第195話 商人としての仁義 & ブド・ライアーのカレー (ざまあ回)
「僕がネネトルネ商会さんと取引をするにあたって条件としたいのは…、ヒョイオ・ヒョイさんの社交場などで利用してもらっている紅茶などをこの町で販売しない事です」
「…それは…」
どういった意味で…?という事だろう。だから僕は続けた。
「僕はヒョイさんにいつもお世話になっています。この町の社交場や劇場などでお客さんに出しているものをネネトルネ商会さんでも売るという事になっては顧客の取り合いになってしまいます。あるいは社交場でお客さんに接しながら提供する分、値段的に不利になるでしょう」
例えば紅茶ならヒョイさんがこの社交場で適温のお湯で淹れている。場所代もかかるし、ヒョイさん自身やここで働いている人の給金だって必要だ。
逆に商会はそこまでしなくていい。紅茶を淹れずともいいし、ミミやメルジーナのように給仕をするなり歌う必要も無い。その分、ヒョイさんたちの設定した価格より容易に安く出来るだろう。
極端な話、仕入れた品物が右から左へと売れてしまえば在庫を管理する手間も要らない。単純に売価と仕入れ値の差が粗利になる。そうなると僕という例外を除けば、ヒョイさんの社交場だけで飲む事が出来るという付加価値が無くなったしまう。
「買う人がどの店で買うか…、それを自由に選べる事は大事です。でも、僕には僕から品物を買ってくれるヒョイさんとの信頼も大事です。だからどうでしょう?ネネトルネ商会さんでは紅茶などヒョイさんの所で取り扱っているものはこの町では扱わない。もちろん他の町で売る分には構いません。それで良ければお譲りします」
僕のこの申し出をイブさんは了承したので、明日の午後にでもヒョイさんを交えこれからの取引について話し合っていく事にした。
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その頃、ブド・ライアーは…。
日付が変わりカレーを販売すると大々的に告知していたブド・ライアーであるが…、その商売の滑り出しは最悪であった。
前日の騎士の刻(午後11時)過ぎくらいにはカレーを求めて町衆が並び始めていた。それも一人や二人ではない。それはそうだろう、貴重な香辛料を使った料理だ、並びたくもなるだろう。
白銅貨30枚(日本円で三千円)に設定したのは安過ぎたのかも知れない。貴族だ、商家などの金がある上客には道端で食わせる訳にはいかない。ゆえに屋内に案内する代わりに白銅貨50枚(日本円で五千円)に設定したが、この様子なら店の外に並ぶ有象無象どもに白銅貨50枚の値段で提示してやれば良かったかも知れない。
そしてその値段が払える奴にだけ食わせて、後に40枚…30枚と下げていけば良かったか、そうすればより利益になった。俺とした事が『かれー』とやらの人気と知名度を少し見誤っていたか…ブド・ライアーはそんな風に考えていた。
それにしても…辻売の奴らは使えねー、ブド・ライアーはそんな事を考える。
「でも、まー仕方ねーか。あいつらみてーな辻売程度じゃ香辛料なんて触った事ねーだろーしな」
確かにブド・ライアーが呼び出した辻売の料理人たちは自分たちのスープに香辛料を入れた事なんてない。しかし、食べ比べてはいた。
ブド・ライアーの屋台で出していたスープを彼らは食べていた。さすがに一人一杯を買えず、あくまで付き合いとして全員で一杯の香辛料スープを買い求め全員で分け合って食べてみた。
だからこそ彼らは分かったのだ。冒険者ギルドで売っていたカレーとブド・ライアー商会の香辛料入りスープ、モノが違うのは素人でも…いや子供でも分かる。
ブド・ライアーのところのヤツとは違う。香りも見た目も味わいも、そして入ってる具も。その上で辻売たちは到底出来ないと言ったのだ。
いくら辻売とは言え料理を作って売っているのだ、ブド・ライアー商会のスープで使っていた材料では絶対に無理だという事…それは確実に分かっていたのだ。
しかしブド・ライアーはその事に気付かない。実際に食べなかったのでその差異に気付かなかった。そしてゲンタの事をみくびっていた、冒険者ギルドの素人集団が作れる程度の料理。と、なれば自分の商会で扱う塩と香辛料…正確な名前を知らないが香辛料は香辛料だ。だとすれば『かれー』とやらが作れない筈がない、そう考えていた。
ではなぜ自らの商会の香辛料入りスープが売れず、冒険者ギルドの香辛料料理が売れたのか…、ブド・ライアーはその理由を商品名にあると考えた。
