第144話 受付嬢たちは気が気じゃない & あの人は今
「おはようございます、ゲンタ様」
「あ、おはようございます。メルジーナさん」
「あの…、私居ても立ってもいられなくて…。おじ様に無理を言って早くから馬車を出していただきましたの…」
なぜか頬を赤く染めながらそんな事を言っている。しかも、そのまま舞台に立てそうな豪奢なドレスだ。確かにこんなドレスでは町は歩けないだろうし、それに劇場の歌姫。下手に町を歩けば人だかりが出来てしまうかも知れない。
丸太椅子を引き、座るように勧めた。すると、
「ゲンタ様はどちらに?」
「テーブルの向かい側に座ろうかと…」
「私初めての場所は心細くて…。どうかこちらにいらして…」
「あ、はい。分かりました」
うーん、まあそうか。歌姫さんだもんな。いきなり冒険者ギルドというのは怖いものなのかも知れない。ヒョイさんも今はそばにいない訳だし。
そのヒョイさんはと言えば、僕があくまで個人的にメルジーナさんに海藻を振る舞うだけであるのだが、『ギルド内の場所をお借りする訳ですから…』と正式な依頼としてカウンターで手続きをしている。これでいくらかの手数料がギルドに落ちるのだろう。
このありがたい気遣い、やはりヒョイさんは紳士の鑑である。
僕はそんなヒョイさんをもてなすべく、紅茶の準備をする。
「それはなんですの?」
「これですか?これは紅茶の茶葉をカップ一杯分取り分けて詰めた物です。お湯を入れるだけで紅茶を楽しめますよ」
そう言って僕はティーパックをメルジーナさんに見せた。
そう言えば…、メルジーナさんは昨日初めて会った時も仕立ての良い服を着ていたけれど、今日のドレスもよくお似合いだ。どこかの貴族令嬢…そんな雰囲気さえ漂う。黒髪、綺麗だなあと思って見ていたら、
「いやですわ…、そんなに見つめられては…」
「あっ。すいません、あまりに綺麗な髪で…、見惚れてしまいました」
「まあ…、お上手ですわ」
□
ギルドの仕事を一段落させた受付嬢の三人とヒョイさんがこちらのテーブルにやってきた。真四角のテーブルを二つくっつけて席に着く。
さて、みんなで朝食を…そう思ってパンを出した時に思い出す。ヒョイさんの事、考えてなかった。パンが人数分しかない。
「あ、すいません。ヒョイさん、朝食は…?」
人数分のティーカップにお湯を注ぎながらヒョイさんに尋ねる。
「ほっほっ!お気になさらずに。年寄りは朝が早いものでしてな…。毎朝、自分で作って食べているのですよ」
「え、ご自身で作られるんですか?」
「ヒョイおじ様はとても料理上手ですのよ」
「そうなんですか」
「ゲンタ様も料理がお得意なのでしょう?」
「いえ、得意と言うほどでは…」
「ミミたちが言っていましたわ。一瞬で虜にされたと…」
「えっ、ミミさんたちが!?」
「うらやましいですわ…。いつかは私も…」
そう言ってメルジーナさんは僕を見つめていた。
□
朝食は僕たちはパン、ヒョイさんにはお茶うけとしてクッキーを。ちなみに精霊たちにもクッキーを出した、彼女たちはこれを朝食にするらしい。
メルジーナさんには僕の持って来た水で戻すタイプの海藻サラダにドレッシングを少々。トッピングのように青のりで飾る。そして、わざわざこちらに招いたから特別サービスとしてもずく酢を出した。生の海藻を味わってもらいたかったのだ。
実はこれよりも前にパン販売をした時、イールさんたち三人に試食してもらったところ、一瞬で部分獣化し一度乾燥させたものでは失われてしまう風味を余す所なく感じられたといたく感動していた。
いきなり三人が三叉槍を僕の目の前で高く掲てカチンと打ち合わせた。訳も分からず見守る事しか出来ない僕。
