第192話 貴族様のブランチ(上) ゲンタ、軽食を用意する
「あー、やっぱそうだよなー。坊やがヨソで『かれー』作る訳ねーもんなー」
「やっぱブド・ライアー商会がウソ言ってたんだな」
「ああ、ニオイからして違ったもんな」
一夜明け、いつも通り冒険者ギルドでパンの販売をしていると、冒険者の皆さんがそんな声をかけてくる。
「ニオイからして違った?ブド・ライアー商会に行かれたんですか?」
「ああ、『かれー』が食えるって聞いたモンでな…。思わず時間前から並んじまったよ」
「ちなみに、どうでした?」
「ひでえのなんのってよ…」
「あんなの『かれー』じゃねえよ。ニオイはしねえし、ただのスープだ。そこら辺の屋台で売ってるのとそうは変わらねえ!」
「色が付いてねーもんな!一目で偽物だって分かるぜ」
どうやら似ても似つかない代物だったらしい。
「だとすると、カレーを知っている人は怒ったでしょう?」
「ああ、怒った怒った!」
「いや、怒ったなんてモンじゃねえぜ!」
「ちょっとした騒ぎになってな。せっかく並んで出てきたのがそれじゃなあ…。終いには詰所から兵士が出てくる事になってな」
どうやら僕の協力は得られなかったが、販売を強行したらしい。その結果として大失敗をしたらしい。
「ヒョイ氏の予想通りでしたね」
パンの販売を終えてみんなでテーブルを囲んでいた時にシルフィさんがそう言ってきた。
「そうですね、ブド・ライアーはあれだけ大々的にやると公言した以上は引くに引けないってのもあったんでしょうね」
「と、なるとやはり午後から…」
「はい、シルフィさん。これもヒョイさんとの打ち合わせ通りですね」
「なあ、坊や。そうなるとアタシらは何をすれば良いんだい?」
今日の護衛を引き受けた猫獣人族のミケさんから質問の声が上がった。もちろん彼女の三人の弟さんたちも一緒だ。
「はい、今日は昼前にヒョイさんの社交場に行って料理作りですね」
「なっ!?坊や、他所でメシ作るのか?」
ミケさんの弟の…、えーと…髪の色から判断してサバさんだな。
「そうなんですよ、サバさん。もしブド・ライアーがカレーの売り出しを諦めていたら何にもしなかったんですけどね」
うん、間違いを指摘されていない。サバさんで名前は合っていたようだ。
「そうなると、全面的にブド・ライアーとやり合うって事にしたんだな、ダンナ?」
マニィさんがニヤリと笑って聞いてきた。
「そうですね。広場での事も、昨日のギルドでの態度も笑って許せるほど僕は人間がデキていないもので…」
「うわぁ…、ゲンタさんやる気ですぅ…」
フェミさんが僕を見つめながら言う言葉に僕は頷きながら、
「売られたケンカは買いますよ。ましてや僕だけじゃない、巨大猪の買取の時の事を考えれば色々と迷惑を撒き散らしているような感じですね。それと…」
隣に座るマオンさんと視線を合わせる。
「子供の不始末は親の責任です、ギリアムのね。町の鼻つまみ者を野放しにしていた事もありますし…、その仕返しくらいはさせてもらいますよ。ケンカもね…商人には商人のやり方があります。少し忙しくなりそうですが頑張りますよ」
そんな事を言いながら僕は今日の予定をもう一度確認するのだった。
□
感覚的に言えば午前11時頃、僕とマオンさんに護衛のミケさんたち四人とヒョイさんの社交場にやって来た。
この社交場では昼は主に喫茶と軽食を扱うカフェスタイル、そして夕方頃からは酒類を扱うパブタイムとなるらしい。
だから今はカフェスタイルの時間と言う訳だ。
町衆は早朝と夕方、つまり仕事と就寝の前のタイミングで日に二回の食事を摂るのに対して貴族というのは日に三回の食事を摂るという。
朝、昼、晩の三度の食事、このあたりは現代人の僕と感覚は近い。では贅沢なのかと言えば必ずしも正確ではない。しかしその三度の食事、ただ食べるだけではない。人と会い様々な話をする、いわゆる会食だ。
そこで様々な人脈を築くなり、商人と商取引をするなり、あるいは遠方の話を仕入れる。日本の戦国時代でも領主になかなか会えないかというとそうとも限らなかったという。他国の噂話を仕入れたりするのだ。
それはここ異世界でも同様であるらしい。だからせっせと貴族や爵位を持つ者は会合をしたり、商人と組む。力を増す為に派閥を作るのだ、利害が一致すれば組む。そうして次第にその地に根を下ろしていくのだ。
しかし、毎度毎度自邸で宴を開いたりするのはなかなかに厄介である。そこでここヒョイオ・ヒョイの社交場の出番となる。
気の利いた饗応を全て任せる事が出来る。これが良いのだ、準備や手配りなど自力でせずとも満足いく対応を得られる。そして利用するのはなにも貴族にしろ商家にせよ当主だけではない。特に貴族の場合にはその夫人が利用する。
よく貴族の婚姻は政略結婚と言われるが、それは嫁ぐ時までに互いの家を利用するだけではない。その後も続くのだ。
生まれた家との血の繋がり、生まれた家と他家との繋がり、そして生まれた家と地域との繋がり…それらを駆使して貴族社会を生き残るのだ。自家の力では働きかける事が出来なくても、周りを使って出来れば良いのだ。
もちろん、タダという訳にはいかない。それなりに手間なり代償を必要とする。当主には無い人脈、それを築くのも嫁いだ夫人の役割である。そしてそれが意外と馬鹿にならない。
「それではゲンタさん、準備はよろしいですかな?」
社交場の主人、ヒョイさんが僕たちに聞いてくる。
「はい、大丈夫です。もう出来ますよ…ほら!」
そう言って僕はパン焼き窯から焼いたものを取り出し、それを俎板の上で切り分けていく。
「さあ、試食といきましょう。これは熱いうちが勝負。ピザと言うものでしてね…」
そう言って僕はヒョイさん、護衛の四人と共に味見をする事にした。
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「追加、二枚入ったよー」
ウェイトレスをする兎獣人族の子が声をかけてくる。
「はーい」
そんな返事をして新たに二枚のピザを窯に入れる。
「だいぶ好評なようだね」
ざくざくとピザを切り分けながらマオンさんが言う。
「そうですね、どうやら忙しくなりそうです」
日に三回の食事をする貴族であるが、必ずしも三回とは限らない。二回という場合もある。ただ、庶民と同じような意味合いとは少し異なる。朝食が違うのだ。
夜明けには食べて仕事に向かう者たちとは異なり、貴族は忙しく過ごす訳ではない。そこで昼前くらいに朝食と昼食を兼ねたようなものを摂る。いわゆるブランチというものである。
昨夜、ヒョイさんと話した時にブド・ライアーに出来る事はカレーの提供を諦めるか、強引に料理を作るか…その二択であるがおそらく後者を選択するだろうと予想していた。
ヒョイさんによればブド・ライアーが嫌うのは自分の思う通りにならない事、そして頭を下げる事だと言う。なるほど、我儘って事かと納得する。
そんなブド・ライアーだ、カレーが用意出来ませんでしたと頭を下げるのを…、自分の見込み違いだったと認める事はほとんど無いだろうとヒョイさんは予想していた。
おそらく塩商人として手持ちの塩と最近扱い始めた香辛料、それを使って乗り切ろうとするだろうと。
しかし…、とヒョイさんは前置きした上で、
「あの『かれー』、他の誰にも作れますまい…。それこそ、老舗と言われるような店でもね」