第111話 恋の手鏡
「これ凄く美味しい!シルフィ姉様の言っていた通りだわ!」
そう言って上機嫌でクリームシチューを食べているのはシルフィさんの弟妹とも言えるエルフパーティの末っ子格といった感じのロヒューメさん。
このクリームシチューに関してはエルフの皆さんが食べる予定だったのでカレーとは違う作り方をした。具体的には玉ネギを根気良く弱火で炒め甘味を出すような感じで、さらに油と乳製品に相性が良いというマッシュルームも炒めて入れ、彩りを添える為にブロッコリーを茹でた物を添えた。
「なんて色鮮やかな人参、そしてこの緑色の野菜は…」
「この生乳の風味、優しい甘さ…。まさに豊穣といった言葉が相応しい…」
クリームシチューはエルフの皆さんの好みにピッタリだったようで大好評であった。しかし、学者肌なのだろうか…タシギスさんは一つ一つの具材をよく観察というか調べるというか興味深そうに確認している。
「私はこの薄切りにしてある茸に特に強い興味が湧いてきましたよ。この茸は一度油で炒めてから煮たのでしょうか?それからこの『くりーむしちゅー』に加えて…それが実に生乳の風味に合う」
「ちょっと!タシギス兄さん!今は食べてる時でしょ?それを分析するみたいに!」
「だって気になるじゃありませんか。私はこのような特性のある茸を見た事がありません。森林の民たる私たちエルフ族が知らないような新しい茸なのですよ、それもこんなに美味しい。それを誰も知らないだなんて…、これは新たなる発見です!調べたくなるというのが自然と言うものでしょう?知りたい事があるとついつい深掘りして調べてしまう、僕の悪いクセ♡」
まるで某刑事ドラマに出てくる警部殿のような受け答え…、名前も『タシギス』さんだしなあ…。反対から読むと…、おっと危ない。色々な何かに引っかかりそうだからこのぐらいにしておこう。
そんかタシギスさんの様子を他の四人の皆さんはやれやれといった感じで見ている。きっといつもこんな感じなのだろう。冷めないうちに食べるようにね、そんな風に長女格のセフィラさんが釘を刺していた。
「そう言えば姉様、なんだか嬉しそうですね。何か良いコト、あったんですか?」
次女格のサリスさんがシルフィさんに聞いた。
「ええ…、ゲンタさんから…、その…、手鏡を頂きまして…」
「「「「「ええっ!手鏡をっ!!?」」」」」
そこにいた手鏡の一件を知らなかった人たち…、マイペースにマッシュルームを観察していたタシギスさんまでが揃って驚きの声を上げた。
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「良いかい、兄ちゃん。男が女に手鏡を渡すってのは嫁に来ねえかって意味でな…。ああ…、すぐにって意味じゃねえが…、まあそういう事なんだ」
「これは古くに何処かの王子が街娘と恋に落ちてね、王子が求婚する時に手鏡を贈った事にちなんで手鏡というのは男が女性に贈る求婚のシンボルになったんだよ」
話は僕がシルフィさんたち三人に手鏡を贈った直後、三人がバックヤードに姿を消したタイミングに遡る。
ナジナさんとウォズマさんが女性に手鏡を贈る意味について教えてくれた。
「でも、なんで手鏡なんですか?指輪とか….そういう装身具とかは…」
するとナジナさんはグイと胸元から何かを取り出した。それは何かの動物の牙のようなものを勾玉(勾玉のように穴を開け紐を通した物だった。
「冒険者にしてみれば装身具っつうか、幸運を呼ぶとか不運を避けるみたいな意味だな、御守…ってヤツか」
「あるいは実力の証明みたいな意味合いもあるね。オレはこんな獲物を狩ったんだぞ…ってね」
二人の熟練冒険者はそんな事を言っている。あれ、でも貴金属の装身具はないのかな?聞いてみよう。
「金とか銀とかの物は無いんですか?指輪とか、首飾りとか…」
「ああ、もちろんあるぜ。だけどなあ…」
ナジナさんが何やら含んだ言い方をしている。
「ゲンタ君。金や銀は金貨や銀貨のような貨幣の材料になるだろう?貨幣という物は買い物をしたりすれば手元を離れ、次から次へと人の手に渡っていく。つまり何かと自分の元から離れていきやすい。だから、金や銀の装身具は魅力的ではあるが同時にいつまでも自分の手元にはない…、仮にそれが恋人からの贈り物だったらどうだい?魅力的で一目で恋に落ちるけど…」
「次の夜には赤の他人…、なんてなあ。俺たちみたいな庶民にはそんな風に考えたりもするのさ。貴族だ、大商人だ、みたいに黙っててもカネが入ってくるようなトコにゃあ関係ない話だけどよ。だからまあ、俺たちみたいな町の衆は木彫りのモンだったり安いモンだけど何かを身につけてる事も多いな。故郷の物とかよう」
「エルフだったら故郷の里の木を彫って御守りにするとかね」
「なるほど…、そうなんですね」
御守りかあ、僕だったら交通安全のとかだなあ。小型自動二輪…原付二種とも言うけど…これに乗ってるし。
装身具については分かった。手鏡が将来的な婚姻に向けての贈り物だというのも分かった。しかし、なぜそこまで騒ぐのだろう。婚約指輪を渡すような感じとは思うけど…、まだ付き合ってもいない訳だし単純な告白というよりは『結婚を前提に真剣なお付き合いを』みたいな意味合いになるんじゃないだろうか?それが三人同時にバックヤードに姿を消してしまう程の動揺を与えてしまうとは…。