「我らが命、地上に降りし海王神の為に!!」
なんて桃園の誓いみたいな事をやっちゃっていた。どうにも困った事態、このもずく酢は1パック4個入り128円。一人当たり三十円余りで命をかけさせる訳にはいかない。
だが、受け入れられたのが分かったので三人には気にしないで下さいと伝えた。そのおかげで安心してメルジーナさんに出す事が出来るのだから。
さてそのメルジーナさん、海藻サラダを一口食べた時はぶるぶると体を震わせていたもののなんとか耐えきった。しかし、次のもずく酢を一口食べるなり、
「ああっ!」
そう言って丸太椅子からずり落ちそうになる。
「危ないッ!」
間一髪、僕は彼女を受け止める。
「私、昨日とまた同じように…」
メルジーナさんは申し訳なさそうに顔を伏せる。
「約束…、したじゃないですか。こういう時、僕がいつでも支えますよ…って」
「嬉しい…」
うーん、我ながらちょっとキザな物言いかも知れない。でも、今はそれも良いかなとも思う、淑女を護る騎士のように…。生まれてから一度も剣を握った事も無い頼りない騎士だけど。
「ほっほっほ。これはこれは…。メルジーナは良い殿方と縁を持てたようですな。いずれは良き伴侶として認められるよう…メルジーナ励みなさい」
えっ!?伴侶?伴侶って結婚相手の事だよね?ど、どういう事だ…そんな風にあたふたしている僕をよそに、
「はい…、おじ様」
メルジーナさんが静かだが決意を込めた声で応じた。
ヒョイさんは孫娘の恋を見守る優しいお爺さんのような視線。一方のメルジーナさんは百年の恋を見つけたとでもいうかのように熱く僕を見つめる。
「ゲンタ様、私とても嬉しかったんですわよ。いつでも支えていただけると聞いた時…、それはもう涙が出るほど嬉しくて…」
「私も感動いたしましたぞ、ゲンタさん。ややもすればこれは古風な言い回しです、ただ女人魚族にとって地上で何かの拍子に獣化すると立って歩く事はままなりません。それをいつでも支えるなど…これほど身を任せるに心強い言葉はありましょうか」
えっ!それってそんな意味になるの?何それ?うかつに会話出来ないんですけど!?手鏡の時みたいにいきなり求婚してたみたいな意味になっちゃうの?
僕が何も言えずに口をパクパクしていると、メルジーナさんの言葉にさらに外堀が埋められていく。
「それに先程…、髪を褒めていただきましたわ…。私、今朝から念入りに髪の手入れをいたしましたの。髪は女の命ですわ。どんな種族でも、それこそ獣化しても変わらないのが髪ですわ。それを褒めていただけるなんて…。もう私、他の殿方なんて目に入りませんわ…」
うっとり…、そんな効果音がしそうな熱い視線。こ、これ、誤解を解かないとヤバいんじゃないだろうか…。
「あ、あの…。メルジーナさん?」
「メル…、メルとお呼び下さいませ。ゲンタ様」
「メ、メル…さん?」
「はい、旦那様」
「………」
ヤバい。これはヤバい。これ、どこに何をかわしながら投げてもホームラン打たれるやつだ。ど、どうしたら良いんだろう。
た、助けて誰か。ちらり、受付嬢の三人の方を見ると…。
「なぁ…フェミ?」
「なぁに?マニィちゃん」
「オレ、お前が以前に言ってた事の意味、ようやく分かったぜ」
「ゲンタさん、意外と女たらしさんて事?」
「ああ、あれを無意識にやってんならオレは気が気じゃねえよ」
ああ…、マニィさぁん!ため息つかないで…。
そしてシルフィさん、僕を見るジト目が怖いです。…もっと下さい。
□
その頃…。
「お、おい。どーいう事だ!治らねえってのはよォ!?」
寝台に仰向けに寝かされた男…、ギリアムはまくし立てる。
「ですから、治しようがないのです」