例えば有名な葡萄酒や琥珀酒には銘酒と呼ばれるものがある。『天上の至福』とか『豊穣の息吹』など名のある酒は無名の同種の酒の五倍、十倍の値が付く。
そういう意味では冒険者ギルドの連中は上手い事やったとブド・ライアーは思った。冒険者ギルドの連中、馬鹿なら馬鹿なりに頭使ったじゃねーかと感心さえした。
だから自分の香辛料入りも同じような…、いや自分は町の大商会の主人ブド・ライアー様だ。
「そんな俺様が扱う香辛料を使ったスープなんだからよー、『かれー』って名乗ったって問題ねーよな」
そんな事を独言ながら、むしろもっとスゲーものを作っちまったかと自画自賛していた。
『かれー(自称)』の人気は凄まじい。販売開始まで半刻(約一時間)前には軽く百人以上が並び、四半刻(約三十分)前にはどこまで並んでいるかも分からないくらいだった。
もうブド・ライアーは笑いが止まらなかった。並んでいる町の衆…、その一人一人が白銅貨三十枚を右手に握りしめているようにしか見えなかった。
手代たちに商会にある一番大きな木箱を用意させるかとさえ思った。並んでいる奴らがじゃらじゃらと白銅貨を投げ込めるような…。さあ、早く日付よ変われ!その時がこの町の硬貨を全て攫うような記念すべき日になるだろう。そんな確信をしていた。
「よーし!どんどんスープの在庫を作れ!そうだな、千人分…いや二千人分だッ!今すぐかかれ!丸一日あればどれだけ売れるか分からんぞ!足りなくなる事だけは避けねーとなあ!」
急遽、商会の手代たちと鍋釜を総動員してどんどんスープを作らせた。それが先日の広場で売ろうとして作れば作っただけ売れ残り大損した香辛料スープと同じ結果になろうとは…。
この時のブド・ライアーは思いもしなかったのだ。
□
「おいっ!なんだよッ!これは!?」
ブド・ライアー商会に並んでいた先頭の客が激怒している。
「そ、その…『かれー』ですが…」
客たちのあまりの剣幕に木皿に香辛料入りのスープを注いだブド・ライアー商会の手代が怯えながらも回答える。
「ふざけんじゃねえッ!!どこが『かれー』だ!」
「そうだ、そうだ!香りも全然しねえ!香辛料のカケラも入ってねえ!」
「色が違うぜ!本物はもっと輝くっつうかよお!」
「それになんだよ、コレ!水じゃねーか!『かれー』はもっとトロリとしてるモンだろーが!」
カレーを心待ちにしていた行列が最早暴徒の群れになるのは時間の問題ではないか…、ブド・ライアー商会の誰もがそう思った。
「おい、さっき偽物を出しといて偉そうな事言ってた…、おう!テメェだよ、テメェ!」
「コイツ商会主のブド・ライアーだッ!!」
「こんなクソみてえなモノを売りつけようとかナメてんじゃねーぞ!」
販売開始前に意気揚々とスピーチまでしたブド・ライアーは雲行きが怪しくなり、手代たちの陰に隠れるようにしていたが見つかってしまった。
そのせいで町の衆の怒りはさらに燃え上がる。手近な石を拾って投げ付ける者、繰り返される怒号。それ以外にも商会の建物など形あるものを足蹴にする者も現れた。
もう手が付けられないと思われた時、詰所から武器を持った兵士たちが駆けつけた。手代の一人が詰所に走ったのだ。
夜間の見回りの兵士には治安維持の為に強い権限が与えられている。夜中に怪しい素振りをしていれば仮に騎士爵であっても抵抗すれば殺害される事もある。
そもそも夜に出歩く事自体が怪しいのだ、この夜間の取り締まりが命に関わる程に厳格なのはかつての日本でも同様であった。人権が保証されている今日の日本でも夜間は職務質問の対象となりやすい事を考えれば、いかに警戒されているかが分かるだろう。
その強力な権限を持つ兵士たちが出張ってきた事でブド・ライアーは九死に一生を得て、町の衆は追い散らされた訳である。
しかしながらブド・ライアーは『かれー』で大儲けをしようという目論見は外れ、さらに貴重な香辛料を無駄にするという損害を抱える事になった。
これは何よりブド・ライアーには耐え難い事であった。
だが、ブド・ライアーは気付いていない。まだ他にも失ったものがある事を。それはゲンタが取引をする際に大切にしている信頼、信用と言ったものである。
しかし、金のように数を数える事も、品物のように重さや相場など金銭的、物質的な価値や数量などを認識出来ないものというのはブド・ライアーにとって一番理解から遠いところにあるものであった。
次回予告
次回もブド・ライアーの目論見は外れる?ビジネスチャンスが減っていく…