第164話 告白? & 『商売敵たち』まったく売れてない!
目を覚ますとオレンジ色に染まり始めた太陽が高度を下げつつある時間。夕方にはまだ少し早い。
隣には変わらずアリスちゃんが僕にしがみつくようにして眠っている。元気そうにしていたが、初めての仕事、想像以上に体力も気も使っていたのかも知れない。
そのアリスちゃんの背中側にアリスちゃんを背中から包むようにマオンさんが眠っていた。孫を見守るおばあちゃん…そんな雰囲気だ。
僕の手を抱えるように眠るアリスちゃんを起こさないようにそっと手を抜いた。体を起こすと僕の右横にはシルフィさん、ずっとそばにいてくれたのだろうか?
「おはようございます、シルフィさん」
「おはようございます、ゲンタさん」
もしこんな綺麗な人と毎朝こんな風にできたら幸せだろうなあ…。ちょっとそんな事を考えてしまう…。
「もしかして、ずっと横にいてくれたんですか?」
「は、はいっ!!」
あれ?どうしたんだろう?いつも冷静沈着なシルフィさんらしくもない。何やら上気した頬が珍しい。
「そ、そういえばゲンタさんが寝ている間にも注文が来ていたんですよ。紅茶や焼菓子とか…」
「あ、ヒョイさんの社交場からですね。ありがたいなあ…」
「あの『あーるぐれい』という銘茶…、大変な好評のようですよ。焼菓子もぞれに負けておりませんし…」
シルフィさんが感心したように言う。そう言えばヒョイさんが社交場の中にお客さんを迎える際にナントカ騎士爵様とか、御婦人とか言ってたもんなあ…。
そんな人たちが紅茶とかクッキーに対して高評価なのか…。すごいな、現代日本で普通に買える品物。この異世界の上流階級とかセレブみたいな人の御用達みたいな感じじゃないか。
騎士って事は…、馬に乗れる。日本で言えば江戸時代の旗本みたいなものだろうか。旗本は収入を札差から米やそれを売却し金として受け取る蔵米取ではなく、れっきとした知行地を与えられた身分である。
戦となれば小身か大身かに比例してではあるが一定数の兵を率いて参戦する義務がある。おそらくはこの世界の騎士も兵卒を率いて従軍する…おそらくはそんな身分だろう。
そんな人たちから注文が入るのか…。でも、関わるのは面倒くさそうだ。こちとら礼儀作法なんか知らないし…。
もし、問い合わせ入ってもヒョイさんにお願いしよう。うん。
それはそうと…。なんでシルフィさんは頬を赤らめていたんだろう…?僕は何かやっちゃったんだろうか…?
例えば寝言で『シルフィさ〜ん、好きじゃあああ!!』とか僕は言ってないよね?もし、そんな事になってたら…やだ、こっぱすがしい!!
と、とりあえず…一応、か、確認しとくか…。万が一にもそんな事言ってたりしたら大変だ!
「あ、あの…、シルフィさん…」
僕は真面目な顔で切り出した。
「は、はい。なんでしょう、ゲンタさん」
「僕が寝てる時…。その…、何かありました?」
ぼんっ!!音がなるようなくらいの勢いでシルフィさんの顔が真っ赤になった。
えっ?ちょ、ちょっと!?
「な、何もありません。ゲンタさんからは何もありませんでしたッ!」
ブンッ!!一瞬にしてシルフィさんの姿が 残像を残して消える。そして少し離れた所にパッと現れる。
「ど、どうしよう…。僕、なんかやっちゃったのかな…?」
僕、何したんだろう。誰が知ってたら教えて下さい。
「なあ、フェミ…?」
「なぁに?マニィちゃん」
「オレ、ダンナに『姉御はダンナが寝てる間、ずっと手を握ってたんだよ』って教えてやった方が良いかな?」
「マニィちゃん、それ多分生きて帰ってこれなくなると思う」
□
そして夕方が近づいてきた。
大繁盛間違いなしと安心し朝から開店している酒場に繰り出して今頃戻ってきたハンガスとブド・ライアー。上機嫌で戻ってきた二人を待っていたのは信じられない光景だった。
二人の屋台がある広場の中央には誰もいない。
「そ、そんな…。客がいないなんて…」
「い、いや!単純にもう売り切れただけかも知れねえ!」
ハンガスは自分の屋台に走る!
