第104話 『塩商人』ブド・ライアーの誤算①。塩の精製コストと持続性
ヒョイオ・ヒョイが冒険者ギルドにゲンタを探しに訪れた翌日…。
塩商人にしてミーン商業ギルドの副ギルドマスターであるブド・ライアーの姿は自らの商会の自室にあった。時刻は日本的な感覚で言えばあと十五分程で午前十時になるくらいの事であった。
外の清々しい天気とはうって変わって商会主の機嫌はすこぶる悪い。不機嫌な表情を隠しもせず部下からの昨日の業務報告を受けている。
「んで?西北部だけだった塩の売り上げの不調が町全体に伝播しつつある…って訳?ぶっちゃけさあ、荷馬車は確かに来てねえよ。だけど徒歩で止まってる荷馬車まで行って担いで持って帰ってくるように人夫回してんじゃん?だったら少しは入って来るんだから在庫切れで売れてない訳じゃない…」
「は、はい。その事なのですが…」
報告に来た手代が言いよどむ様子にブド・ライアーは怪訝な表情をする。
「塩が売れない理由が分かったのか?」
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ブド・ライアーは馬車で冒険者ギルドに向かった。先程の手代の報告の通り、何やらギルド前の路上には器や革袋を持った人だかりが出来ている。塩を買い終わったのだろう、用を済ませた町の衆が笑顔で帰っていく。
一体どんな奴が…、そう思って列に並んでみたが当然あるはずの物売りの声がしない。客に声もかけずに塩を売っているのか、そう思っていた頃にその塩売りの現場が見えてきた。
塩売りの姿は無かった。代わりに何やら見慣れない物がある。町の衆は何やら手馴れた様子で白銅貨をその見慣れない物に投入、そして横から伸びる棒状のものを手前に引く。
すると、何やら口のような所に入れた入れ物にサラサラと塩が積もる。
ブド・ライアーの番が来た。塩商人として成功してから触れた事などなかった白銅貨を手に取る。白銅貨で塩を買うのが一般的なので店の者に用意させた物だ。
塩の買い方は初めて見る器具の前に木の看板があり使い方が書いてあった。試しに白銅貨を投入口に入れた。袋を持っていなかったので、塩が出てくるという取り出し口にはハンカチを広げて置いた。レバーを引くと奇妙な手応えがあり、塩がハンカチの上にサラサラと落ちる。
それを興味深く見ていたが、後ろに並ぶ町の衆から『用が済んだらさっさとどけ』と列から追い出された。馬車に戻り手に持ったハンカチに包んだ塩を見る、自分の商会では通常扱う事がないような真っ白な塩。自分の商会でこれを店頭に並べる事は不可能だ。
ここまで白い塩…。おそらくは通常手に入る塩をもう一度水に溶かし、濾過して砂などの不純物を除き、さらに何らかの手を加えながら煮立たせ苦汁と塩分を分けて精製したのではなかろうか。だが、それには複雑な手順というか手間がかかるだろう。
馬車に揺られながらブド・ライアーは考察する。この塩を売っている者は随分とバカな事をしている。町衆が食べる塩など口に入れば良いのだ。なにもあそこまで白い上質な塩でなくても買っていくのだ。
最低限、塩であれば良い。それで海から離れたこの町の者どもは買っていくのだ。無駄な手間を掛けてまで経費を膨らませる必要は無い。売り上げた金額から諸々(もろもろ)かかった金額…いわゆる経費を差し引いた金額が利益だ。
『なるべく安く仕入れ、なるべく高く売る』、それが商売の基本であり真髄である。ブド・ライアーの場合は『仕入れ』が『買いたたき』に変わる。その考え方から言えば手間を掛ける事は彼にしてみれば愚の骨頂である。
しかもそんな上質な白い塩を、あの塩を販売する奇妙な物に彫り込まれていた文言によれば白銅貨一枚で9.96重も売るという。今の相場、そしてこの塩の品質から考えれば狂気の沙汰に思えた。だが、実際にこの上質な塩はその独特の相場で売られている。
なぜそんな価格で売るのか、ブド・ライアーは自問する。そもそもこれだけの塩…、作るには手間がかかり過ぎる。今は在庫があっても後が続くまい。手元の金が尽きかけているからすぐにでも売り抜けたいのだろうか、それなら納得出来る。
