第178話 『塩商人』ブド・ライアーの恥知らずな依頼
広場での催事から二日目の朝、ミーンの町の北東部…。
ミーンの町の商業ギルドの副組合長であり、塩商人のブド・ライアーは珍しく朝早くから商会の自室にいた。手代たちから昨日の自らの商会と傘下に組み入れ支店代わりにしている商店の売り上げの報告を受けている。
ブド・ライアーは傲慢さが目立つが、まったくの無能という訳ではない。数字に関しては特に強い。また薄情に過ぎる場合もあるが、事業主として切り捨てるべきものは即座に切り捨てる。
切り捨てられた者がどうなるかは知った事ではない。それゆえに見切りは早く、損失は最小限に抑える事が出来た。良く言えば情に流されず怜悧な判断が出来る…、という事だろう。
そのブド・ライアーだが、ここ何日も機嫌が悪い。
広場で屋台を開いてからは特にそうだ。売れなかったのだ。特に最終日は目も当てられなかった。高価な香辛料まで使って、たくさんのスープを作ってしまった。
ブド・ライアーは最終日の大成功を信じて疑わず、あろう事かパン屋のハンガスと前祝いだとばかりに屋台を離れ飲みに行ってしまった。
酒に酔い、上機嫌で閉店予定時刻寸前になって広場に戻った二人を待っていたのは、全くもって売れていないスープとパン。決して安くはない予算を投じてわざわざ作った売れ残りである。
「材料費だけでいくらかかったと思ってるんだッ!!」
ブド・ライアーは大声で喚く、さもありなん。海を越えてやってきた黒胡椒、それは同じ体積の琥珀金と同額で取引される。
琥珀金は言い換えれば川などで採取できる自然金…早い話が砂金である。そんな貴重な材料を使って勝負に出た香辛料入りのスープだったが売れなかった。
思い出すたびに怒りがこみ上げてくる。しかも、毎日の報告がまた面白くない。冒険者ギルドがあの『しろいしお(白い塩)』を売り出し始めてからというもの我がブド・ライアー商会の塩が売れなくなった。
塩という売り上げの柱が揺らいでいるもののブド・ライアーにはまだいくぶんか余裕があった。それは他にも高い儲けが期待出来る物があったからだ。魚や海藻などの海産物だ。
海に面した寂れた漁村、ブド・ライアーはそこで塩を作らせていたが他にも魚や海藻を入手していた。もっともその魚は下魚も下魚、少なくとも海辺の集落でなら金を出してまで買うような物ではなかった。
しかし、ミーンでは慢性的に魚が不足している。それゆえ下魚でも、また魚の捌きや干し方の悪い粗悪な品質の干魚であっても猫獣人族たちが買っていった。海藻もまた魚人族たちが買っていく、他に手に入るアテはない。高値をつけても売れていた。
しかし、その干魚や海藻を買っていた獣人たちが最近は来ない。まったくと言ってもいい。ブド・ライアーはなぜだか知りたかった、しかし、その猫獣人族たちが来ないのだ。来店すれば理由の一つも聞けるだろうがそれが来ない。
また、我が商会に猫獣人族の者はいない。何か理由がらあるなら聞けたかも知れないがそれも出来ない。
理由が分からねば対策の打ちようもない。まさか…と思った昨日、ブド・ライアーは冒険者ギルドに人をやって海産物を売ってはいないか見に行かせた。しかし、塩だけしか売ってなかったようだ。
気のせいか…、よもや魚まで売っているのではないかとブド・ライアーは思ったが取り越し苦労だったようだ。
しかし実際は塩のように毎日販売しているのではなく、イベント的に単発で売っているのだ。ブド・ライアー商会では扱っていないような味が良い魚の干物を…。
□
一つの報せを聞いてブド・ライアーは転機が訪れたと感じた。
王都や商都、その他の都市にもいくつも店を構える大商会がここミーンに来るらしい。どうやら香辛料を求めてやってくるのだという。
ここミーンで香辛料を扱う商会は我がブド・ライアー商会のみである。ゆえに俺に会いに来るのだと直感した。
これから塩や海産物の売り上げが著しく下がっていても単価の高い香辛料を売る事で売り上げの回復が見込める。そもそも取り扱っているのは自分だけだ。だから売値は思うがままである。
