は外に出ることもなかったろう。誰とも話さない一日、きっとそれがこれから毎日…そんな日々が続いただろう。


 だからマオンさんの手を取った、一日だが苦楽を共にした。縁も所縁ゆかりもない、世界すら違う人…。だけど笑うにしても泣くにしてもそれはマオンさんと一緒に、そう思ったのだ。


「ゲンタ様、ミーン冒険者ギルドは貴方にパンの納品を正式に依頼致します。(あわ)せて冒険者登録をお願い致します」


「い、いやったあぁぁぁ〜!!」


 僕はマオンさんの手を両手で包むように握った。認めらる事がこんなにも嬉しいとは…!


「マオンさん!やりましたよ!」


 マオンさんも笑顔でうんうんとうなずいている。


「あれだけ旨いんだ。まあ…そうなるわな」


「ああ、オレも確信していたぜ」


 ナジナさん達は採用を信じて疑わなかったようだ。


「それと、これは個人的な意見ですが…」


 シルフィさんが小声で遠慮がちに声をかけてくる。


「あのパンはとても素晴らしい物でした。きっと誰をも笑顔にする素晴らしいパンです。時に冒険者というのものは命を落とす可能性がある生業(なりわい)。昨日生き伸びた命が、明日も続くとは限らない…自然と殺伐とした刹那的せつなてきな生き方になる冒険者(ひと)も出てきます」


 そう話した後、ですが…と呟き一拍おいて彼女は続ける。


「このパンを食べている間、きっと誰もがその味に、柔らかさに触れ自然と笑う事が出来るでしょう。冒険者は怒る事も泣く事も、他にも無くしていくものが多い中で、この時だけは生き延びるだけの(けもの)ではなくなる。心を取り戻しまた再び泣く事も笑う事も出来る、そんな自分に戻れるような…そんな人間らしい感情を思い出させてくれるようなパンに思えるのです」


 彼女はそう言って僕に微笑みかけてくれた。



「って事は、兄ちゃんのパンがギルドで食えるんだな?」


 ナジナさんの問いかけに、ええ、と応じるシルフィさん。それは楽しみだ、とウォズマさんが微笑む。


「ゲンタ様はいつからギルドに納品されますか?」


 うーん、明日からでも納品できるからなあ…、それなら早い方が良いか…。


「では、明日からで」


「!?」


 シルフィさんが目を見開く。


「こ、これだけのパンを…ですか!? 」


「は、はい」


 僕はそう返答(かえ)した。


 シルフィさんは信じられない、といった表情。でも、そんなに大変かな。僕にしてみればスーパーで買い物して持ってくるだけだし…。


「ちなみに納品はいつ頃の時間が良いでしょうか?」


 僕の問いにシルフィさんが居住まいを正して応答(こた)える。


「日の出の少し前くらいでしょうか…、そのぐらいの時間から依頼を受けに人が集まり出すので」


 この世界の時間の考え方は割とアバウトだそうだ。


 日の出から日の入りが昼、日の入りから日の出までが夜。だいぶ暗くなっているが今はまだ日が没みきっていないのでまだギリギリ昼間という事になる。腕時計をチラッと見ると五時過ぎである事が分かった。


 ちなみに異世界も日本と季節が同じ春であった。


 日本なら春分と秋分の日は昼と夜の長さは同じ。今は春分を十日ほど過ぎたばかりだから、昼も夜も長さはそう変わらないだろう。


 まあ、明日はとりあえず五時くらいにここに来てみよう。


「それにしても…、明日の朝からとは…、あと半日であれほどのパンをご用意できるとは…。驚きを禁じ得ません、ご無理はされていませんか?」.


