第105話 『塩商人』ブド・ライアーの誤算② 人夫たちの士気が上がらない
塩商人ブド・ライアーが冒険者ギルド前で自動販売機による塩の購入をした次の日の事…。いつものように昨日の売り上げ等の報告を受けているブド・ライアーの姿があった。
相変わらず塩が売れないのは継続中だが、もう一つ新たな問題が出てきた。塩の街道での土木工事についてである。
「つーかさ、まだ終わんねーの?塩の街道の埋め立て」
不機嫌な事を少しも隠そうとせず、ブド・ライアーは報告をした手代に問うた。ミーンの町から塩が採れる海辺の町へと伸びるその道はいくつかの難所がある。晴れの日が続いていればただのアップダウンがある道に過ぎない。しかし、まとまった雨が降ると一転し越すに越されぬ泥濘の道になる。
さながらそれはアリ地獄、下手に進もうとすればそれで詰み。荷馬車は行くも戻るも出来なくなる。そのせいで物流が途絶えがちになり、町の人々に不便と物価の高騰を招く。
「五日でやる、それ以上の日数がかかるなら自分のカネでやる」
そう言って商業ギルドで今回の塩の街道の難所、水が溜まりやすい窪地の埋め立てを議題化し強引に押し通した。今回の埋め立ての場所、二つある窪地のうち大きく深い方は冒険者ギルドに依頼した。
一方で自分の息のかかった人夫たち…、本来は自分の店や家屋敷の建築作業に雇っていた人夫たちにはもう一つの窪地の作業を担わせた。
人夫を五十人は使ってやるような作業量であったが、ブド・ライアーは自分の雇っていた三十人あまりの人夫だけで工事を始めた。請け負った『窪地に雨の影響を受けない平坦な道を作る』、これが商業ギルドの出した依頼であった。
分かりやすいので窪地の埋め立てと言っているが、実際には少し違う。雨に負けない道が作れるのであれば必ずしも全てを埋め立てる必要はない、それはガントンが城壁のような橋を掛けた事にも見てとれる。
しかし、ブド・ライアーが集めた人夫たちにそれだけの卓越した土木技術を持つ者はいない。ゆえに窪地全てを埋め立てるしかない。だが、それには人手不足だ。
だが、ブド・ライアーには効率良く作業を完了させれば、五十人分の人件費を三十人あまりに割り振るだけで済む。浮かせた一日あたりおよそ二十人弱の給金を懐に入れる事が出来る。彼の頭の中で作業量を計算すると五日で終わる仕事だと踏んだ。悪くても六日、それで終わる。すると少しは浮いたカネが出る、儲かるというのはブド・ライアーの一番好きな言葉であった。
だが、今はその真逆の損をしている状態だ。五日で仕事が終わらなかった、ゆえに六日目以降の人夫たちの給金はブド・ライアーの負担となる。それが最も腹立たしい、なんで思い通りにいかないのだ、と。
ブド・ライアーの誤算、それはそもそもの前提が現実から乖離したものであった。作業量を計算するのに彼は試しに庭を手代に掘らせてみた。その量を基準に窪地の規模から作業時間を計算、そこから導き出したのが五日ないし六日という結論であった。
主人が見ている前で穴を掘るのだ、ては手抜きなど出来ない。全力疾走のようなペースで必死に手代は土を掻く。時間にして数分、『ああ、もういいよ』とだけ告げてブド・ライアーは計算を始める。しかし、全力疾走を朝から晩まで続けられる人間はいない、ブド・ライアーはそこを考慮に入れて作業量の計算をしていなかったのだ。
さらに冒険者ギルド側にはさらなる成功の要因があった。ゲンタが絡んだ三つの要素である。
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まず一つ目は土掘り道具、木の棒と板を組み合わせただけの素手で掘るよりはマシといった程度の物を、金属製の土掘り皿で格段に作業効率の上がるシャベルを導入した事だ。ゲンタが日本のホームセンターで買ってきたそれをガントンらドワーフたちが情熱を持って作ったシャベル。量産品のシャベルであったが、その加工や工夫に共感した彼らが模倣し彼ら独自の技術も併せて作ったのだ。仕事の捗り方が違った。
二つ目。窪地全てを埋め立てるのではなく、万里の長城のような橋を作った事。これにより窪地全てを埋め立てずとも、その長城の版築(石で外枠を囲い、中に土を入れ突き固めながら作る工法)の部分だけの土を埋めていくだけで済む。完成した次の日にそこを通ろうとした人が昨日までは窪地だった場所に突如として橋が出来ている事から、一夜にして橋が出来たぞと驚き噂が噂を呼んだ。中には『ミーンの一夜橋』と呼ぶ者も出てくる始末。
