第140話 犬獣人族向きの『らめえぇぇ!?ん』。ゲンタ、再び神認定。
パタリ…。
盛大に背中の骨を鳴らしたギリアムは泡を吹いて倒れた。
ゆっくりとラメンマさんが立ち上がる。
「坊や…、あの『らめえぇぇ!?ん』を、食べてみたい。どうやら初めに食べたのとは違う」
「は、はい」
ギルドの中に戻る事にした。
「町の衆!ソイツの事、任せて良いか?」
ナジナさんが声をかけると町の皆さんは任せておけとばかりに声を上げズルズルとギリアムをどこかに引っ張っていった。まあ、普段の行いが良ければ手厚い世話を受けられるだろう。逆なら…うん、まあ死にはしないだろう。
「背骨…、折ったのかい?」
マニィさんが尋ねた。
「いや、外すにとどめておいた。僅かな傷も付かないようにな」
「ふーん、優しいねぇ」
その言葉にラメンマさんは少し考えた後に応じた
「いや、そうとも言い切れない。傷一つ付けないで骨を外す事が最大の罰になる事もある」
ラメンマさんがギリアムの背骨について話をしている。
「どういう事だい?」
「まあ、そのうち分かる。…と言ってもギリアムはもう…。分からないかも知れない」
「なんだそりゃ?」
「二度とあいつの顔を見る事はない」
そう言うとラメンマさんはこちらにやってきた。
「あっ!?」
「どうした?坊や」
ラーメン…、伸びてないかな?
□
ラーメンは伸びていなかった。というより器から無くなっていた。スープまで完全に…
入り口には僕たちがいて出入りは無かった。だ、誰もいない密室とも言えるギルド内でなぜ…?
だけと…、謎は全て…解けた。
ラーメンのどんぶりの横にサクヤたち四人の精霊たち。サクヤとホムラに至っては分かりやすくお腹をパンパンに膨らませ満足そうにテーブルの上で満足そうにゴロゴロしている。カグヤ、セラはそこまでではなかったが満足そうにしていた。犯人は君たちでしたか。
満足そうなホムラとセラにお願いしてラーメンを再び調理した。具も何も入っていないスープと麺だけの質素極まりないものだが、ラメンマさんはそれを食い入るように見つめ、出来上がったものをおもむろに口に運び始めた。
犬獣人族の部分獣化状態では猫舌ならぬ犬舌、ナジナさんによるとラメンマさんは熱いものは苦手だそうだが、そんな事はお構いなしに一心不乱にかっ込む。あっというまにスープまで食べ尽くしてしまった。
つーッ。ラメンマさんが一筋の涙を流した。
「長かった…、部分獣化が出来なくなって…。だが、この『らめえぇぇ!?ん』は思い出させてくれた」
ふう…、一息ついてラメンマさんは続ける。
「俺がまだ幼い頃…、狩りの途中で矢が尽きたんで町へ戻ろうとした時の事だ…。武器になるものが何も無いのに運悪く角兎に襲われて…、俺は死にものぐるいで角兎の首筋に噛みついて仕留めた。あの時の骨髄から漂う獲物の臭い…、俺が初めて獣化した…、獣性に目覚めたきっかけだった」
そうか…、それを思い出して自分が犬獣人族である事を改めて認識し、三年間失われていた獣化が再び出来るようになったんだ。
「それに思い出せた事だけじゃない。こんな美味いもの…、出来る事なら…、同胞たちにも食わせてやりたい…」
同胞…、つまり同じ犬獣人族の皆さんか…。
「何人くらい犬獣人族の方はこの町にいらっしゃるんですか?」
百五十人程だとラメンマさんが言うので、やりましょうと僕は告げた。
「な、何!?」
「お仕事がある方もあるでしょうから、明日のこのくらいの時間で…」
僕はシルフィさんに向き直る。
