第190話 時に情報は刃に勝る & どうする?ブド・ライアー!
「それにしても新人、さっきのは傑作だったな。ブド・ライアーの野郎、顔が赤くなったり青くなったり…、見てて飽きなかったぜ」
ギルドマスターのグライトさんが上機嫌に話している。今日は気分が良いからこれから酒場にでも繰り出そうか、そんな事を言っている。
礼儀も弁えず勝手な要求をしたブド・ライアーを追い返し、再び居心地の良い空間に戻った冒険者ギルドで僕たちは談笑している。
「そう言えばゲンタ、ブド・ライアーが『かれー』を売るっていう話をどこで仕入れたんだい?」
「実はヒョイオ・ヒョイさんに聞いていたんですよ。昨日、社交場に行って商談をしていた時にそんな話が出ましてね」
「ヒョイ氏からですか?やはり、『かれー』を一皿でも多く売る為に…。後はお金のある方ですから、高値を付ける為に名士を呼んだ…という事でしょうか?」
と、これはシルフィさん。
「ええ、その通りです。それともう一つ、ブド・ライアーは社交場の兎獣人族の女の子の一人に懸想しているようでしてね。それでその娘の気を引こうと普段からしつこいそうなんですよ」
「ハッ!!なんだ、女目当ての挙句、自分の力で何にもしねえでダンナ頼りかよ!」
マニィさんが吐き捨てるように言う。
「でも、これには続きがありましてね…」
「あー!ゲンタさん、またちょっと悪い顔してますぅ」
フェミさんが何やら楽しそうに僕の顔を覗き込む。
「はは。なんでも兎獣人族の皆さんは辛いカレーはやや苦手で、甘い口当たりのクリームシチューの方が好きだそうで…」
「じゃあ、仮にゲンタさんが『かれー』を作ったとしても気を引ける訳じゃなかったって事ですね」
セフィラさんがまとめるように言った。
「そりゃあずいぶんと気の利かない話だな。そんなんじゃブド・ライアーの奴め、かなりの商売下手なんじゃないのか!?」
グライトさんの言葉にみんなが『違いない』と笑った。
□
その頃…。
冒険者ギルドを後にしたブド・ライアーは自らの商会に馬車を急がせた。途中、新しい店舗と倉庫を兼ねた敷地の前を通過する。
しかし、その工事は全く進んでいない。大きな店舗にそれに見合うだけの倉庫…ただ広いだけではない、高さもある。その高さが足枷となる。
高さを出すからにはそれだけ土台もしっかりしたものが必要になる。その土台作りには名人と名高いドワーフの石工とその弟子たちを呼んだ。ドワーフの石工の棟梁ガントンとその弟子たち…。しかし、いまだにその姿を現さない。
元々、ブド・ライアー商会側が予定日に資材の確保を出来なかった事に端を発する。わずか数日の手間賃を惜しみ、ガントンらとの雇用関係を解消したのがいまだに尾を引いているのだ。
そこからだ、少しずつ綻びが出始めたのは…。ブド・ライアー商会の主たる売り上げを担う塩、その塩がほとんど売れない。
次は魚だ、保存の為に干魚にしたもの。他に魚を手に入れる術がほとんど無いこのミーンの町で猫獣人族を主な購買層にこれまで売ってきた。それが最近、見向きもされない。
そして高単価に目を付け始めた香辛料の商い、元が高いだけに苦戦をしていた。だが、数日前の広場での屋台に黒胡椒いりのスープを出してみる事にした。きっと売れるだろう、そう思った。だが売れない、それどころか高価な香辛料を使っただけ大損をした。
苦戦する自分たちをよそに冒険者ギルドは絶好調。奴らが売る『かれー』という香辛料料理に全てを持っていかれた。しかも先程会ってみて分かったのだが、『かれー』を作ったのは百戦錬磨とは程遠い若造だった。それが自分の依頼を拒否しただけでなく、反論すらしてきた。
実に腹立たしい。しかし今はそれに構っている場合ではない。窮地である、まずは『かれー』を売ると告知してしまったからには作らねばならない。そうでなければ批判が起こるだろう。
春になってからのつまづき…。一見バラバラに見えるそれらが実は一つにつながっている。ゲンタが関わっているのだ。
その事をブド・ライアーは知らない。
□
商会に戻ったブド・ライアーはまず塩や香辛料を手配した。
