第173話 女(シルフィ)のカン
前話にて、誤変換しまくった一文がありまして、感想にてご指摘いただいた犬さん、返信を修正しようとしたら誤って感想を削除してしまいました。申し訳ありません。
なんだろう…。だんだんゲンタが女たらしになっていく…。
「護衛…、ですか?」
シルフィさんの言葉を受けて僕は彼女に問い返す。す〜っとしたがやの視界の隅に黒髪が横切り、左肩に人の指先が触れたほどの感覚。おそらく闇精霊のカグヤが左肩に乗ったのだろう。
遅れて左耳に触れる感触、これもきっとカグヤだろう。
「ええ、ゲンタさんもマオンさんも今回の屋台の販売でかなり顔が知られましたからね。中でも『かれー』の評判は大変なものです」
「そうだぜ、ダンナ!正式に受理してからになるけど、この料理に対する依頼がいくつも来ているんだ。受付処理が終わった奴もあるし」
「それだけじゃないですよぅ。町の人からも広場での催しみたいな事を次にやる予定はないのか…って」
マニィさんやフェミさんも冒険者ギルドに寄せられる反響を教えてくれた。うーん、どうやらカレーは冒険者ギルド関係者だけでなく町全体においてもなかなかに好評みたいだ。
「しかし、そうなると…」
シルフィさんの声が少し低くなる。
「あれだけたくさんの人を集めて派手に商売したのはかなり目立ちましたね。中には羽振りが良いんじゃないか…、そう思って近づいてくる者や初めから何かを狙ってくる者…。あるいは初めから妨害など悪意を持って接してくる者もいるでしょう」
なるほど、シルフィさんの言う通りだ。単純に金銭目的もあれば妬みとかも考えられるし商売敵だっているかも知れない。僕だけじゃない、マオンさんもいる。護衛をはじめとして対策しといた方が良いかも知れない。
「分かりました。護衛についての相談…、そのあたりはヒョイオ・ヒョイさんの所から戻ってからでも大丈夫ですが?」
「ええ、こちらも今すぐ人を斡旋できる訳ではありませんので話し合いをしていく必要があるかと思います」
「分かりました。では戻ってからでもよろしくお願いします」
「ふむ…、とりあえず難しい話はひとまず終いかの?」
のそり…。鍛え上げられた肉体をゆっくりと動かし、塩の自動販売機の調子を見に来たガントンさんが声をかけてきた。
「あっ、はい」
「なら、マオンの護衛は任せておけい。点検が終わったら共に戻るとしようぞ」
帰り道のマオンさんの護衛をガントンさんが引き受けてくれた。なんと言っても二つ名付きの戦士、安心感が断然違う。
それに家に戻れば同じく二つ名付きの凄腕、ゴントンさんもいるし他にもお弟子さんたち四人のドワーフの皆さんがいる。
彼らは優れた職人であると共に、頑強で力強い戦士でもある。斧や鎚を振るい、その器用さで弩弓も自在に操る。遠近どちらでも戦える物理戦のスペシャリストだ。
つんつん。いつの間にか僕の肩から降り、シャツの左胸のポケットに入り込んでいたのだろうか?触れられた場所に目を向けるとカグヤが何かを言いたそうにこちらを見ている。
「あっ…、そうだ。忘れていました。戻ったら今日の午後と明日の午前に冒険者ギルド前で辻売をする手続きをさせて下さい」
「特に予約をされた方はいませんから大丈夫ですよ」
「そうですか!良かった。では、今日の午後と明日の午前の時間帯でお願いします」
「ゲンタさん、何をするんですかぁ?」
「ダンナがウチの前で売ろうとするモンだから…」
「えっと、今日の午後は魚の販売…干物ですね。明日の午前についてはギルド内でパンを売り終わったらすぐに『らめえぇぇ!ん』の販売をするつもりです」
実際はラーメンだが、すっかり異世界では『らめえぇぇ!ん』の呼び名が定着している。
「おっ、やっぱり魚か。仕入れが上手くいったんだな、ダンナ」