「バ、バカな…!」
見れば屋台には山と積まれたパン。それだけではない。屋台の後ろのスペースには木箱の山。パンを運ぶ時に使っていたものだ。
しかも空になった木箱は一つも無い。間違いない、売れていないのだ。黒パンだけではない!高級路線の小麦を混ぜたパンでさえ売れていない。
「な、なにィ!なぜだ!?二割だ、二割も小麦を混ぜたパンなのにッ!」
その時、ハンガスには大盛況の広場の外れの様子が見えた。
「あ、あれはッ!?」
冒険者ギルドの屋台でひらめく幟旗、そこには『しろい ぱん(白いパン)』と大書された旗が揺れる。
「し、白いパンだとォォッ!バカなッ!」
ハンガスは目を疑う、有り得ない!白いパンだと?
だが、あちらに並ぶ客たちは嬉々として何やらスープ皿のようなものとパンを受け取っている。なんだ、あの見るからに柔らかそうなパンはッ!?
客の一人がパンにかぶりついている。その断面、なんだッ?あの白さは!?まさか、十割…小麦なのか!?それゆえ、あんな白パンがっ!?
信じられない!そんなパンなど貴族か大商人、あるいは小麦を寄進される王都をはじめとした大都市の教会や聖堂だけであろう。そのくらい貴重なものだし、そもそも小麦の粉が手に入る訳がない!
少なくとも、ハンガスの商会では売った記録は無いはずだ。あるいは商業ギルドとしても小麦が入ってきた記録はない。そもそもどうやって手に入れた?
ましてや一個や二個ではない。誰もがあのパンを持って行列を後にする。全員があのパンを手にしている。どれだけの小麦を仕入れたと言うのだ!?
だが、そのせいでこちらのパンが売れてないのだろう、ハンガスはパンを気持ち良い程に売っている冒険者ギルドに対して悔しさと恨みの感情を覚えた。
また、それはブド・ライアーも同じであった。
今日用意したスープは香辛料まで使っていた。あの用意している鍋に使った香辛料だけで香辛料の販売価格から考えれば琥珀金貨を数枚は損しているだろう。
「い、いや、違う!それだけじゃないッ!」
ブド・ライアーはあるものに気づいた。元から準備していたスープを作った大鍋。しかし、それだけでなく、屋台の後ろには同じような大鍋がいくつか用意されている。
「そうだった…。し、しまった!」
朝、言ってしまった部下への指示。今さらながらこれを悔やむ、深く悔やむ。間違いなく売れると思い口にした『在庫を切らすな、すぐに在庫を用意しておけ』この指示が失策以外の何物でもない。
あの大鍋に入れた香辛料、販売価格なら琥珀金貨で二枚(日本円で四万円)はする。そんな鍋が合計五つ、香辛料だけを売った場合、金貨二枚(二十万円相当)の金が稼げる筈だ。
しかし、だからこそ解せない。それがなぜ売れぬ、町の衆じゃ滅多に口に出来ぬ香辛料…、それを銀片二枚(ペン二)(日本円で二千円)で販売してやるのだ。
香辛料入りのスープなど、ちゃんとした料理屋なら少なくとも単品で銀貨(一万円相当)は飛んでいく。こんな安くしてやってるのになぜ先を争うように喜んで買おうとしないッ?馬鹿なのか?奴らは馬鹿なのかッ?