「ご心配をかけてすいません。でも、大丈夫ですよ。このリュックにはまだあといくつかならありますし…」


「「「ッ!?」」」


 シルフィさんも、またナジナさんとウォズマさんも僕の声に反応した。中でも一番反応が早かったのはシルフィさんであった。


「ゲンタ様、もしよろしければあのパンをお売りいただく事はできますか?恥ずかしながら…、受付にいる私達三人ともあのパンの(とりこ)になっておりまして…」


 シルフィさんがおずおずと申し出る。


「え、は、はい。分かりました!」


「お値段は…、本当にひとつ白銅貨五枚で良いんですか?」


「はい」


「オイオイ!ちょっ…待て、待てって!兄ちゃん、白銅五枚って…、お前…マジか!?」


「安いのはありがたいが…、ゲンタ君。君の損になってしまわないかい?」


 ナジナさんとウォズマさんも心配の声を上げる。


(ワシ)ももっと高くても買い手は付くと言ったんだよ。商人ギルドで一山当てたような奴からなら銀貨一枚(日本円にして一万円相当)でもいけると言ったのじゃが…」


「そ、そうだよな…、あのジャムなら…。い、いや中身だけじゃねえ、パン自体だってよう…、真っ白で柔らかくて、まるで生きてるみたいなパンだ」


「ああ、あのパンだけでも相当なものだ」


 僕としては五十円以下(税抜)になった菓子パンだからなあ…、白銅貨五枚(500円)で売れるだけでも十分に大儲けなんだが…。


「い、いえ。売る場所が無ければどうにもなりません。町中じゃ商人ギルドの目が光っているかも知れませんし…」


 どういう事だ?とばかりにナジナさんが聞いてくるが、


「いえ、ご心配なさらずに。ところで何のパンが良いでしょうか?今あるのは…」


 リュックを開けてみるとパンが六つ残っていた。


「六つか…」


 そうなると単純に分ければ二つずつ…、シルフィさんは他の受付嬢の二人もパンを欲しがっていると言っていたしなあ…」


 六個じゃこの人数には足りないな…。どうしよう…。


「ちょ、ちょっと待っていてください」


 またもや僕は納屋に走った、クローゼット経由で部屋に戻り、昨夜に買ったスーパーの袋をそのまま引っ掴んで走る。


 四人が変わらず僕を待っていた。ブルーシートを敷いた場所にパンを並べる。今持ってきた袋にはパンが10個入っていた。合わせて16個、これなら大丈夫か。


「えっと、では販売を始めます」



ジャムパンが5個、あんパンが6個、クリームパンが2個、コロッケパンが2個、そして最後にメンチカツのパンが1個。


「ゲンタ君、実は先程パンを食べた時に妻と娘の顔が思い浮かんでね。持ち帰っても良いだろうか?」


「ええ、もちろんです。あと自分も考えていたのですが、一人当たり二個までの販売にさせて頂こうと思うんです。なるべく多くの皆さんに食べてもらいたいですし…」


「2個かぁ〜、どれにするか悩むなあ、オイ」


 ナジナさんがヒジでウォズマさんをつつく。すでに顔はパンに対する期待からか緩みきっている。


「うーん、2つとなると確かに悩むな。妻と娘の好みもあるし…」


「今回に限っては、シルフィさんはフェミさんとマニィさんの分もで6個まで、ウォズマさんもご家族の分としてひとりふたつまでな合計6個まで良いですよ。えっと、ナジナさん…ご家族は…?」


「俺は独身(ひとりみ)だ」


「となると…、2個という事に…」


「な、それは無いぞ!ゲンタの兄ちゃんよォ。お、俺だけ2個ッ、2個てのは無いぜえ」


 掴みかからんばかりにナジナさんが僕に迫る。半端じゃない迫力だ。もしここが日本ならお巡りさんに助けを求める声を上げてもやり過ぎとは言われないだろう。


「じゃ、じゃあ一番最初にどれにするか選んで良いとか…」


「ぐっ!そ、それは…」


 揺れているな…、もう一押しか…。


「それに明日になれば、また売りに行く訳ですし…。違う種類もご用意出来るかも知れませんよ」


「ぐっ、分かったあ!俺が最初って事で良いな!」


 再びナジナさんがどっかりとブルーシートに座る。


「よ、よし。選ぶぞ!ところでまだ見ていなかった新しい形のパンがあるのだが…」


「あ、はい、説明しますね。これはクリームパンと言って…」


 僕はクリームパンとメンチカツの入ったパンの説明をした。


「ゲンタ、今日の(ワシ)は驚いてばかりじゃ…。まだ他にも種類があるとは…」


「まったくだ…、『くりぃむパン』とは…」


「私も驚きを禁じ得ません。こんな甘味があったとは…」


 マオンさん達も感嘆の声を上げる。


「ところで…ナジナさん、パンはどれにしましょうか?」


すると、ナジナさんの目からツーッと涙が流れた。


「……のだ」


 え?


「…出来んのだ」


 そしてドバーッと爆涙(ばくるい)する。


『で、出来ぬ…、俺には。俺にはこんな凄いパンが数多くあるのにたった二つだけを選ぶ事など出来ぬ!」


 ええ〜ッ!?


「俺には…、俺には出来ぬのだ。ジャムパンとあんパンの特徴ある甘味…、コロッケ…だったか…あの腹にたまる具の入ったパン、あの黒いソースには甘味だけではない、塩味えんみもある。そして、えも言われぬ香り….。アレの前では誰もが腹を空かせた狼よ…。だが、だがそれよりもッ!」


 ぐわっ!!ナジナさんが天を仰ぎ見る。


「俺がまだ知らぬ味があるっ!それも二つだ!!く、『くりぃむ』だと!果実も使わずどう甘味を出すというのだ!さらに、『めんちかつ』となッ!肉を細かくした物に野菜と塩などを加えて()り込むだと!しかも、肉とパンを()げる?揚げるとはなんだ?揚げるとはッ!?まるで分からぬッ!だが、俺の戦士のカンが告げているゥッ!間違いなく美味いとッ!」


