第186話 その依頼、お断りにつき
パンを売り始めてから一刻(約二時間)が経つか経たないか…。
50キロもの強力粉を使ったパン、通称『白いパン』は見事に完売した。僕とマオンさん、そしてエルフパーティの五人は冒険者ギルド内のテーブルを囲み丸太椅子に腰掛けて休んでいる。
「いつもは買う側でしたが、こうして護衛についてみると改めて凄い事が分かります」
「うん、売る立場から見るとあんな人の数に対応するって凄い事だわ…」
エルフ姉弟パーティの長女格、次女格であるセフィラさんとランサスさんがしみじみと言う。
「うん、私も何をしたって訳じゃないけど疲れたもん。ゲンタさん、マオンさん凄い」
「ありがと、紅茶でも飲んでゆっくり休もう」
「うん」
このやりとりは三女格のロヒューメさんとのものだ。なんだか末っ子タイプとでも言おうか…とても幼い印象さえある。だが、彼女もまた正真正銘のエルフ。実年齢とキャラクターが必ずしも一致する訳ではない。
僕はエルフの人に評判が良いアールグレイの紅茶のティーパックを出し紙コップに入れた。
「お待ちを…、ここは僕が…」
そう言ってタシギスさんが自分の荷物を入れた袋からティーポットを取り出した。屋外で使っても簡単には壊れないように何かの金属で出来ているようだ。
そこにいくつかのティーパックを入れた、お湯が欲しいみたいなのでホムラとセラに頼んでお湯をティーポットに入れた。色と香りが十分に出たところでタシギスさんが紙コップに注ぐようだ。
ただ、緑茶を急須から湯呑みに移すように注ぎ口を近づけて淹れるのではなく、ティーポットと紙コップを離して注ぐ。その距離は少なくとも50センチ、もしかすると70センチか80センチくらい離れているかも知れない。
エルフにしては珍しい長くはしていない髪型と眼鏡をかけた風貌…、なんだかどこかで見た事があるような気がしてくる。
「良い香り…」
果物を好むエルフらしくセフィラさんが目を細める。
「しかし、これはなんと言う茶葉でしょうねェ…」
自ら淹れた紅茶を色んな角度から眺めたり匂いを嗅いだり…、そんな興味津々な様子を見せながらタシギスさんが呟く。
「あー、またタシギス兄の悪い病気が始まった」
エルフ姉弟パーティのキルリさんが半ば呆れたように呟く。他のエルフの三姉妹もウンウンと頷いている。
ちなみに彼ら五人の姉弟は年齢の順に上から長女格のセフィラさん、長男格のタシギスさん、次女格のランサスさん、次男格のキルリさん、そして末っ子である三女格のロヒューメさんという感じになる。
そんなタシギスさんは他の四人の温度差をよそに言葉を続ける。
「だって気になるじゃありませんか?この茶葉には何か果実の…。それこそ朝にいただいた『まーまれーど』のような香りがします。だけどその風味をつける為に果実と茶葉を煮たりしたら香りは出るかもしれませんが、しかしそうなると茶葉から味も香りも抜けてしまいます。でも、この紅茶の見事な味!キルリ君、君は気になりませんか?」
「そ、そりゃあ、これだけ見事な紅茶ですし…」
「そうでしょう!そうでしょう!茶葉の素晴らしさに、果実の香りまで楽しめて…。おそらく王侯貴族と言えども茶葉はともかく、この香りまで楽しめる程の紅茶は飲んだ事は無いんじゃないですかねェ…」
そして、紅茶を一口を飲んだかと思ったら、僕にずいずいずいっと詰め寄ってくる。
「ゲンタさん、是非教えて下さい。この紅茶の事を!どうやって作るのか、どこで手に入るのかとか…」
「え、えーっと…」
僕が対応に困っていると…、
「タシギス、ゲンタさんが困っていますよ」
シルフィさんが助け船を出してくれた。
「僕とした事が…!細かい事が気になる僕の悪いクセ♡」
うーん、絶対悪いとは思ってないヤツだな、これ。悪いクセと認識していながら直さない、どこぞの有名な警部殿みたいだ。
□
「そう言えばゲンタさん、ブド・ライアー商会の依頼はどうしますか?」
みんなでお茶を飲みながらシルフィさんが聞いてくる。
「ええ、断るという事で…」
「聞くまでもありませんでしたね」
良かった、といった表情でシルフィさんが応じた。早速、フェミさんが依頼票の木の板に黒い斜線を引いた。この依頼を断る、そういう意味である。
「同じ依頼内容で報酬が金貨二枚から金貨五枚ですからねえ…。つまりは金貨五枚(日本円で50万円)出しても元が取れる…、それ以上得るものがある…ブド・ライアー商会はそう思ってる訳ですよね」
「おそらくは…」
「確かに少ない元手で大きく稼ぐ…、商人にとって基本であり追求すべき事です。ただ、これはね…。金貨二枚(日本円で二十万円)から金貨二枚と銀貨五枚(合計で二十五万円)くらいで次の依頼が来たなら…まあ再考したんだなくらいに思いますけど…」
ずず…。僕は緑茶を飲んだ。
「でもね…、これはナメ過ぎですよ。一気に倍以上にして鼻先をくすぐってくる。そうでなくてもね…広場ではあっちに行ったりこっちに行ったり…。そんな奴と組む気にはなりません」
「そうだぜ、ダンナ!あんな奴の依頼なんてどうせロクなモンじゃねーよ!!」
マニィさんがいち早く反応した。
そんな時、ギルドに一人入って来る者がいた。昨日見た顔だ、ブド・ライアー商会の人間…。依頼を受けたかどうか確認するにはまだ少しばかり早い王子の刻(午後五時頃)。そしてその態度には余裕のようなものが見える。僕が依頼を受ける、そう確信しているようだ。
対応の為、シルフィさんと残った緑茶をグッと飲み干したマニィさんがカウンターに戻る。
「一応、昨日と同じようにしておこうかな」
目配せすると砂糖たっぷりの冷ましたアールグレイの紅茶を飲んでいたカグヤが僕たちの周りをぐるりと飛んだ。おそらくこれで僕らの姿はブド・ライアー商会の人からは見えないだろう。
結果としてまたもブド・ライアー商会は依頼を断られた訳だが、なぜだなぜだと喚いていたが当然理由が語られる訳がない。
それが分かると来た時とは反対に余裕など微塵もない全速力でギルドを後にしていった。事の顛末を報告に向かったのだろう。
ちなみに半刻(約一時間)の後、再びブド・ライアー商会からの使者が来る。今度は報酬を金貨十枚にしてきた。日本円で百万円だ、僕のカレーにそこまでの価値があるのか…、またはそれ以上に儲かる算段があるのか…。あるいはその両方か…、もしかするとブド・ライアーは報酬をそもそも支払うつもりが無いのだろうか?
それなら報酬をいくらにしたって良い訳だ。金貨十枚と言わず、百枚でも二百枚でも提示すれば良い。どうせ払わない…そういうことならば…。
あるいはブド・ライアー商会の関係者…、例えばヒョイオ・ヒョイさんの社交場のように会員を関係者という事にして料金を取ってカレーを食べさせる…とか。それなら極端な話、新顔の客だって良いのだ。敷居を跨いで中に入ればそれは全員関係者、暴論だが言い張ろうとするだろう。
ならば、何があっても依頼を受けない事。喧嘩を売って来たのはブド・ライアー、ならば話は単純。敵である。
商戦再び。今度はこちらから仕掛けてみようか。