第189話 ゲンタ、ブド・ライアーと対峙する(後編)
新しく入れ替えたティーパック。ホムラとセラにより再び借り物のティーポットにお湯が満たされる。
「あっ!伯爵の紅茶とは違う香り!」
ロヒューメさんが反応した。今回のはアップルティーだ。
「あまりたくさん飲むとお腹がタプタプになってしまいますからね。少しずつ、味を比べるくらいにしておきましょう」
「それなら私にお任せを」
タシギスさんが例の高い位置から空になっている紙コップにアップルティーを注ぐ。一気に林檎の香りが立った。少し意地悪だが煮え湯を飲まされた相手、関係が修繕されない限り歩み寄るいわれは無い。
あっ、紅茶だけじゃ甘い物が無いや…。精霊たちはアール・グレイの紅茶を飲んでいたが、甘い物が欲しいだろうな。ガサゴソとリュックを探り、紙の箱に入ったクッキーを取り出した。
精霊たちに渡していく。サクヤをはじめとして満面の笑顔で受け取る。カグヤは相変わらず僕の手から食べたいらしい。中身は15枚入り、丁度人数分だ。
「一枚ずつですが皆さんどうぞ」
「ああっ、『ちょこ』だあっ』
フェミさんが喜んでいる。そうか、チョコチップクッキーを食べた事あったっけ。
「ねえねえ、これは?」
ロヒューメさんがクッキーを指差しながら聞いてくる。
「砂漠に生える木に出来る果実と砂糖を合わせたのがその黒い粒々です。それを焼き菓子にしたんですよ」
もっとも、これで全部ですがねと首をすくめる。
「美味しいっ!」
ロヒューメさんが喜んでいる。シルフィさんが以前喜んでいたから大丈夫だと思っていたが、どうやら大丈夫なようだ。
「お、俺を無視すんじゃねー!!」
不愉快な声がする。
「あれ?まだいたんだ?居座るの?」
ため息を吐きながら僕は応じた。
「さ、さっきから聞いてりゃ俺を悪者みたいに言いやがって…」
「少なくとも謙虚さや感謝、常識は無いだろう?小狡さはあるけどさ」
「なんだとっ!?」
「今日の営業が終わったギルドにわざわざ扉を開けさせて礼の一つもない。口を開けば勝手な事ばかり、相手する気にもならないし関われば損にしかならない。相手にする必要があるなら教えてくれるかな?合理的に」
横目でチラリ、一瞥くれた…といった感じでブド・ライアーを見る。
「お、俺は商会主で商業組合の副組合長だ!誰もが頭を下げるんだぞッ!お、お前も…」
「僕は商業ギルドに属していないんで…。それに…」
ずいっ!僕の口元にクッキーが差し出された。大きな口を開けば一口で食べられる丸いクッキー。
それをカグヤが僕の口元に持って来ている。しょうがないなあ…もう。半分ほど食べて、アップルティーを口に含む。
「それにね、ブド・ライアー氏。それは貴方でなくてはならないのではないと思いますよ。頭を下げたくなるような人だからではなく、肩書に頭を下げているんですよ。副組合長…とかにね。あなたが金や地位を失ったら…、人は貴方に頭を下げてくれるのかな…ブド・ライアー」
敬称を付けずに名前を呼ぶ。客でもなけりゃ、交流を持ちたい相手ではないんだよという意思を込めて。
「まあ、どうしても…。というなら取引の提案をしても良いけどさ」
そう言って、テーブル上の使用済のティーパックを置いている深皿を手に取った。
「なに…、無理に…とは言いませんよ。貴方の言った相場を基準にしますから…」
「お、俺の言った相場を基準に…だと?金貨十枚の件か?」
ブド・ライアーが口を開く。わずかだが唇の端に笑みが浮かんだ、おそらく金貨十枚払うがコキ使うつもりがありありと見える。
「そう…金貨十枚。価格は…このままで良い」
僕は深皿を手元に引き寄せた。
□
「な、なら今すぐ依頼を受けろ!勿体つけやがって!」
ブド・ライアーが急に饒舌になる。まるで余計な事は言わせないとばかりに。
「価格はそれで良い、そう価格です。報酬ではない」
「あン?どういう意味だ?」
下品な口調だな。やはり出来損ないのギリアムはコイツの息子だな。言葉使いが如実に遺伝している。
「この深皿はね…、お客さんに出すカレーを盛り付けてる器です。つまりね…、カレーを盛り付けたこの深皿を貴方に売ってあげますよ。一皿、金貨十枚(日本円で百万円)でね」
「なっ!ふ、ふざけるなッ!そんなナメたな話があるかッ!」
「ナメた話?」
「そうだ!だいたい高過ぎるッ!そんな条件飲めるか!ふざけるのもいい加減にしろ!」
「こっちはふざけちゃいませんよ。そっちが価格を決めるならこっちはその金額あたりの量を決めた、それだけの事ですよ。それにね…」
再び残り半分のクッキーが口元に差し出された。しかし、今回はヤバい。
カグヤが両手でクッキーを持っているのは先程と同じだが、一つだけ違うところがある。
それはカグヤが両手の他にクッキーの端を自らの口にくわえながら僕に差し出している事だ。ご丁寧に瞳まで閉じて。さすがにコレはヤバいっスよ、カグヤさん。シルフィさんをはじめとしつてエルフの皆さんには可視えているんだから。
このまま食べたら何か言われそうな気がする。特にシルフィさんに。
指でひょいとクッキーを受け取り口に運ぶ。期待通りにならなかったカグヤがシャツの胸ポケットに飛び込み、中で僕の胸元をつねっている。
でも、気を取り直してブド・ライアーに向き直る。
「ナメた事したのはそっちだろう?広場での屋台営業の事をこっちは覚えているからね。本来あてがわれた場所と違うドブ川横に行かされ、川を綺麗にしたらその場所を奪われ、終いにはまたドブ川横に行かされる。右に行かされ左に行かされ…、振り子じゃあるまいし店を開いて幟旗まで立ててるんだッ!チンピラまで差し向けてきといて…、会ってやっただけでも感謝すべきじゃないのかッ!?」
僕は声を荒げた。
「ま、待てッ!アレは俺じゃないっ!」
ん?アレは俺じゃない?では…やったのはもう一つの屋台にいた…ハンガスか!?つまり、チンピラ以外はブド・ライアーの関与があった。
これは意外な収穫だ…。そうか、ハンガスか…。
「どうやら、アンタと話したのは全くの無駄ではなかったらしい…」
「い、今…、何て言った?」
「アンタには関係ない。ただ、まあ一つだけ土産をあげるよ」
「み、土産?」
「正確には土産話かな?町で噂になってるよ。ブド・ライアー商会があの『かれー』を売るって…。冒険者ギルドにいるより、早く自分の商会に戻って明日の準備をした方が良い…。だって明日になった瞬間…、創世の刻(午前一時頃)から販売開始なんだろう?早く準備しないと…お客さん、怒っちゃうよ?」
紙コップに残っていたアップルティーを飲み干しながら僕はニッコリとブド・ライアーに告げたのだった。