第171話 鏡の向こうに行く感じ
「き、君は…」
誰なの?そう聞こうとして膝をついた。向かい合う少女と目線の高さを合わせる。すると彼女はすっ…とその白い手を僕に伸ばしてくる。
なで…。僕の頬をゆっくりと撫でる。この感触は…。
僕はこの感触を知っている。身に覚えがある。この触り方…、間違いない…。
「カ、カグヤなの?」
僕がそう聞くと、目の前の少女は『にこり…』と月のように静かに微笑む。ああ、これは本物だ…。
まあ…、考えて見れば出来そうな事だ…。だって僕はこの部屋のクローゼット奥の壁から異世界に行き、そして異世界から自宅に戻ってくる事が出来る。
だから、やろうと思えば例えばシルフィさんをこちらに連れて来たりする事も出来るだろう。既に異世界へは様々な物品の持ち込みは出来ているし、セフィラさんたちからいただいたエルフの服を持ち帰る事も出来ている。
だが、異世界から人を招く事が出来るにしてもそれをバラすべきかは考えなくてはならないだろう。
確かに僕に近しい人たちは良い人ばかりだ。だが、そこから話が漏れていき悪い人が聞きつけるかも知れない。そんな人が日本に来れば悪い事が起こるだろう。だから、明かすべきではないな…、そんなふうに思う。
「他の人は…、来れない」
カグヤがぽつりと呟く。あれ…?僕は何も口に出してないぞ…?もしかして僕の考えている事が分かるのだろうか?
にこり…。カグヤが微笑む。
「カグヤは僕の考えている事が分かるの?」
彼女は静かに首肯いた。
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考えている事が分かるって凄いな。
「ねえ、カグヤ?他の人は来れないってどういう事?」
フローリングの床に座りながら質問する。
「言葉通りの意味、誰もこちらには来れない。それは精霊でも同じ」
それはナジナさんやシルフィさんたちは言うに及ばず、サクヤたち精霊も同じという事か…。でも、それならどうしてカグヤはこちらに来れた?
すると彼女は立ち上がり僕の手を取った。僕も同じように立ち上がり彼女と歩く。先程までいた浴室の前でその足を止めた。
「この世界に来るには、鏡の向こうに行くようなもの…」
そう言って彼女はバスルームの入り口横にある洗面台….、鏡面の部分を指差した。
「鏡の向こうに…」
「そう。ゲンタ、鏡の向こうに行くように手を伸ばしてみて」
言われた通りにするが、当然鏡の表面に触れそこから先に進める訳がない。
「普通、人はそうなる。誰もその先には行けない」
「うん…」
そりゃそうだ。僕が行ったり来たりしている異世界とクローゼットの境目は鏡そのものではないけれど、それと似ているなら鏡に手を伸ばした時と同じ結果になるだろう。
でも、精霊もダメというのは…。単純に肉体を持つ訳ではない、言わば霊体のような存在なのかなと思っていたんだけれど…。
「精霊はその現象そのもの…」
「えっ?」
「サクヤは光、ホムラは火、セラは水…」
「うん…」
「例えば…、鏡に光を当てたらどうなる?」
「反射する。…あっ!」
そうか…。仮にサクヤがこちらに来ようとしたら、鏡に光を照射した時のように反射するって事か。もし、来ようとしても弾かれてしまうんだ…。
火も確かに向こうにはいけない、鏡を実際に炙ったら割れるかも知れないから鏡そのものではないけど…。水だって同じだ、鏡の表面に水を吹きかけてもそれは水滴になって付着するだけ…。向こうにはいけない。
なら…、カグヤは…?
「私は…、闇精霊だから…。闇は鏡には弾かれない」
「確かに…」
「そして鏡の向こうに映る影とこちらにある影は一つにつながる」
そう言って彼女は鏡の前で手をかざす。すると当然影が出来て鏡の一部が暗くなる。それが鏡に映る暗くなった部分の影とつながった。
「だから私はその影を通じてこちらの世界に来る事が出来た」
□
そうか…、そうやってカグヤは僕を追いかけてきてくれたんだ。とりあえずまたリビングに戻り座る。座卓に紅茶とクッキーを出した。
「それにしても…カグヤ。ずいぶん変わったと言うか…、空飛んでないし大きさも変わったし…」
そう、異世界では20センチくらいの身長のカグヤが今は子供サイズになっている。小学生高学年くらいだろうか…。そのくらいのサイズになっていた。
「この世界に来たら…受肉した」
「そうなんだ。こっちと向こうじゃ何かが違うのかな」
「ここだと魔法が使えない」
「ああ…、なるほど。確かにここでは魔法を使える人はいないね」
魔法…、御伽噺やファンタジー小説の中だけだよなあ…、その存在は。
「そうなると不便だね。元々カグヤは魔法が使えたのに…」
「でも、良い事もある」
「へえ、それは何?」
するとカグヤは座ったままな姿勢で僕ににじり寄って来た。僕の右横にピタリと接近。まるで有名ゴルファーのアプローチショットだ…。実況のアナウンサーが言う『ピン横30センチにピタリとつけて…』みたいな実況。
なんだろう…、妖しいというか妙な色気がある。
すり…、すり…。カグヤか異世界でもやっていた僕の頬を撫でる仕草。今はそれがとても艶かしい。白い肌、紅い唇…、その唇が笑みを浮かべる。
「この身体ならゲンタの子供を孕れる」