「ええ。それとミケさんたちから魚が食べたい、ラメンマさんたち犬獣人族の皆さんからも是非に…と頼まれましてね。丸鳥のラーメンも少しですが入りますよ」
「うっ…、ダンナ…。ちょっと相談なんだけどよ…丸鳥の方を一つオレに融通してもらう訳には…」
「あっ、マニィちゃん。それは駄目だよぉ…」
「フェミさんにも一つ確保しときますよ」
「わあ、さすがゲンタさん!」
内部での取引に最初は咎めるような雰囲気だったフェミさんだが、彼女にも融通する事を打診したら意外とすんなりとこちら側に回った。
「二人とも…。受付嬢の立場を使ってそういう事をしては…」
さすがにシルフィさん、ギルド内での販売ではなく一般の人向けの商品を事前入手する事については立場を悪用する事だと判断したのか二人をたしなめるような口ぶりで諭す。
しゅん…。受付嬢の二人が肩を落とす。でも、そうなるときっとラーメンは売り切れちゃって二人がラーメンを手に入れられなくなってしまう。
よし…!ここは…。なんとかしてみよう。
いつぞやのマニィさんとフェミさんへのお怒りを鎮てもらう為にシルフィさんに取りなした時の事を僕は思い出していた。
□
僕はリュックからクッキーを取り出した。何の変哲もない500円玉より二回りくらい大きい丸型のプレーンなクッキー。湿気対策だろう五枚一組が五組、その一組を開封た。
リュックから昨日シルフィさんとのお出かけ時に出したビン詰めのイチゴジャム、それを一匙スプーンで掬っでクッキーの上に…。
「シルフィさん…」
それを手に取りシルフィさんの方を向いた。彼女の手をとりその手の平にそっと置いた。
「今日だけ…、今日だけ見逃していただけませんか?…いや、違うな。見逃すって事は知っていたのに見て見ないフリをする事になってしまう」
シルフィさんは僕をまっすぐに見つめている。
「シルフィさんは何も見ていない…。たまたまお茶か何かを飲んでいた時に知らない所で話が進んでいただけなんです…。シルフィさんは何も悪くない…」
免罪符のような甘言を弄しながら、僕はリュックから紙コップとティーパックを一つ取り出した。これから訪れる予定のヒョイオ・ヒョイさんの所で試飲用として出すつもりだったアップルティー。その出番が早まったようだ。
ぴくっ!シルフィさんが微かな反応を見せ、視線がティーパックに注がれる。元々、果物などに鋭敏な感覚をお持ちの方だ。お湯を注がずともいつもの柑橘系の香りを焚きこんだアールグレイとは違う事を察したのだろう。
「お気付きになられたようですね…。これはアップルティー、林檎の果実の風味を加えた紅茶です」
そう言いながら僕はホムラとセラの二人の精霊を呼び、紙コップにお湯を注いでもらいティーパックを入れた。
「精霊のみんなはちょっと待っててね。その代わりジャムを山盛りにするから…。さて、シルフィさん…この紅茶はまだ誰も飲んだ事がありません。…ほら色が、香りが出始めましたね…」
無色透明なお湯が紅茶独特の色に染まり始め、同時に香りが立ち始めた。
「是非、この紅茶の感想をお聞きしたいんです。シルフィさんのそのお口から…。今この紅茶は唯一、シルフィさんの為だけにある紅茶ですから」
ぎゅっ!!左胸に痛みとは言えない程度の刺激。チラッと見ると何やらポケットの中のカグヤが僕の左胸をつねっている。右手を左胸のポケットに右手をそえて軽く撫でた。どうやらつねるのはやめにしてくれるようだ。
「でも、そうなると責任感の強いシルフィさんは試飲に集中するあまり…ここでの会話が耳に入らなかったかも知れませんよね。その結果、たまたま聞き逃してしまう事もあるかも知れません」
「どうやら私は新しい紅茶に心を奪われていたようですね」
良い色を出したティーパックを紙コップから取り出しながらシルフィさんが呟いた。あくまでも独言といった感じで。