それに告白に対して『ごめんなさい』とお断りが来る場合もあるんだし…。
そのあたりを二人に聞いてみると、
「オイオイ、兄ちゃんマジか…」
「あれだけ他に類を見ない程の手鏡に、情熱的な殺し文句を言っておきながら…」
「ゲンタは意外に女たらしなのかもねえ…」
マオンさんまでもがヤレヤレといった感じで半ば呆れていた。
□
「私と…、マニィとフェミが頂いたのは…、この手鏡で…」
何やら今のシルフィさんはいつもの頼れる冷静なお姉さん…というような感じではなく、何やら少し心ここにあらずといったような感じがする。
「ふわあああぁ……。凄い、まるで銀の月…」
興奮したような様子でロヒューメさんが手鏡を見つめている。ロヒューメさんだけではない、セフィラさんもサリスさんものぞき込むようにして見つめている。そして一言、『これは硝子の…』とか『綺麗…』と呟いている。
銀の月というのは文字通り銀色の月という意味で、この異世界では新月から満月になりそれから欠けていき次の新月に至るまでの一周…いわゆる月齢一度ごとに色が変わる。銀の月とはその内の一つ、まだ見た事はないのでどんなものかは分からないけど…。
先程のナジナさんたちとのやりとりを思い出す。
「まあ、俺も手鏡は持っちゃいるけどよ…」
そう言ってナジナさんは背負い袋から手鏡を取り出した。
「まあ見てくれよ、だいたいこんなモンだ」
ナジナさんによるとこれは鉄製、映りは良くない。それを何かの動物の皮革だろうか、それでゴシゴシと表面を力強く擦るといくぶんかマシにはなったが、それでもやはり映りは悪い。
町の衆はしっかり姿を映したい時はむしろ手鏡ではなく、桶などに水を張りそれで姿を見るのだと言う。
「鉄の鏡だとこんな感じだね。お金を積んでようやく銅の鏡、銀とかになると余程の金持ちが買うものだよ。しかもそれだってくすんだり錆が浮いてくるから、時々専門の職人に磨かせる必要があるんだ。その手間賃が非常にかかる。だから、鏡磨きの職人は仕事道具さえ有れば何処でも食っていける。気ままな渡り鳥じゃないが、旅から旅へと渡り歩く者も少なくないね」
「兄ちゃん、ありゃ硝子の鏡だろ?凄えぜ、まるで王族か大貴族みたいな嫁取りじゃねえか!いくらするんだか…、いやそもそもそんな簡単に手に入らねえ!町衆じゃ銅の手鏡をなんとか買うみてえな感じだからな!」
「カネで気持ちが買える訳ではないが、これほどの物を用意するのは並大抵の事ではない。いや…、仮にカネが有っても手に入るとは限らない…。そんな鏡を贈るとは…、それだけ三人の事を…」
いや…、それ…、三百円で…。…なんて言えない!絶対に言えない!
「また、その後の台詞がイカしてるじゃねーか!シビれるじゃねえか!」
え?え!?どういう事?
「ゲンタ君、夫婦や恋人というのは最も近しい関係だろう?それこそ互いの吐息がかかるような間近で見つめ合うような…ね」
うーん、イケメンなウォズマさんが恋愛を語り出すと絵になるなあ。僕ははい、と応じる。
「そんな距離で見つめ合えば自分の顔が相手の瞳に映り込む事もある。という事は相手にとっても同じだ。だから手鏡を贈るという事は、自分が側にいない時にその姿を映すのは自分の以外にはこの手鏡だけにして欲しいという意味が込められているんだよ」
「それでその後に、常に持ち歩けてその姿を映せますよときたモンだ!そこに追い打ちみてえに『僕の気持ち』ですってな!かァ〜ッ!側にいる時は自分が、そうでない時は代わりにこの鏡がお前の姿を映し込む、それが俺の気持ちだよってな。こりゃあ中々言えねェぜ!」
「マニィ嬢もフェミ嬢もそうだが、何よりシルフィ嬢だな。彼女は何と言ってもエルフ、様々な事に通じているが、どちらかと言えば古風な考えをするタイプだ。この鏡の希少性も理解しているだろうし、直接的な言葉より物に気持ちを託しての密やかな思いの告げ方は彼女により深く刻まれた事だろう」
どうしよう…。気軽な気持ちで渡しちゃったぞ。
「まったく、儂もあと四十年は若ければねえ…」
マオンさんまでもがそんな事を言っている。
「いやいや、婆さん。四十年も前じゃ兄ちゃんが生まれてねえだろう」
笑いながらナジナさんが応じる。
「そういう事は言うんじゃないよ!」
マオンさんが抗議の声を上げていたっけ…。
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「ええっ!ゲンタさんはそんな事言いながら手鏡をくれたんですかぁ!?」
ロヒューメさんの興奮した声に回想から現実に引き戻される。やはり女性というのは恋愛話が好きなんだなあ…。そんな事を思いながら、『それでそれで?』とばかりにシルフィさんに聞く彼女たちを見ながらそんな事を考えていた。と、同時になんだか自分の事でもあるからなんだかちょっと恥ずかしい。
僕は思わず小さくなる。
きゅっ。
そんな時テーブルの下、みんなからは見えない位置で僕の右手が不意に握られる。それは柔らかい感触。
振り向くとそこには『えへへー』とはにかむフェミさんがいた。
いかがだったでしょうか?
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《次回予告》
手鏡を渡した事で受付の三人とゲンタの距離感が変わり始める。手鏡を渡した事は、あくまで男性からのアプローチ。当然、女性からの返答もある訳で…。
次回、『帰り道』。ご期待下さい。