第158話 『塩商人』ブド・ライアーの本気(ざまあ回)
チンピラたちを使ってゲンタたちの営業を妨害し、さらに痛めつけつらつ売り上げをも掻っ攫おうとしたハンガスを見送ったブド・ライアー。
ゴミや汚物が流れ眺望は最悪、悪臭が漂う商売をする者にとって劣悪極まりない…まさに死地とも言える場所で彼はその時を待ち続けた。
風向きよ、変われ。
ブド・ライアーの待ち望んでいるもの…端的に言えばその一言に尽きる。
この場を漂う悪臭を吹き散らかすような風向き、そして快進撃を続ける冒険者ギルドの客足が鈍ったり途切れたりするような…そんな勝負の転換点。そう言った意味での風向き、それが変わる事を願っていた。
するすると『やきそば』と書かれた幟旗が巻き上げられていく。ブド・ライアーはこれぞ天祐、そして冒険者ギルドが材料を切らして営業をやめるのだと確信した。
「素人が!馬鹿め!」
ブド・ライアーは広場の中央で屋台を開いている素人たちを嘲り嗤う。完売、売り切れと言えば確かに聞こえは良い。
しかし、ブド・ライアーからすればそんなものは愚か者の最たるものだと考えている。
「まだ買いそうな奴らがいるってのによー、アイツら馬鹿じゃねーか?こういう時の在庫ってのはあらかじめ多く持って来て一人の客も取りこぼさねーようにするのが定石だろうがよ!」
ブド・ライアーの発言は間違ってはいない。むしろ正鵠を射ている。買いたい人がいるのに在庫が無いと言うのならチャンスロス、まだ得る事が出来る儲けの機会をみすみす逃しているに他ならない。
「だが俺は違うぞ!勝負はどう転ぶかは分からねえ。材料はまだまだあるんだ!それに前回は夜遅くまで客足は遠のかなかった。なら、こっからだ、ここから客を総取りすりゃあ良いんだッ!」
ブド・ライアーの顔が喜色に染まる。手代たちを大声で呼んだ。
「おいっ!お前ら町をひとっ走りしてこい!商業ギルドに加入している所全部だッ!『広場が盛り上がってるから是非お越し下さい』ってな。まずは人を呼び集める…、そうすりゃ町の衆なんて金魚のフンみてーなモンだ!あいつらバカだからよ、列が出来れば勝手に並びやがるからな!行けッ!」
主人の言葉を受け、手代たちが町のあちこちに走っていく。
さらにブド・ライアーは残っていた者たちに矢継ぎ早に指示を出す。
「スープを今のうちから仕込め!ここからだ、客が押し寄せるぞ!煮炊きはすぐに出来るものではない、今のうちからやっておけ!」
ここから逆転だ!ブド・ライアーは確信した。
「素人どもが…。副組合長の本気を見せてやるぜ!これが力だ、頭脳の良さだ!どうやりゃ人が集まるか…いや、集めるかだ!もう材料も残ってない素人どもに頭脳の違いってヤツを見せてやるぜ!」
走っていく手代たちを見送ってブド・ライアーは再び冒険者ギルドの屋台の方を見た。その顔が驚きのものに変わる。
はざあっ!!巻き上げられた『やきそば』の幟旗の代わりに新たなものが落ちて翻る。『たいやき』…『やきそば』に続いて聞いた事もないような名前が現れる。
「ま、まさか…。奴ら材料を使い果たしたのではなく…、違うものを作ると言うのか…」
常識で考えれば有り得ない事であった。
違う料理を出すのなら当然材料は二種類用意しなければならない。そんな事は手間でしかない。そんな事をなぜする必要がある?
それなのに…、新しい『たいやき』とやらは『やきそば』と同じく盛況なようだ。何が起こっている、こちらはそこらへんの辻売(行商人)が売っているスープなんかよりはるかに野菜も塩も入っている。
水と大して変わらないスープと違って塩味が感じられる…ブド・ライアー商会の塩をそれなりに使っているんだッ!なぜ有りがたがって食べに来ない?金を落としていかない?
見れば客層は変わっていた。男性が多かった昼時と違って女性の割合が増え始めた。男は元々いたから単純に増えている。
女がいると分かれば増えてくるのが男だ。ここでもそれは例外ではない。
だが、ここでブド・ライアーは一つの光明を見出す。
先程使いに出した手代たちが戻り始めたのだった。これなら上手くいく。見知った顔がこちらに流れてくるのではないか…そんな期待を抱かせる。
「おおっ!あれは!」
思わず声が出る。遠くに少し高価そうな馬車が見えた、ブド・ライアーはその持ち主に心当たりがあった。それなりに規模がある商会のものだ。中に乗っているのは当主か、それとも家族の誰かか?
誰でも良い、早くここに来い!並べ!
そしてここに金を落とせ!
思わず口に出そうな言葉、それほどまでに切望した客。
だがしかし、そんなブド・ライアーの願いも虚しく誰一人としてこちらに来ない。
それどころか冒険者ギルドの屋台の列に並んだ者もいるようだ。
「おいっ!お前ら、何て言って回ったんだッ!?」
「はい、『広場が盛り上がっているから是非お越し下さい』、旦那様のお言いつけ通りにお伝えしました」
「ぬっ!ぐううううッ!!」
ブド・ライアーは歯噛みして悔しがる。
確かに広場に足を運ばせる事は出来た。だが、自分の為に呼びつけたはずがなんと冒険者ギルド側に流れてしまっているではないか!
なぜ手代を町に走らせる時に素直に『我らブド・ライアー商会の屋台にお越し下さい』と言えなかったのか?
そうすれば売り上げが苦戦している事が伝わってしまったとしても、付き合いという事で並んでくれた人がいたかも知れない。だが、プライドが邪魔をした、副組合長…頭の良い自分がなぜ他の自分より小さな商会や商店に頭を下げねばならぬのか。
だからブド・ライアーは無意識のうちに人に頼むというようなスタンスを取らなかった。それがこの結果である。
もっとも、こんな悪臭漂う場所に呼びつけるのだ、もし来てくれたにしても招待する側の人間としての常識を疑われるだろうが…。
日が暮れ始めた。
売り上げはわずか白銅貨にして四十五枚。日本円にして4500円である。来客はわずか9人、今日の出店も大失敗である。
日が暮れる前に後片付けを始めた、失意に染まるブド・ライアーの一行にとって持ち帰る事にした売れ残りのスープはこれ以上ないくらいに重いものであった。