後にミーンの町の発展を讃える歌を喧伝した吟遊詩人が歌う。
『ミーンの名物数々あれど、他ではとても真似出来ぬ。最初に見ゆるは黒鉄の、窪地にかかる一夜橋』
この謳い文句で始まるミーン名物数え歌は広く歌い継がれたという。一夜橋自体は黒鉄…、つまり鉄ではなく石木を外枠としたものだが光沢のない渋みのある重厚な黒い壁面が鉄を連想させたのだろう。ガントンもまたその歌詞を気に入ったようだ。
ガントンらドワーフの一行が量産したシャベルの性能を自らの目で検分に来ていた為に彼らによって発案された橋の工法であるが、それがドワーフたちの五日分の給金を惜しんだ事で建築された…、その遠因になっている事は今まさに頭を悩ませるブド・ライアーにとってはなんとも皮肉な話である。
三つ目、食事である。一日目の作業を終えて冒険者たちは、作業現場に来ていた辻売のスープが不味いと嘆いていた。具に野菜クズのような物が少々入った程度のスープ、味付けの塩も大して入っておらず大変不味い。そんな物に白銅貨八枚(日本円にして八百円)の値がついているのである。
それに不満を持っていた冒険者が何気なく呟いたゲンタの作る食べ物だったらきっと美味いのだろうと。それによって実現したゲンタの現地での販売は冒険者たちを非常に満足させた。中でもカレーは一瞬にして冒険者たちを虜にした。いや、冒険者たちだけではない。
現地で煮炊きをしていたゲンタのカレー、その香りは風下にいた商業ギルド側の人夫たちの心をも掴んで離さない。その人夫たちの中には冒険者ギルド側でカレーを作っていたゲンタに自分たちにも売ってくれと懇願したが、ゲンタはあくまで冒険者ギルドの依頼でここに来たので他の人にまで売る事は出来ないと断った。
その結果はハッキリ明暗を分けた。カレーを笑顔で平らげ元気とやる気に溢れこれ以上ないくらいに士気が上がった冒険者たちは張り切って仕事に取り組み、見事その日のうちに橋をかけてしまったのだ。一方で商業ギルド側…、言い換えればブド・ライアー側の人夫たちは士気が上がらない。
いや、むしろ意気消沈、すこぶる下がったと言える。自分たちが薄い塩水同然のスープしか無いのに、他方では風に乗ってやってくる匂いだけでうまそうなカレー。挙句には自分たち人夫では年に一度も見られるか分からないような白いパンを炙って食べている。
冒険者ギルド側の間近まで行った人夫にはカレーの匂いだけではない、食パンが焼ける独特の香ばしい小麦の香りが鼻を焼くようにこびりつく。目の前にあれども食べる事は出来ない、最早それは拷問と言っても良かった。
食事の差の原因はブド・ライアーにあった。彼は塩商人であると共に、他の産物も扱う。野菜などもその一つであった。
「奴ら人夫共には売れ残ったクズ野菜でも食わせておけ。ああ、塩もだ。売り物のやつじゃなくて良いぞ、地べたにでもこぼしたヤツで十分だ」
ブド・ライアーはそう指示を出す。不良在庫を金を取った上で人夫どもの腹に棄てる事が出来る。我ながら名案だ、そんな風に考えていたブド・ライアー。しかし、その名案とやらが人夫たちの士気を下げている事に気付かない。他の人の事など考えない、それがブド・ライアーという人物であった。
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「…んだよ、まだ終わりそうもねーの?」
窪地を埋め立て平坦な道にする土木作業の進捗の報告を受けてブドのライアーは吐き捨てるように言った。不機嫌なのは変わらない、上手くいかない事が積み重なってのし掛かる。
「このままダラダラ工事を続けてもカネがかかるだけだな…、それなら
中抜き出来ねーけど冒険者ギルドに依頼するか、一日で出来たんだし。五十人分の給金一日分…、いや今までウチの人夫どもがある程度やってんだし半日分の給金でいいか」
そんか事を思いついたブド・ライアーは手代に声をかけ、冒険者ギルドに依頼させる為に走らせた。
次回予告
カレーが食べたい、日に日に高まる冒険者たちの声。しょうがないなあとばかりにゲンタはカレーを作る事を承諾すると『いざ、鎌倉』とばかりに冒険者は口にする、『いざ、夕方』と。その日、冒険者ギルドは喧騒に包まれた。
次回、第106話『冒険者ギルドのカレー売り』。次回から『ざまあ』展開が始まります。
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