第174話 甘い夢
シルフィさんによるカグヤと僕のいわゆる『二人の距離感』の近さ…、確かに考えてみれば今日はカグヤが僕の体のどこかしらを触っているような気がする。
他の三人の精霊たちはいつも通りの距離感、しかしカグヤは明らかに違う。『見る人が見れば分かる』というよりは精霊を『可視える人が可視れば分かる』と言った感じなのだろう。
奥さんに浮気がバレた時の旦那さんてこんな感じなのかな…、なんとなくそんな事を考えてしまう。しかし、どう返事したら良いものか…。一瞬、悩んだがありのままに言ってみる事にした。
「え、ええ。なんかカグヤが今朝からこんな感じでして」
さすがに日本に来た事は言えないので今の状況をそのまま伝えてみる。シルフィさんはカグヤの様子を見ていたが、やがてこちらを見て微笑む。
「きっとゲンタさんと一緒にいる事が心地良いのでしょうね」
□
冒険者ギルドでの朝食や塩の補充、午後の干物販売の事前準備が終わったところにタイミングよくヒョイさんからのお迎えの馬車が来た。
そこでマオンさんたちと別れ、商売に向かう。
リュックいっぱいの人参を持ってヒョイオ・ヒョイさんの社交場へ。女人魚族のメルジーナさんもここに所属しているから、乾燥ものの海藻サラダや早煮昆布も届けた。
「ところでヒョイさん、今しばらくお時間をいただけますか?相談…というか、新しい商品の紹介をさせていただきたいのですが…」
「ほっほっ。ゲンタさんのお持ちになる商品ですか。それは是非見てみたいですね」
「ありがとうございます、では早速…」
先程、シルフィさんにも出した時と同様にアップルティーのティーパックを使って紅茶を淹れる。
「…これは、嗅いだ事のない香りですな」
「林檎という果物の香りを加えた紅茶です。それと…」
百円ショップで買った…、と言っても三百円コーナーにあった蓋付きの小さな陶器の入れ物。それに砂糖を入れて持って来た。その入れ物は二つ。
一つ目の入れ物の蓋を開ける、薄茶色の粉末が姿を現す。いわゆる三温糖、普段我々が目にする白い砂糖…上白糖を生産した後に残った糖蜜から作られる砂糖だ。
三温糖は上白糖と比べて糖以外の成分が多く含まれる。ミネラルなどがそれだ。ここ異世界での砂糖を僕は見た事は無い。だからまずは様子見をしてみる。
「これは、砂糖では…」
「はい、砂糖です。販売をしたいのですがその売るアテがなく…。そこでヒョイさんに商談を持ちかけた…という訳で…。どうぞ、お確かめを…」
僕は取り出したティースプーンをヒョイさんに渡した。ヒョイさんはいつもの柔和な顔から真剣な顔になりスプーンで一匙砂糖を掬う。それをジッと見つめた。
数秒ほどそうした後、ヒョイさんは左の手の平にサラサラと砂糖を落とした。そしてその手をくちもとに持っていき口に含んだ。
「キメの細かいかなり上質な砂糖ですな。さすがはゲンタさん、良い商品を扱っておられますな。これほどの物はそうは手に入りますまい。かなりの高値がつく事でしょう。それこそ金貨が飛び交うような…ね」
にこやかな表情に戻りヒョイさんが三温糖の品質に太鼓判を押してくれた。なるほど…、三温糖がかなりの上級品。それなら、こちらはどんな評価になるだろう?
「もう一つ、ご覧いただきたいものがありまして…」
「ほほう…、それは一体?」
僕はもう一つの陶器の入れ物の蓋を開ける。
「これは上白糖と言いまして…砂糖なんですが…」
そう言って僕は新しいスプーンを上白糖を入れた器にも添えた。先程同じようにヒョイさんが上白糖を手に取り口に含む。
「こ、これはッ!!あ、ありえない!」
ヒョイさんが目を見張る。
「強い甘みです。しかし、先程の砂糖をただ煮詰めただけではない。雑味が無いッ、甘みだけを純粋に取り出したような…。こっ、これなら出来るかも知れん」
そう言うとヒョイさんは上白糖を一匙とって紅茶に入れた。かき混ぜてから紙コップを手に取り、間近で見つめた後に口に含んだ。
「…夢、だったのですよ…」
つー…、とヒョイさんが一筋の涙を流した。
「…甘い焼菓子など無くとも、紅茶だけで完結するような時間…。私はそんなものを夢見ていたのですよ。紅茶に甘みを足しましてね…、その一杯で午後を優雅な気分にさせてくれるような…そんな一杯を私は求めていました」
「ヒョイさん…」
「そうしますとね…、じゃあ単純に砂糖を紅茶に入れてしまえば良いじゃないかと考えます。私もそうでした。しかしね…、普通の砂糖では紅茶の風味を壊してしまうのですよ」
「風味を壊す…?」
「いや、決してこの砂糖か悪い訳ではない。我々が願ってやまない甘み…、それをもたらしてくれるのが砂糖です。ただ、紅茶には…紅茶にはね…どうしても相性が悪いんです。砂糖を加えると鮮やかな紅茶の色を燻せ、そして雑味が混じる。失礼ながらゲンタさんのお持ちになったこちらの茶色い砂糖…、いかに上質と言えど雑味がありました。これほどの砂糖でも私の紅茶への願いは叶わない…、いささか落胆しておりました」
再びヒョイさんが紅茶を口に含んだ。
「ああ…、はっきりと分かります。この甘さは紅茶の風味を損なわない。まさに私の夢そのもの…、それを叶える魔法の砂糖です」
「ちなみにこの砂糖は売れそうでしょうか?」
「ええ、きっと。いや、間違いなく…ですな。この両方とも買い手がすぐつく事でしょう」
「それを聞いてホッとしました。…っと、すいませんヒョイさん。ウチの精霊たちが砂糖を見て我慢出来なくなったみたいで…」
「どうされましたかな、ここには私とゲンタさんの二人しか…」
ぽんっ!ぽんぽんぽんっ!次々に姿を現す四人の精霊たち。特に積極的なのはホムラとサクヤ。『食べたい〜!』とばかりに僕のシャツの袖をグイグイと引っ張っている。
「ほっほっほっ!これは…ゲンタさんでもかないませんな。では少し息抜きの時間といたしましょう。さあ、私に構わずに」
「は、はい。すいません」
僕はリュックから紙のお皿を取り出し、三温糖と上白糖をそれぞれ盛りつけた。四人の精霊たちがその小さな砂糖の山を指先でツンツンしては口に運ぶ事を大喜びで繰り返している。
「いやはや、これはなんとも凄い事ですな」
ヒョイさんが微笑みながら語りかけてくる。
「精霊さえも虜にする砂糖…、これを求めぬ者はおりますまい」
それから僕たちは再び話し合いを再開する。今後の砂糖の販売などについてである。さすがに砂糖は高級品、道端で売るような訳にはいかないでしょうというのがヒョイさんの持論だ。
僕としてもすぐに売らなきゃいけない訳ではないし、慎重に物事を進めた方が良いかも知れない。『急いては事を仕損じる』って諺もあるし最良の方法を見つけてからでも良い。
パンや塩、その他のもので今はかなりの黒字だ。だから今は焦らずしっかり足元を固めていこう、商売はギャンブルじゃない、一見地味な事の積み重ねというのが僕の持論。
しっかりミーンの町に根差していこう。