次に塩を卸している料理屋などに手代たちを走らせる。どうやら『かれー』という料理はあの若造が作っているようだ。名前は何と言ったか…、記憶に無い。
と言うよりブド・ライアーは人の名前に興味が無い。彼にとって他人は『自分以外の奴』、それ以上にはならない。『かれー売り』、『若造』、ブド・ライアーにとってはその程度の認識である。
ちなみに新しい店舗と倉庫を作らせる為に呼んだガントンに対しても同じような認識である。『ドワーフ』、そうとだけ認識していた。
個人を識別する為の名前、それをブド・ライアーは憶える気が無い。他人の事などどうでも良い、それが垣間見えてくる。
「とても作れたモンじゃありませんぜ」
走らせた手代たちが連れてきた料理人たちは口々にそう言った。
ブド・ライアーは手代たちが料理人を連れてくる間に軽く飲んで、少し機嫌が良くなったところに冷水をかけられたような気分になる。
「どういう事だ?お前たちは日頃から料理を作って稼いでいるんだろう、出来ない訳が…」
「ありゃ無理ってもんですぜ、そもそも作り方が分からねえ。どんな材料を使えば良いか、その想像すらつかない代物ですぜ」
「なんだとッ!?」
「俺っちも食ってみたんだが…見た目も、香りも、そして味も…決してマネが出来やせん。それにね、ブド・ライアーの旦那。俺っちも、ここにいるのも…みんながみんなしがない辻売や、せいぜい屋台持ちだよ。香辛料なんで使った事なんて有る訳ねえ。そもそも高すぎて仕入れる事も出来ねえってモンですぜ。そんなのがあの『かれー』を作れるとお思いですかい?」
ブド・ライアーは見誤っていた。せいぜい塩を振った肉を焼くだけだと思っていた冒険者ギルドの素人連中…、そんな奴らが辻売や屋台持ちのマネをして売る料理など簡単に出来ると踏んでいた。
それがとても出来ないと言う。一人二人ではない、十人からの人数を集めてこのザマだ。そんなに凄い料理なのか?いや、こいつらが無能なだけだ。だから出来ないと試しもせずに言っているんだ。
それに…、それにだ!奴らの『かれー』を食っただと?俺の所の香辛料入りスープは売れなかった!と、いうことはコイツらは俺の所のスープを買わずに商売敵の奴らの所に金を落とした…、そういう事か!!
「だったら良い、お前らなんぞ用無しだ。ここにいる必要はもう無い。もう帰って良いぞ」
ブド・ライアーの発した言葉に集まった男たちが色めき立つ。
「なっ!そっちから呼んでおいてなんだその言い草は!」
「使い道の無えお前らに割く時間なんざこれっぽっちも無ーって言ってんだよ。分かったらさっさと帰れ!」
「言われなくたって二度と来るか!」
「ああ、商売付き合いだと思ったから日も暮れた後だっていうのに来たのによぉ!」
「ああ!こっちだって今日もテメェん商会から塩買ってやったっていうのによぉ!」
これには男たちも黙ってはいなかった。たちまち言い争いに発展する。
「あぁン?誰がテメェらみてーな道端でモノ売るしか能が無ー奴らに買ってくれって頼んだよ?買わせてくれってアタマ下げて来るのがスジってモノだろーがよ!?」
ブド・ライアーは人を見下す事をやめない。
「おい、明日から冒険者ギルドの『しろいしお(白い塩)』を買う事にしようぜ」
「ああ。砂混じりの塩なんてどっかの出来損ないの馬鹿息子みてえだな、オイ!」
「違ーねえぜ。この商会じゃ出来損ないしか扱わねえんだ!」
「ほら、早く出ようぜ!ここにいたら俺たちも出来損ないになっちまうぜ!」
捨て台詞を残し男たちは帰っていった。ブド・ライアーは何一つ協力を得られないどころか関係は決裂した。ゲンタが塩を扱い出してから次々に購入者が減る中で、それでも買い続けてくれた数少ない固定客を失った。
それはここにいた十人だけではない。人には口というものがあるのだ。今日の顛末は噂となってさらに多くの人が知る事になる。この十人のように必ずブド・ライアー商会から買う訳ではないが、たまにはここから買ってくれていた辻売たちもブド・ライアーに背を向けた。
吐いた言葉が刃となってブド・ライアーの身に返ったのだ。
時刻は貴族の刻…。
ブド・ライアーが告知したカレーの販売開始まであと二刻(約四時間)に迫っていた。