儲けとは売り上げから仕入れをはじめとしてかかった費用を差し引いたものだ。ゆえになるべく安く仕入れ、高く売る事で利幅は大きなものとなる。
「弱みを見せる訳にはいかねーよなー」
ブド・ライアーはそれが気がかりだった。日本の諺に『足元を見る』というものがあるが、ブド・ライアーが気にしているのはまさにそれだ。
現在、ブド・ライアー商会は売り上げが激減している。この事が知られれば相手も商会、香辛料の仕入れ値を下げようとしてくるだろう。そうはさせない。
そこで思い付いたのが二日前の冒険者ギルドの『かれー』売りだ。日が沈んだ後も町の衆は列を成していた。味も良く、香りも素晴らしい香辛料を用いた料理だとウチの屋台の前を横切っていく連中が言っていた。
そんな事はあり得ない。ウチですら黒胡椒をふんだんに使ったスープですらそんなあからさまな香りは立たない。大方、香りの強い野草などを上手いこと組み合わせたのだろう。
それ自体は悪い事ではない、むしろ褒められるべき事だ。『うまくやったな』とさえ思う。
この時、ブド・ライアーは閃いた。これを利用できないかと。
冒険者ギルド…、この『かれー』とやらを作った奴にウチでその料理を作らせりゃ良いのではないか…。例の大商会もこの町の商業ギルドに顔を出す筈だ。
おそらくはお目当ての香辛料の取引の為にギルドを訪れて、正式にこの俺…ブド・ライアー商会への紹介を依頼するに違いない…。
なら…。ブド・ライアーはほくそ笑む。
「ここで待ち受けて、そのままウチに案内して…。そーすりゃ俺のペースで商談に持ち込めるんじゃねーの?」
そこで使えるのが、例の『かれー』売りだ。コイツを使って普段からウチはこんな物を食ってるんですよと。
ウチの店の手代たちもこういうものを食わせてますって具合で。そうすりゃ相手は驚くだろう。
商会主が良い物食ってるのは珍しい事ではない。だが、手代たちまでとなればどうだ?
例の『かれー』売りは白いパンまでも添えていたという。そんな物を食えるのは俺みたいな商会主でもなければ不可能な話だ。
それが有り余る程にある、それこそ手代たちにさえ食わせる程に。これ見よがしにしてやる、そうすれば足元を見られる事もないだろう。
それに…、ブド・ライアーは一つ思い付いた。
「これって手代たちだけに限らなくても良ーんじゃねーの?」
手代だけじゃ儲けにならねえ。ウチの店に来たら関係者って事になるよな…。…って事は…。
「傘下にいる奴らとか、ウチに出入りする納品に携わる奴とかさ…。あー、むしろ臨時の食堂でもやるか?それで来た客から金取ればよォ…」
ブド・ライアーの顔が醜く歪む。
「依頼料は金貨二枚にしとくか….、破格だよなー。まあ、コレで食いついてくんだろ。だけどなァ…、罰則ってモンがあるんだよなー。万が一、途中で売り切れにでもなればよー、そりゃあウチにも迷惑かけるんだから当然報酬はナシって事になるよなー」
そうなれば一銭も払わずに済む。それどころかこういう依頼は材料費などの経費は依頼を受けた者の負担だ。そして上がる利益は依頼者が享受できる。
つまり冒険者ギルド側をしくじらせれば、何も支払う事なく一般客からの売り上げを独占出来る。
ブド・ライアーは一言一句間違えぬように依頼を出すように手代に言い含め、冒険者ギルドに走らせる。
「これで良い。やっぱ頭脳は使わねーとなー。こーいう言い回し一つでボロ儲けになるんだからよー。さてと…、あとはこの『かれー』を売るってのを広めねーとなー。『かれー』があっても客がいないんじゃ儲からねえし…」
ブド・ライアーは他の手代を呼び、噂を町中に流させる事にした。大々的にやる必要はない、まずは羽振りの良い商会や騎士などに知らせよう。
そうすれば噂は漏れるもの、三日あれば町中がその噂でもちきりになるだろう…。己が立てた計画にほくそ笑みながらブド・ライアーはお気に入りの酒を口に運ぶのだった。