「明日、ギルドの前で屋台を開かせて下さい」
「はい」
シルフィさんは迷い無く応じた。よし、なら準備だ。出遅れちゃいけない。日本に戻って買い出しだ。
「じゃあ、僕は準備に向かいます!ラメンマさん、犬獣人族の皆さんに伝えてもらっても良いですか?」
「分かった」
では…、僕はそう言って席を立つ。
「そう言えば坊や、この料理の名前は何て言うんだ?」
僕はラメンマさんに振り向き、
「とんこつラーメ…じゃなかった、『とんこつらめえぇぇ!?ん』です」
それから僕はすぐにいつものスーパーにラーメンを買いに走った。そのスーパーのPBのとんこつラーメンを全部下さいと言ってかき集めた。160食の確保が出来た。
あと、ラメンマさんと知り合いではない犬獣人族の人もいるかも知れない。だから僕はギルド前の掲示板にチラシを貼り付けた。
『どぎーまのみなさまにおすすめのりょうり、やたいでうります。げんてい160しょく(犬獣人族の皆様にお勧めの料理、屋台で売ります。限定160食)』
□
次の日の夕方、冒険者ギルドの前には人だかり。老若男女、様々な人が集う。並んでいる観衆の中にはラメンマさんがいた。
…それは分かるが、なぜかナジナさんも満面の笑顔で並んでいる。あまり気にしないようにしよう。
そろそろ始めるか、マオンさんや調理を担当するホムラとセラ、屋台を明るく照らすサクヤ、そしてとんこつラーメンのニオイをこのあたりに封じ込めて食べるか食べないかを悩んでいる人に最後の一押しをするカグヤ、みんなと頷いて販売を開始する。
「ではこれより、新しい料理を販売します。お代は本日はサービスの白銅貨五枚、注文とお支払い終わりましたらあちらのテーブルでお召し上がりください」
そう言って僕は屋台の隣にギルド内から引っ張り出して来た真四角のテーブルを三連続でくっ付けて横長のカウンターのようにしたものを指し示す。丸太椅子を置き、横に六人が並んで座れる。反対側にも六つの丸太椅子、合計十二人が席に着ける。
そして最初のお客さんが来た。
その人はお爺さん。『長老、こちらです』とラメンマさんに手を引かれながらやって来た。長老?犬獣人族の長老さんだろうか?
白色の眉毛やヒゲがとても長いお爺さんだった。眉毛に隠れてどんな目元をしているのかわからない。そう言えば昔、日本の首相にとても眉毛の長い方がいたらしい。
高校時代、高校生が出られるクイズ大会に出ようと色々な知識を詰め込もうとして歴代首相を覚えようとした時になんとなく記憶に残った。
会計のマオンさんが白銅貨を受け取ったのを見て、ホムラとセラに合図を送る。
「はい、とんこつ一丁!!」
あんな作り方があるなんて…、観衆からそんな声が聞こえる。ふわふわ浮いた水の玉、それをホムラの力で一瞬で熱湯にしたもので乾麺とスープを投入。あっという間に出来上がりどんぶりに盛り付けると、湯気と共にたちまち香りが立ち上った。それを長老と呼ばれた人のテーブルに置く。
ニオイにつられてか気の早い観衆…、若い男性に多いが部分獣化…、耳や鼻が若干それに変化している人がいる。
「まだよ、長老が召し上がられてからよ!」
そう言って周りにたしなめられている。
随分と統制が取れていて、かつ序列みたいなものを重視しているんだな…、そう感じた。
「確かに心躍るニオイだが…、あの長老が認められるかどうか…」
犬獣人族の観衆の誰かがそう言った。
□
長老は味にうるさいのだ。僕の横にやってきたラメンマさんがそんな事を言った。え、どういう事?
