第168話 甘いワインの口溶けで
「は、離したく…ない?」
とまどうシルフィさん。そんな姿も美しい。
だから、僕は正直に言う事にしたんだ。
「は、はい。僕は気付いたんです。シルフィさんが僕の手をとって町の西側から柵や川を『光速』で越えた時、あっ…手をつないだままだって。だけど、離したくなくて…このままでいたくて。だから、ずっと手をつないだままでいました」
もの凄く恥ずかしい。自分の好意を包み隠さず告げているのだから…。僕は強くもないし顔やスタイルが良い訳でも、頭が良いわけでもない。
しかし、そんな僕の言葉をシルフィさんはまっすぐに聞いてくれていた。決して馬鹿にしたり、茶化したりする事もなく。
二人で敷いて四隅に石を置いて風で飛ばないようにしたレジャーシート、立ち話もなんだし座る事にしましょうと声をかけたらシルフィさんは頷いてくれた。
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レジャーシートの上に二人で二人で座る…、ただそれだけの事なんだけどここで一つ問題が…。
僕としては向かい合って座ると思っていました。ハイ。シルフィさんは裾の短い服を着ているから目のやり場に困るだろうけど、そこは膝掛けを運良く持っていたからそれを使ってもらえれば問題は解消できる…そう思っていたんです。
…が、しかし。そんな僕の考えは一瞬にして覆される。
なんと、シルフィさんが僕の隣に座ったのだ。
「ッ!!!?」
ど、どういう事でありますか?なんでわざわざ隣に?
照れてしまって視線を落とす。
ダ、ダメだッ!そこにはシルフィさんの白い足!
そうだ!こういう時は…。サクヤたちが一緒にいれば…。そう思ってリュックを開けてみると四人ともお昼寝タイム。ヤバい、彼女たちがいればこんな二人っきりの場面を和やかなものにしてくれると思ったのだが…。
ダメだぁ、この場面…。ハードです。
お茶でも飲んで落ちつくしかない。水筒に入れておいたアールグレイの紅茶。それとうっすら塩味のクラッカー、その上にイチゴジャムを塗った。
「さ、さあ、どうぞ!」
紅茶を入れていた水筒はステンレスの魔法瓶。温かいまま飲める。この後にはさらにワインを飲むから少量で良い。砂糖は入れてないけどクラッカーに載せたイチゴジャムが甘いので丁度良いはずだ。
「美味しいですね…。果物の香りがして…、このジャムも甘くて…」
「あ、はい。そうだ、そうですね、シルフィさん」
横のシルフィさんの方を見る、美しい相貌ときらめく髪。髪…、そうだ!
「シルフィさん、あの…」
そう言って取り出したのは半月型の櫛、『本つげ』と焼印されているから黄楊の木から作った櫛だろう。
「先日、屋台を邪魔しようとしたチンピラを追い払ってくれた時にシルフィさんはご自分の髪を使われました。女の人は髪をとても大切にしていると聞きますし、何よりこんなに綺麗な髪です。凄く申し訳なくて…」
「気にしないで下さい。一本だけの事ですし…」
「いえ…、たとえ一本でもシルフィさんの髪が失われるのは嫌です…。でも…、その…助けてもらって嬉しかったというのもあって…」
そして、櫛を差し出す。
「もしよかったらこれを使ってくれませんか?」
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櫛を渡し、僕とシルフィさんはぎこちなくだが話をした。その間、ずっと彼女は櫛を両手で包み込むように持っていてくれた。それがとても嬉しい。
緊張気味に始まった会話、だがある程度話した頃には紅茶もぬるくなり、多めに口に含み飲む事が出来た。緊張のせいですぐカラカラになる喉が潤い、少しは落ち着きを取り戻す。
そろそろワインを出しても良いだろうか?
今日、リュック以外に持っているものがある。保冷機能付きのトートバッグ。保冷剤を仕込みワインを、そしてチーズや生ハムを持ってきていた。
単純にワインに合いそうだからと買ってきた。小型ナイフでチーズを小さく切りクラッカーの上に載せた。他にも生ハムや、シルフィさんに好評だったイチゴジャムを添えたもの…、あまり派手な事は出来ないがあくまでワインをご一緒していただくもの。
朝食も食べた事だし、元々シルフィさんはガッツリ食べるタイプではない。だからあまり量を必要とはしないだろう。
「…。これは…」
グラスに注いだワインを見てシルフィさんが呟く。
甘口のスパークリングワイン、ネットで調べてみたらどうやら女性ウケも良いようだ。甘口で飲みやすい、そんなレビューが多い。
お酒に詳しくない僕はそんな口コミを信じて購入。あとはやはり冷やしておいた。少々お高いが稼がせてもらっている、そんな訳で異世界に来る前の僕なら絶対に手を出さないようなものだが、今日の為に買っておいた。この辺は成長と言えるだろうか。
「泡がたち、この香り…」
シルフィさんがスパークリングワインに驚いているようだ。
「今日こうしてご一緒できる事…、とても嬉しいです」
乾杯、互いにそう呟いてグラスを軽く合わせる。
僕は今19歳、日本では飲酒は問題になるだろうがここは異世界。15歳が成人年齢であるし、法に触れる事はない。安心して飲む事が出来る。
あ〜、確かに飲みやすいし甘くて口当たりも良い。こりゃ、確かに女性人気が出そうだ。だが、問題はシルフィさん。彼女が気に入ってくれなければ意味がない。
隣に座っているシルフィさんの様子をちらりと見る。
一息で飲み干したのかそのグラスは空になっていた。シルフィさんにしては珍しい、気に入ってもらえたのだろうか?
グラスがゆっくりと地面に置かれた。
シルフィさんが一つ、吐息を漏らす。
次の瞬間、シルフィさんが僕の胸にもたれかかるように身を寄せてきたのでだった。