第179話 新たなる『らめえぇぇ!?ん』
翌朝…。
「あっ、しまった」
冒険者ギルドでの早朝のパン販売を終えて、ギルドの前の道端に向かおうとした時の事。犬獣人族の皆さん向けにとんこつラーメンの準備をしていたのだけれど…。
「どうしたんだ?坊や」
「あっ、ダテナさん」
そこには毛皮を材料にしたワイルドな服を着た長身の戦士がいた。黒髪を短く切りこんでいるがれっきとした女性だ。強い意志を表したかのようなキリッとした太い眉、長身も相まって一見男性に見える。
本人は気にしているらしいが、男より女の人にモテるらしい。ちなみに彼女もまた獣人なのだそうだ。
「実はこれから外で『とんこつらめえぇぇ!?ん』を作る予定だったのですが…」
「知っている。だから私も今朝はパンを買わずに『らめえぇぇ!?ん』を待っている」
「実は仕込みを少し間違ってしまいまして…。十食分ばかり違う味になってしまいました」
実は昨夜カグヤがまた部屋に来たのだが、僕に抱きついて離れなかった。どうやらミミさんが抱きついてきた件について対抗意識のようなものを持ったらしい。
パンを買いに外に出ようにも離してくれない。この部屋から離れられないカグヤにしてみれば不安なのかも知れない。そう思った僕はカグヤを抱きしめ髪を撫でたりして彼女が落ち着くのを待った。
しばらくして彼女も落ち着いたので、なるべく早く帰る事を約束して家を出た。そうしたら間違えて醤油ラーメンも買っていたようだ。想像以上に僕も焦っていたらしい。
「ふむ…、その間違ったのはどんな味なんだ?」
ダテナさんの質問に僕の意識が昨夜の記憶から現在に戻ってくる。
「えっと…、『丸鳥のらめえぇぇ!?ん』程ではありませんがその風味を楽しめるものです。具体的には丸鳥の骨から煮出したスープに豆と塩から作った調味料を合わせています。…そうだ!そこに魚粉…えっと鰹節を粉のようにしたものを入れましょうか」
「何っ!?丸鳥と…、『かつおぶし』か…。ううむ…なら、それを私に食べさせてくれ!!」
「は、はい。分かりました」
なんだか妙な迫力を感じながら僕はそのリクエストに応じたのだった。
□
ギルド前の道端には犬獣人族の皆さんが列を成していた。先頭にはラメンマさん、そして同じような格好をした人たちが続く。おそらくは同じ狩猟士を生業にしているのだろう。
雄叫びや遠吠えのようなものが次々に上がる。野生を取り戻したのだろうか、犬獣人族の皆さんがなんだかとても漲っている。ラーメンに慣れていないので日本人のように器用に麺を啜るこは出来ないが押し込むように麺を口に運び、最後には『ずずず…』とスープを飲み干していく。
そしてその野生の余韻が消えないうちに…といった感じでどこかに向かっていく。最初に食べ終えたラメンマさんたちの一団に至っては犬耳に尻尾、体毛なども顕にして駆け出して行った。
おそらく、野生全開のコンディションで狩りに向かうのだろう。
そして、ダテナさんに醤油ラーメンを出す順番がやってきた。
□
「凄いものだな、坊やの『らめえぇぇ!?ん』は…」
周りを見回しながらダテナさんが呟く。僕は醤油ラーメンを茹で、鰹節を両手の平でこすり合わせるようにして粉末状にしたものをラーメンにかけた。
「お待たせしました。お口に合えば良いのですが…」
そう言って醤油ラーメンを渡した。
すっ…。ダテナさんは先割れスプーンを取り出し、軽くラーメンを…と言うよりは鰹節をスープになじませた。
元々、粉末状にした魚粉もどきの鰹節。スープと絡むとより魚の香りが増した。
「オイ…、あれは…」
声のした方を見ると冒険者ギルドから出て来たミケさんたちがこちらを…と言うよりはダテナさんが持つラーメンが入った深型の容器を凝視している。
そうこうしている間にダテナさんは一口目のスープを口に含んでいた。
がおおっ!!
動物園でしか聞いた事が無いような咆哮が上がる。ライオンのような下っ腹に響くものだった。
「姉御ッ!」
ダテナさんと一緒にいる二人の男性がダテナさんに声をかける。彼らもまた毛皮の服を身につけワイルドな雰囲気を出している。よく一緒にいるから同じ種族であり、パーティを組んでいるのだろう。
「大丈夫だ!タイガ、マースク。食べてみれば分かる!」
そう言ってダテナさんは銀片を二枚、日本円にして二千円をマオンさんに支払い『二人にも食わせてやってくれ』と告げた。
既に麺は茹でていたのですぐに盛り付けると彼らもまた咆哮を上げた。
「コイツはスゲえ、凄過ぎるぜ!」
「ああっ!こ、これは俺たちの理想だ!」
タイガさんもマースクさんも夢中になって醤油ラーメンを口に運んでいる。
「私たちは肉だけでも魚だけでも満足できない厄介な性分でね…」
ダテナさんが食べ終わった食器を返却場所に戻しながら言った。ちなみにその使用済み食器はたちまち水精霊セラによって洗浄され、光精霊
サクヤに殺菌消毒をされている。
「肉はまだ手に入るでしょうが、魚は数が少ないから大変でしょう」
「ああ、そうだな。それは坊やのあの魚をもってしても解決をしなかった…」
おそらくはアジの干物の事だろう。
「アレは美味い。だが、俺たち種族の習性なんだろうな。どうしても満足できない。あれだけ美味い魚でも無理なのかと真剣に悩んだモンさ」
だが…、ダテナさんはそう言葉を続けた。
「この『らめえぇぇ!?ん』は違った!!丸鳥の骨の髄と『かつおぶし』から成る風味が合わさり肉と魚の旨味がスープに溶け出している。まさか、肉の塊も魚の切り身一つも入っていないこのスープで肉と魚をここまで感じる事が出来るとは…。こ、これならッ!!」
一瞬ダテナさんが光に包まれたかと思うと、その姿は変わっていた。大ぶりな猫耳に太い尻尾、そして黒髪が深い黄色と黒い柄を持つものへと変わっていた。
「ふうううぅっ!!」
大きく息をつくダテナさん。な、なんだろう。さっきまでど迫力が全然違う…。そんなダテナさんがこちらに向き直る。
「こんな感覚は久しぶりだよ…。ラメンマの言う野生を取り戻すってのはこういう事かねえ…」
「あ、姉御ッ!」
タイガさんとマースクさんがダテナさんに駆け寄る。だが、彼らは耳と尻尾は出ているが毛色は変わってはいない。
「ああ、私は大丈夫だ。というより良い気分だ。…それと坊や、感謝するよ。見ての通り私らは虎獣人族なのさ。犬獣人族のように肉を好みながら、猫獣人族とも近縁から魚も好むのさ。厄介だろ?二つ同時に満足させなきゃいけないなんてさ」
自嘲気味にダテナさんは笑った。
「だが、これで虎獣人族の飢えが満たされる。数は少ないが虎獣人族もこの町に住んでいるんでね。時々はこうやって店を開いちゃくれないかい?」
右手を差し出しながらダテナさんが微笑んだ。