「何言ってんだ!アンタ、オレの拳の酷い骨折も治したじゃねえか!?他に色々やられたトコもそうだ、カネはかかったがヨォ!」
首を返答した男に向け声を荒らげる。
「治ってるんですよ…。というよりケガをしていないのです」
「ふ、ふざけんなッ!現にこうして俺はッ!!」
起き上がろうとしたが、ギリアムは両手を寝台に突き踏ん張る程度しか出来ない。視界がわずかに動く程度、これなら首だけを動かしたのと大差はない。
「綺麗に外されているのですよ」
「ああン!?どういうこった?」
「我々は治癒の為の魔法が使えます。それは体の壊れた部分を修繕するようなもの、破れた布を縫い合わせるようにね」
「意味が分かンねぇぞ、オイ!」
「つまり、どこも壊れてないんですよ。綺麗に…、あまりに綺麗過ぎる。ギリアムさん、あなたの背骨はほんのわずかな傷も付けないように外されているんですよ」
「傷が無い?だったらくっつけンのも楽だろ、オレの拳を治しただろう、確かに多少の傷痕は残った。だが元通りだ!」
「それは骨折部分があったからですよ。だから、そのまわりもつられて治った。しかしね…、ギリアムの坊ちゃん…」
治療士は昔からの呼び名で、聞き分けの無い子供に噛んでふくめるように言った。
「この背骨は、ただの一欠片の剥離も起きないように外されている。その気になれば貴方の背骨を折る事も…、それどころか上半身と下半身を捻じ切る事も可能だったでしょうに…」
「そ、それがどーいう事だってンだよォ!?」
自分の体が捻じ切られる事に臆したか、ギリアムは少し声が震えている。
「骨に少しでも傷が有れば、それを治しながらくっつけるように処置のやりようもあったかもしれません。しかし、これではそれも出来ない。少なくとも私の実力ではね」
「じゃ、じゃあ…何だ?俺はこのままなのか?」
「………」
治療士は何も返答ない。
ギリアムは外見的にはすっかり治っていた。また、治療士とのやりとりでは駄々っ子のように足をジタバタとさせる。
しかし、それが彼の出来る精一杯。起き上がる事が出来ない。
ラメンマが…、様々な生物の肉体的構造に精通した狩猟士が背骨を外すだけにとどめた。それを優しいとマニィは評した、確かに余計な苦痛はない。
しかし今、それが最大の断罪となる。現時点でこれ以上治せない。
鳩尾の丁度裏あたりで背骨は外されていた、しかも綺麗に。…いや、綺麗過ぎる程に。治療の必要がない程に。
ギリアムは足の指を動かそうとする、確かに動く。神経はつながっている。…が、背骨がつながっていない。連動しないのだ。
今は満足な寝返りもうてない、上半身を捻ろうとも鳩尾から下は仰向けのままなのだ。体を横に向ける事さえ一人では出来ないのだ。
「では、私はこれで。半日したら夕食を、あとは排泄の処理をさせますので…」
ぽつん…。
一人ギリアムは部屋に残される。
彼に与えられたのは日に二回の食事の差し入れと、その際に排泄の処理を悪態をつきながらしにやってくる老婆が一人だけであった。
《次回予告》
様々な獣人族たちと知遇を得て、ゲンタは一気にミーンの町で顔が広くなった。冒険者たち、猫獣人族や犬獣人族をはじめとした獣人族たち。
そのきっかけとなった広場での屋台…。それを再び開くのだ。以前より沢山の人々が来てくれる…、ゲンタはそう思っていたのだが…。
そこにはブド・ライアーが手ぐすね引いて待ち構えていたのである。
次回、『異世界産物記』第145話。『塩商人』ブド・ライアーは一等地を奪い取る。
それは、破滅に向かう第一歩…。
《皆さまにお願い》
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