良かったぁ!これでダメだったら竹下元太の編み出した百八式まである土下座のうち百式ジャンピング土下座くらいは出さなければと覚悟していた所だ。
そして残りのクッキーにジャムを山盛りにしていたら瓶が空になった。精霊たちの為に紙のお皿に四つのクッキーを出したがカグヤだけがポケットから出て来ない。サクヤたちに食べて良いよと声をかけ、左手をポケットの前に。空いた右手にクッキーを手に取ると彼女は僕の左手に腰掛けた。
その彼女にクッキーを渡そうとしたが彼女は他の三人の精霊とは異なり自分の手で持とうとしない。さっきまでは四つに分けたジャムパンを自分の手で持って食べていたのだが…。
つん…。彼女が指先で自分から唇に触れた。
「あ…」
彼女と初めて会った日を思い出す、彼女の口元を拭いた時の事…。
『ねえ…、拭いて…』
もしも声が出るならばきっとそんな風に言ってたんじゃないかなと思える仕草。だとすると今は『食べさせて』って事かな。
すると彼女は『にこり…』と静かに微笑んだ。
□
クッキーを食べ終えたカグヤは今も僕の左手の平にいる。座っていた姿勢から横向きに寝そべり、僕の親指の付け根あたりを枕代わりにしている。
視線は僕を見上げ、時折手のひらを引っかくと言うか刺激を加えて僕の意識をそちらに向けさせる。なんといっても手のひらというのは敏感だ。感覚神経が体の他の部分と比べて段違いに多い、独特のじれったいような感覚が嫌でも彼女を意識させる。
「お申し出の件、確認と予約の手続き完了しました。その時間で場所を確保してあります」
シルフィさんが早速手配してくれたようだ。うーん、眼鏡をかけたその美貌。まさにデキる秘書さんって感じだ。
よし、せっかくシルフィさんが手を打ってくれたんだ。なら僕もすぐに行動に移そう。ギルドの外看板に午後に魚の販売をする事と明日のラーメン販売を告知しておかないと…。
すぐに矢鳩の手配をしてもらった。伝書鳩のような役割をこなす矢鳩は決まった場所同士のやりとりの他に、中には宛先を指定して向かう事が出来るように訓練された鳩もいる。
個人の家はさすがに無理だが、大きな商会や有力者などの行き来が出来る。猫獣人族の顔役にして鳶職の棟梁、ゴロナーゴさん宅になら矢鳩を飛ばす事が出来る。それにゴロナーゴさんだけではなく、奥さんのオタエさんも何かと顔が広く奥さん方同士の情報伝達力が凄い。
そのオタエさんに期待して同族内に口コミで情報を流してもらう。まだ、朝の早い時間だ、夕食の買い物には十分時間がある。
布に『ぼうけんしゃぎるどまえ くいーんのとき さかなうります (冒険者ギルド前 女王の刻 魚売ります)』と記して鳩の足に結える。女王の刻とはだいたい午後三時頃だ、これなら夕食の時間に間に合うだろう。受付で所定の金額を支払い矢鳩を飛ばした、布が小さい為に文字数はこれが限界。僕の名前は書けなかったが場所は書いてあるしきっと伝わるだろう。
僕はリュックからいつものようにレポート用紙と黒の太字マジックを出して明日の販売について記載していく。僕が作業し始めたのを見て精霊たちが集まって覗き込む。ああ、サクヤ…君はやっぱりそこに行くのね…。僕の頭の上の感触から視界内にはいない光精霊の居場所を推測する。
文言を急いで書き上げて看板に貼りに行こうとする。もうしばらくしたらヒョイさんから迎えの馬車が来る頃だ。ついでに塩も自動販売機に補充しておこう。
「それにしても…。ゲンタさん」
「はい、なんでしょう?シルフィさん」
シルフィさんの方に視線を向けると彼女はクイッと眼鏡をかけ直しながら言った。
「今日はずいぶんとカグヤがゲンタさんに身を預けると言うか…、ずっとゲンタさんに触れていますね」
どきぃんっ!!僕の心臓が一瞬にして跳ね上がった。