第191話 それぞれの次の一手
ブド・ライアーが辻売たちと決別した時から半刻(約一時間)ほど時間は遡る。
冒険者ギルドを後にしてマオンは自宅へ、護衛にエルフの姉弟たちについてもらった。グライトさんは宣言通り飲みに繰り出すらしい。
そして僕は石窯搭載の荷車を引いてヒョイオ・ヒョイさんの経営する社交場に向かった。僕の隣にはシルフィさんが帯剣し同行してくれた。
「夜道の一人歩きは危険ですので…」
そう言って護衛としてついてきてくれたシルフィさん、本来なら僕が言わなければならないところなんだろうけれど悲しいかな僕は一般人。肉体的な能力に特筆すべきものはなく、魔力に至っては皆無だという。
仮に全く魔法と無縁の生活を送る人だとしても、この異世界ではどんな人にも魔力というものはあるらしい。それこそ『微粒子レベルで存在する』くらいには。しかし僕にはそれが全く無いらしい。そんな話は聞いた事が無い、シルフィさんはそう言っていた。
おそらくだが僕は科学技術が進歩した地球で生活してきた。あらゆる事が解明され魔法という存在は御伽噺の中にしか出てこないという事を知っている。
つまりはそれを行使する力である魔力の存在を信じていない。だからだろうか、魔力が無いというのは…。
「そう言えばゲンタさん、ヒョイオ・ヒョイ様の所には何のご用で?」
「はい、一つはいつもお世話になっていますから今日はお客さんとして…。それと、今後の…カレー販売の相談に、ですね」
そんなやりとりをしていたら目的地である何回か訪れた事のあるヒョイさんの経営する社交場にたどり着いた。
□
「これは…ゲンタさん」
「こんばんは、ヒョイさん。前触れもなくいきなり参りまして…」
「とんでもありません。ゲンタさんのお越しに皆も喜んでおりますよ」
案内された仕切られたスペース内にあるテーブルに着く。僕とシルフィさんは早速ヒョイさんの出迎えを受けた。
さすがに夜なので建物内は薄暗いが、それは演出というものだろう。薄暗さには薄暗さの良さがあるというものだ。
よく言う花火大会の夜、花火の明るさに浮かび上がる君の横顔が…なんて使い古された言い回しだが、おながち的外れと言うものでもない。
花火大会の夜なんて人通りは多いものだ。当然、周りには人は沢山いる。そんな時に照らされる間近で見る女の子の顔。
周りでだって同じ事は起こる。だけど薄暗さと言うものは都合良く周りを隠してしまうのだ。人混みの中で二人きりとでも言おうか、見たくないものを隠してしまう。
「実はヒョイさん、今日は単純にお客さんとして…」
「それは…、ありがとうございます」
「そして…、もう一つ」
「ふふ…やはり」
僕の会話の切り出しに、ヒョイさんがにこやかに応じる。
だが、さすがにいきなり来てまとまった時間を下さいと言うのは失礼なもの。しばらくはお店にお任せし、料理や飲み物をいただく。
夜を思わずような深いしっとりとした音楽が奏でられ始めたかと思うと、歌声が響き始める。メルジーナさんだろう。
しばらくシルフィさんとゆっくりとした時間を過ごす。交わす言葉は少なかったけど、それが良いのかもしれない。今日は何かと激しい一日だった。こうやって静かにゆったり過ごすのも悪くはない気がする。
小一時間は過ぎただろうか、彼女からエルフ族の森での生活を少しばかり聞いた頃、ヒョイさんがこちらにやってきた。席に着いてもらい、新しく料理や飲み物を注文する。
時間を割いていただいたお礼と、乾杯をして少し話をした後に僕は単刀直入に切り出した。
「実は今後の事で…。お知恵をお借りしたく…」
僕は夕方以降にあった冒険者ギルドでのブド・ライアー商会とのやりとりを話し始めた。
□
ゲンタがヒョイオ・ヒョイと会談し始めたのと同じ頃…。
「だ、旦那様。辻売たちは帰ってしまいましたが、これから先は一体どうされますか?」
ブド・ライアー商会の主人の居室にて、使用人が焦った様子で伺いを立てる。辻売、屋台売りの男たちはすっかり怒って帰って出て行ってしまった。あれでは協力は得られないだろう。