「お認めにならなければ、我ら犬獣人族がこぞって食べるという事はないだろう」
「え?ちょっと!?聞いてないんですけど?」
「大丈夫だ、余ったら俺とナジナが食う」
「そういう問題ではないと思います」
「俺を再び獣化させてくれた味とニオイ。自分を信じろ!…いや、『とんこつらめえぇぇ!?ん』を信じるのだ…。長老の眉が…、長老の眉が…、あの右眉が上がれば…」
「右眉?」
「ああ、長老は本当に美味いと思う物を口にするとあの右の眉毛が上がるのだ!」
え!?どっかで聞いた事ある設定なんですけど!?
「おおッ!長老が料理を口にするぞッ!」
「右の眉が上がれば…、いや、上がらずともピクリとさせるだけでも奇跡だろうがな」
「ああ!長老様の心をわずかでも動かせたならもう勲章モンだ!」
その観衆の言葉で我に返り、僕は長老さんの方を見た。
丁度、とんこつラーメンを口にするところだった。
緊張の一瞬!とんこつラーメンはどんな評価をされるんだろう?
もしもまずいとか言われたら…、そんな心配をしていたら長老さんの眉が両方とも勢いよく上がり、それどころか両の目をカッと見開いた!
次の瞬間には『ずー、ずるずる。ずー、ずるずる!』と老人とは思えぬ凄まじい食欲を発揮し一気に食べていく!その間にも長老さんはどんどん獣化し、食べ終わる頃には二十代とも言えるような鋭い眼光。そして、食べる前には体を支えられて立っていたのにスクッと立ち上がった。
「御歳八十歳を超えた…ちょ、長老があッ!!」
「ちょ、長老様が…お、お一人で立った!!」
「立った!立った!長老様が立った!」
うわああっ!!と観衆が一斉に湧いた!
「だ、だが…、肝心の…肝心の味はどうなんだッ!!」
「そうだっ!あ、味はっ!?」
「りょ、両眉が上がったが長老は何も言ってはおられないッ!!」
全員の視線が長老さんに集まる。
「美味いのう♡」
そう一言残し、長老さんはそそくさと行列の最後尾に並ぶ。
「長老の…か、片眉どころか両眉が上がって…」
「れ、列の最後尾に並ぶという事は…。ちょ、長老は…お、おかわりをッ!おかわりをされるおつもりだッ!」
「し、信じられねえッ!今まで長老がおかわりを所望したなんて話、聞いた事がねえッ!」
わあああっ!行列が一斉に押し寄せた…。
□
後にラメンマは振り返る。
どんな味でも識別するという舌と、何より他人に美味いか不味いかを伝える神の眉と評された犬獣人族の長老の眉。それを片眉どころか両眉とも上げさせ、あまつさえ高齢の為に介助無しでは立ち上がれなかった長老。
坊やと呼ばれた駆け出しの冒険者が出した一皿…、その奇跡の味は何事にも動じず泰然自若とした犬獣人族の長老の両眉を上げさせる前代未聞の快挙をやってのけ、さらに高齢の肉体を再び己の二本の足だけで大地に立ち上がらせた。
それだけではない。常に一人分の量だけを食べ、己のワガママで他人の食べる分が減っては…と自制していた長老がおかわりを求めた。八十年の人生にして初の禁を破ったのだ。どれだけ美味いのだ、あの料理は!?犬獣人族の全ての者がその味を求めた。
一瞬にして犬獣人族の心と胃袋を掴んだ男、坊やことゲンタ。神の眉を持つと言われた長老を唸らせる者、それすなわち神である。その日からゲンタは犬獣人族からもこう呼ばれるようになった、ゲンタ神と。
ちなみに長老は二杯目のとんこつラーメンを食べることが出来なかった。彼が二杯目を食べる前に売り切れてしまったのである。実はゲンタが新しい料理を屋台で出すとギルドで聞いて冒険者の中には犬獣人族に混じって行列に並んでいた者も数多くいたのだ。
そんな訳でとんこつラーメンは長老の前で全て売り切れてしまい長老はこれ以上ない程に錯乱した。
「あの長老があそこまで取り乱すとは…」
ラメンマの心にはゲンタという若者の底知れぬ凄さが刻み込まれていた。