上質な塩を作りミーンに乗り込んでみたは良いが、金が先に尽きかけ投げ売りをしているのか?それにあの塩を売る奇妙な物…、あれは機巧というやつだろう。なるほど、塩を精製するのに経費が膨らむからあの機巧で売り子の手間賃を浮かせるのか。考え方は悪くないが、アレでは製作にカネがかかるだろう。
まあ、この塩の販売人が採算が取れなくなって自滅するようならば傘下に加えてやろう。あの機巧ならば塩を売る手代を一人削減できる。塩の精製の方法がもし手軽なものであればそれを手に入れるのも悪くない。その精製方法さえ手に入れば後は用無しだ。お役御免、追い出せば良い。
顔も知らない塩売りめ、今はせいぜい気前良く売っておけば良い。だがそれが持続出来るとは思わない事だ。それを維持するには大変な労力がいる。
「俺をこの時代の錬金術師と呼ぶ者も多い。立ち行かなくなったコイツを使ってせいぜい搾り取ってやるとするか」
自分の商会に戻る馬車の中、ブド・ライアーは一人ほくそ笑んだ。
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「あっ、残量計の目盛りがここまで下がっている」
冒険者ギルドのマスター、グライトさんに許可を得てギルドの内壁に縦長のメーターをつけた。これはギルドの外に設置している塩の自動販売機の残量と連動していて建物内にいながら確認をする事が出来る。
販売機内の塩の在庫がかなり減ったので、僕はマオンさんと冒険者ギルドの内壁側から開いた補給口から塩をどんどん入れていく。
昨日までは外に出て塩の自動販売機の裏側から入れていたが、そうするとジュースなどの販売機と同じく補充している間はお客さんが買う事が出来ない。そのあたりをガントンさんに相談したら、弟のゴントンさんや弟子の皆さんと額を突き合わせて何やら設計をし、段取りを決めて昨日の午前中は町の近くの森へ適当な木材を伐採に、午後は冒険者ギルドでこの自動販売機の塩補充口の工事をしていた。
「ふふ、金よりもコッチの方が良いのう」
この工事の報酬について相談したら、ガントンさんは右手でジョッキを持ち飲み干すような仕草をしていたので、いつも飲んでいる焼酎8リットルに4リットル入りのウイスキーを三種類ほど晩酌用に奮発した。
「これは気合いサ入れて飲めるべ!」
ゴントンさんが揉みダレ仕込みの猪肉の焼肉の準備をしながら大喜びしている。森で木を伐採する道すがらで遭遇した猪を狩猟したのだという。ドワーフの一団も手慣れた様子で猪肉を下ごしらえしていた。彼らは焼肉屋さんのようなスライスしたような肉ではなく、厚切りにした歯応えがある物を好む。自分たちの好みの大きさにカットしていた。
僕とマオンさんも猪肉の御相伴にあずかったのだが、こちらは普通サイズのスライス。そして驚いたのだがドワーフ族の酒豪っぷり。合計20リットルのお酒を一晩で飲み干してしまったのだった。総勢6人だから一人あたり3リットル以上だ…。
そんなに飲んだにも関わらず今朝にはマオンさん宅のパン焼き窯をはじめとして台所まわりを作りはじめていた。彼らに二日酔いなどはないだろうか…。
「ゲンタさん、こっちも入れるんですかぁ?」
今日は依頼人が少ないのか受付業務の手が空いたフェミさんが隣の販売機の補給口の所にやって来ていた。
「あ、はい」
「どのくらいですかぁ」
壁の残量計の目盛りから判断して3キロほどか…。
「えっと、その包みを三つ分ですね」
「分かりましたぁ、やっておきますね」
「旦那、こっちのはどんくらいだ?」
僕から見てフェミさんを挟んでさらに隣の販売機の方から声をかけてくる。こちらは銀片一枚(千円相当ので100グラム買えるまとめ買い用の販売機だ。
「包み四つ分ですね」
「分かった!」
そう言ってマニィさんも塩を補給していく。今日補給した塩の量は十キロ、全部売れれば売り上げは十万円にもなる。仕入れ値は1キロ80円弱、まさにボロ儲け、荒稼ぎである。
塩の補充が終わったのでテーブルに戻り緑茶を飲む。
「それにしても凄いですね…、あれだけの上質な塩をこれほどまで…。御苦労も多いでしょう」
シルフィさんが感心した様子で呟く。
「いえ、たまたま手に入りましてね。運が良かったです」
い、言えない。業務用食材のスーパーで一キロ白銅貨一枚(百円相当)以下の値段で買えるなんて…。く、苦労も特に無いなんて…。