「狼狽える事はねーよ。今、店を構えてるトコに使いを出したんだ。辻売なんかとは違ーだろーから作り方くらい分かンだろ。これで解決だ」
ブド・ライアーは自信満々にそう言っているのだが、使用人からすればハッキリ言って『何言ってんだコイツ?』といった印象だ。
そもそも異世界のライフスタイルは早寝早起きである。日の出前に起き出し、手早く支度して仕事に出る。そして日の暮れと共に寝むのだ。何しろ暗闇を照らすには油が必要る。当然金がかかる、しかも安くはない。
ゆえに明るいうちに働く。この異世界では午後の六つの刻限は人の身分で表す。午後一時頃を王の刻と称し、一刻(二時間)ごとに女王、王子、王女、貴族、そして最後に騎士の刻へと移っていく。
今は貴族の刻が始まってからそれなりに過ぎている。貴族の刻と言われ始めた由来については諸説あるが、有力なのは明かりの為の油は高価であり貴族でもなければ買えないというものである。
こんな時間である。料理屋も寝みたいだろう。今日一日の疲れをとり、明日に備える為だ。まっとうな料理人なら明日の朝に早起きして市場に向かい、自らの目で素材を目利きして仕入れをする。料理人の朝もまた早いのだ、その一皿に職人としての魂を込める者であればあるほどに。
毎日、昼近くになって仕事場入りするブド・ライアーは根本的にそこが違った。さらに料理に使う材料にも差があった。ブド・ライアーは先日の広場でスープの屋台を出したが、使う野菜などは傘下の商店などで売れ残ったクズ野菜などを処分する場として利用しようとした。
料理人たちは良いものを作る為に材料から吟味しているが、ブド・ライアーはそれをしない。品物に対しての愛着とでも言おうか、広い意味での興味が他人に対してと同じくなかったのである。
ゆえに当然のように人を呼びつけ、利用しようとする。遅い時間にも関わらずである。また、この異世界では携帯電話のような便利な通信機器がある訳ではない。
ブド・ライアーに指示された手代たちは町を駆け回ったものの料理屋を構える店主たちは誰一人として呼びかけに応じた者はいなかった。
時間的には午後十時に迫ろうかという頃。出向けば移動に時間を要する、帰り道も同様だ。それなのに迎えの馬車の一つ寄越さない。そしてブド・ライアー商会に行った後に何をするのかと手代に聞いたら、『かれー』を作ってくれ、あるいは作り方を教えてくれという。それでいて報酬を何も提示する事もなくただ来てくれ、教えてくれと言っている。そんな勝手な言い分に誰も行こうとは思わない。
そして『かれー』を作る事、出来る訳がない。出来るんだったら料理人の自分がそれを真っ先にする。しかし、誰もそれが叶わなかった。冒険者ギルドに大量に届いたゲンタへの指名依頼、レシピを教えてくれというのは料理屋の店主などからが主であった。
また、ウチの店で『かれー』を作って売りませんかと言うのは場所を貸して上前をハネる為でもあるが、あわよくば同時にその作り方を見て盗む狙いもあった。
時間を止める事は誰も出来ない。もう半刻(一時間)もしないうちに騎士の刻(午後11時頃)を迎える。そのさらに一刻の後には日付が変わる。ブド・ライアーが告知したカレーの販売が始まるタイミングだ。
カレーの作り方は分からず、料理屋も辻売たちもブド・ライアーの元にはいない。自分と手代たち、それしか戦力は無い。煮炊きするにも時間がかかる、
ブド・ライアーは手代たちに竃に火を入れさせた。湯を沸かすにも時間はかかる、その間に材料を用意する。ほとんどが売れ残った野菜だった。
塩と、先日の広場での屋台の時より香辛料の量を増やすよう手代たちに指示を出す。まだ見ぬ客たちにどうだ高級だろう、せいぜいありがたく思え…本気でそう思った。
日付が変わるまであと少し。
ブド・ライアー商会の周りにはカレーを食べられると聞きつけた人々が集まり始めていた。