その時、何人かの町衆が混在する広場の外れから広場の出入り口への直接ルートを避け、人のいない中央を通って出入り口の方に向かう。
「いやー、あの料理はスゲーな!あの香辛料 「それが白銅貨十五枚だもんな、白いパンまでついてなあ!」
「ありゃあ黒胡椒だけじゃねえらしい。いくつもの香辛料が入ってるらしいぜ」
「味も良いしなあ!」
「あ、ここも香辛料入りのスープを売ってるみてーだな?」
お、客か?よし、ありがたがって買え!銀片二枚(ペン二)払ってなあ…、ブド・ライアーはニヤリと笑う。だが町衆の反応は…。
「ああ、こいつはダメだな」
な、何!?ブド・ライアーはつんのめりそうになる。
「ニオイがしてこねえもんな、よっぽど質が悪いか量をケチってんだろーな」
「で、銀片二枚(ペン二)だもんな。誰がこんなうっすいスープ飲むんだよなあ」
「そうそう!質は悪くて値段は高い、こんなスープ飲むのは馬鹿しかいねえよなー」
そ、そんな…、目論見が外れブド・ライアーはガックリとうなだれる。
その後、何人も町衆が通り過ぎていくがブド・ライアーの屋台には見向きをしない。本来なら夕方には撤収をしておかねばならない。だが、売れていない、ブド・ライアーは焦る。儲けどころか香辛料の原価すら回収出来ていない。
「く、くそっ!ね、値下げだ!奴らと同じ白銅貨十五枚にするぞッ!」
ブド・ライアーは瞬時に値下げを決断する。しかし…。
「なんだ、こりゃ?値下げして冒険者ギルドと同じだぁ?」
「寝言は寝て言えってんだよなぁ!」
「あっちはパンまでついてんのになあ」
「そうだそうだ、こんな出来損ない誰が買うか!」
誰も見向きもしない。日の暮れが近づいてくる、ブド・ライアーは焦った。
白銅貨十枚に値下げした、しかし売れない。
「ええいッ!白銅貨五枚だ、白銅貨五枚で良いッ!」
投げ売りとも言える価格まで落とす。利益はおろか原価も回収出来ないだろう。しかし、わずかでも損害を減らす為にそんな価格でも良いと決断する。
ようやく一人の客がついた。冒険者ギルドでも食べてきたようだがもう少し食べたかったらしい。足りない分を補うような扱いにブド・ライアーは少し腹も立ったがそこは金の為だ、我慢する。
しかし、さあ食ってみろ。食って賞賛の声を上げろ。それが次の客を呼ぶ。
「ぺっ!なんだよこりゃあ!」
客からは賞賛ではなく、批判の声が上がる。
「香辛料の香りもロクにしねえ!味も…なんだこりゃ!冒険者ギルドのと比べりゃあただの塩水じゃねえか!しかもぬるいしよぉ…」
「ば、バカな…。それは町でも普通に売っているような…」
「ケッ!何言ってやがる。冒険者ギルドのはこんなシャバシャバの塩水もどきじゃねえっ!もっとドロッとして濃かったぞ!具もたくさん入ってたしよぉ!」
「そ、そんな…」
「それに何より冒険者ギルドのはアツアツが食えるんだ!こんなぬるま湯とは違ーんだよ!」
吐き捨てるように客は言う。それを聞いて町衆はつまらないものを見るような目で一瞥くれてブド・ライアー商会の屋台の前を通り過ぎていく。
呆然とそれを見送るブド・ライアー。一日の売り上げは先程の客の銅貨五枚のみ。ただ、それだけである。
「あ、あり得ない。アツアツを…、あれだけの行列だ。手早く客をさばいても時間はかかる…。奴ら、常に薪を焚いているとでも言うのか!」
そんな事をしたらいくらかかるんだ?しかも、それを信じられない安値で売る?何を考えているんだ…。
もっともゲンタにしてみれば燃料となる薪炭は必要ない。火精霊ホムラという強い味方がいる。
あれこれ考えていたブド・ライアーがふと見つめた先…。
そこには日が暮れてきたのに明るく照らし出されている川べりと、大盛況の冒険者ギルド主催の屋台だった。