第177話 恐怖の片鱗
スンスン…、いつの間にかネコミミとシッポが発現している猫獣人族のミアリスさんが再び鼻を動かす。
「うん…、やっぱり…」
先程より確信を得たというような感じでミアリスさんが呟いた。抱きついていた体を離し、軽くジト目で僕を見る。
ああっ!そのジト目、もっと下さい。そんな事を考えていたらなんだか危険な気配を感じる。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ…。
ま、まずい…。なんだか分からないが、ここにいるのはまずいっ!!逃げろォーッ!!心の中で誰かが叫ぶ。
走り出せッ!僕がそう思った時、ぽんっと後ろから右肩に何かを置くような感触…。見れば見覚えのあるしなやかな指先。そして、
「何があったか…、話してもらえますね?」
僕の左肩に顔を乗せるようにして耳元でシルフィさんが囁く。その声は鋼で出来た刃物のように冷たくそして鋭い。『逃げないと死ぬッ』、直感的にそう思ったがシルフィさんの全身がぴったりと僕の背中に密着していた。
「ッ!?」
い、いつの間にッ!そう思ったがそれは愚問というもの。シルフィさんには『光速』と呼ばれる瞬間移動があるんだ。僕の背後を取るくらい造作も無いだろう。
「あっ…。コレ…ダンナ死んだかも…」
「死体…、残るかなあ…」
マニィさんとフェミさんがそんな事を言っている。ちょっと、そんな事言ってないで助けてよ!
僕はそんな風に視線会話で語りかける。
『悪イ、ダンナ。今回、マジでヤベえ』
『うん…、ガントンさんでも止められないかも…」
『えっ!?そんなに?』
『ああ、こりゃヤベえよ。ナジナとウォズマのダンナ方が二人がかりなら…』
『うん、二つ名付きの人が最低二人はいないと…』
『嘘でしょ…』
『いや、最低でもそのくらいはいないと…』
『うん…、ゲンタさん助からないよぉ…』
『マジで?』
『『マジ』』
『二つ名の人は凄腕でしょ?止められない?』
『いや、止まるのは止まると思うぜ。でも…』
『多分、自分の命を捨ててでもゲンタさんも一緒に…』
『あなたを殺して私も死ぬ、みたいな?』
『『それ!!』』
『マジですか…』
□
この視線だけの三人のやりとり、わずか7秒…。
歓喜のあまりミアリスがゲンタに抱きついてからわずか四十秒しか過ぎていない。
「ヒョ、ヒョイさんの…」
震える声で僕は話し始めた。
「ヒョイさんの所で人参と海藻を納品して、林檎紅茶などの新商品を紹介してこれからの販売などについて打ち合わせをしていました」
「はい」
シルフィさんの返事。やはりまだ声が低い。
「そこでヒョイさんとの打ち合わせが終わると、一斉に兎獣人族の皆さんや、女人魚族のメルジーナさんが入って来ました。どうやら人参の納品を心待ちにしていたのと、クリームシチューがまた食べたいというのを伝える為だったようです」
「ふむ…」
「その時にいつの間にかミミさんが接近していて、抱きついてきました。子作りをしようと言っていましたが、断ったところすぐに離れてくれました」
とりあえず、あった通りに話す。つう〜…、頬を一筋の汗が流れる。左頬のあたりに小さな風を感じる。
シルフィさんの吐息かと思ったがどうやら違うらしい。見た事の無い精霊らしき少女が一瞬だけ見えた。どうやら彼女が風を起こし、頬を伝った汗を吹き飛ばしたらしい。
一瞬にして水分が消え失せ、何やら光に反射する微粒子のようなものが地に向かって落ちていく。
「これは嘘ではないようですね…」
低かったシルフィさんの声が元に戻る。そして僕の右肩に置いていた手を、そして全身を離す。
もし、これで下手にごまかそうとしていたら…。頬を伝わる汗をペロリと舐められて
「これは嘘をついている味だぜぇ〜」
なんて言われていたら…。きっと『あなた は しにました』になっていたのだろう。
でも、シルフィさんに舐められたいというのは密やかな願望としてある。いずれにせよ生き延びる事はできたようだ…。
とりあえずミアリスさんには、明日の夕方伺いますと伝言をお願いする。子供たちの他にシスターさんを始めとして四人の大人もいると聞いた。合わせて17人、材料費もまったく問題ない。子供たちだけでなく、大人の方もどうぞと伝える。ミアリスさんはとても喜んでいた。
さて、それと…いくつものカレーに関する問い合わせ、や依頼についてだ。今度の販売は『いつやるの?』という問い合わせに、日本人なら思わず両手を広げながら『今でしょ』とキメ顔で言いたくなるがそれは駄目だ。
これに関しては次の広場での催し事でと早々に回答する。残るは商店や商会、そしてブド・ライアーからのものだが…。
あっ、閃いた。残りは明日に回答しますとマニィさんに回答を保留する事を伝えた。
「お待たせしました」
「おお!待ったぜえ!まったく焦らされた分、俺はたくさん飲んじまうぜぇ!」
ゴロナーゴさんがもう待ちきれないとばかりにウズウズしている。
「ははは、お手柔らかに。そう言えば、今日は新しい酒の肴を用意してましてね…」
「おほっ!良いじゃねェか!そりゃア、どんな物なんでえ?」
「イカクンと言いましてね…。ああ〜、もしかすると親分さんといえども一口だけで参っちゃうかも…」
僕は少し大げさに天を仰いで話す。
「馬鹿野郎!!このゴロナーゴ様が一口だけで参る訳が…」
そんな事を賑やかに話しながら僕たちはマオンさん宅に向かう。
ちなみに、イカの刺身、スルメに続いて、ゴロナーゴさんたち猫獣人族の皆さんがイカクンにより通算三回目のダウンをする事になる。
飲み会開始からわずか1ラウンド10秒。スピード決着であった。