 うーん、どうしよう。なんか長くなりそうだから先にウォズマさんやシルフィさんの方を先に解決しようかな?そう思っていたら…、


「ナジナ、選ばなければ食えないぞ。あと、シルフィ嬢が帰れないから先にパンを選んでもらうぞ」


 ウォズマさんの助け舟が入った。


「それはいかん!今決める!」


 結局、ナジナさんはメンチカツのパンとあんパンをすぐに選択した。さっきまでの決められないとか言ったのは何だったのだろう。しかし、ナジナさんは先程まで迫力ある涙を流していたのに今はニコニコ顔だ。


「やっぱり肉だな、肉。それにあんパンな!」


 ナジナさんは嬉しそうに言っている。やけに喜怒哀楽が激しい。一方、相棒のウォズマさんは次に選ぶ順番をシルフィさんに譲っている。うーん、何と言うか大人ってこうあるべきだなあ。


 シルフィさんはジャムパンとあんパンを3つ選んだ。女子にはやはり甘味なのかな。ちなみに受付嬢さん達は昼間食べて感動したこのパンをそのまま今日の夕食にするらしい。


 ウォズマさんはジャムパンとあんパンを二つずつ、コロッケパンとクリームパンを一つずつ選んだ。家族三人なら分け合う事で色々な味を楽しめるし、妻と娘は甘いものをきっと喜んでくれるだろうと嬉しそうだ。


 パン14個で僕は7000円の売り上げを得た…、元値は千円にも満たないのに凄い利益だ…。コンビニバイトがなくなり、お金の心配がある僕にはもの凄くありがたい事だった。


 そして、僕はパンを包装しているビニール袋の開け方を伝えた。合わせてそのビニールを次に会った時に返して貰うようにも伝えた。環境破壊とかこの世界ではまだ無いかも知れないが、下手にオーバーテクノロジーな物を流通させるのは良くないかもと考えた事がその理由だ。


「うーん、売れた。ありがたい!それにしても凄い儲けだ」


 僕は一日のバイト代よりも沢山稼げた事を喜んだ。しかし、この時の僕はまだ気付いていなかった。これは始まりに過ぎない事を…。ふとある時に預金残高を確認したら…、記載されたもの凄いケタの金額になる事を…僕はまだ知らなかった。



 ナジナさん達を見送ってマオンさんと二人になった。地面に敷いたブルーシートを回収し、納屋に置かせてもらう。明日の事を簡単に打ち合わせして、ブルーシートと共に冬場に部屋のコタツの下に敷いていた保温用の銀マットを

マオンさんに手渡す。


「夜は冷えると思いますのでコレを体の下に敷いて下さい。

 地面に体の熱を奪われるのを防げると思いますので」


納屋では雨露(あめつゆ)は防げるだろうが、冷え込みには

弱いだろうと思ってマオンさんに勧めた。


「それと、残り物みたいで申し訳ないのですが…、このパンをどうぞ」


 そう言って残ったクリームパンとコロッケパンを渡す。


 こんな高いパンを…とマオンさんは遠慮したが…。


「是非食べてみて下さい、お客さんにコレはどんな味だと聞かれた時に、知らないと説明できませんから」


 そう言って手渡し、明日の再会を約束して僕はマオンさん宅の敷地から外に出た。


「じゃあ、マオンさん。明日はよろしくお願いします。おやすみなさい!」


 気をつけて帰るんだよ、マオンさんが手を振る。僕も手を振り返しその場を後にする。


 裏路地に入り、周りに誰もいない事を確認すると僕だけに見えるクローゼットの戸を開けて自室に戻る。誰もいない薄暗い部屋が僕を迎え、時計を見ればもうすぐ六時だ。なんかもの凄く色々あった一日だったなあ…。


 窓の外を見ると雨によって濡れた地面が街灯に照らされている。だけど空を見れば雲の切れ間から星が見えている。どうやら雨雲は通り過ぎたようだ。雨はまだやんだばかりなのかも知れないけど。


 天気の心配がないなら今日は駅前のスーパーを色々とハシゴしてみようか。雨だったならどうしたって客足は鈍る。結構パンが売れ残っているかも知れない。それにドラッグストアなんかにもパンは売っているな。


「よーし、ゲンタ号発進!!」


 僕は原付を走らせ、買い物に向かうのだった。

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クローゼットの戸が主人公にしか見えないって描写ありましたっけ? 私が見落としていたらすみません。 あとは転売対策をどうするかでしょうか。 個数制限をつけたところで別な人を雇って買わせれば良いだけの話な…
[気になる点] はい、パンを売るのに20話かかりました。
[気になる点] 顧客が虫歯になる?
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