第102話 ゲンタへの客(後編)。ヒョイオ・ヒョイ
冒険者ギルドに現れた品の良い感じの老紳士。見覚えも無いし、僕を訪ねてくる理由に思い当たるフシは無いが…。
とりあえず話を聞いてみよう。用があるというのなら話しかけられのを待つという選択肢もあるが、相手は明らかに僕よりも年長者。とりあえずこちらから話しかけに行く。
「はじめまして。ゲンタと言います、僕に何か御用がおありだとか…」
近くに行ってみるとよく分かる。仕立ての良い服装にニコニコとこちらを見つめる好好爺。
コツ…、音がした床の方を見ると紳士杖をついている。足が弱っている…?いや、足腰はしっかりしているように見えるが…。もしかするとステッキを持つというのはこの異世界では紳士のたしなみのようなものなのかも知れない。僕はまだまだこの異世界の常識に疎い。マナーや礼儀作法とかも知らないし…、まあこれは日本にいてもそうか…。分からないなら分からないなりに丁寧に対応しよう。
「これはこれは…、ご丁寧に。私はヒョイオ・ヒョイと申します。実は昨日、貴方の話を耳にしましてね。どうにも我慢が出来ずにこうして押し掛けてしまいました」
にこやかに、そして物腰柔らかくヒョイさんは言葉を返してきた。気品ある立ち居振る舞い、優雅の一言に尽きる。
「僕に…、ですか?」
ええ、そう言ってヒョイさんはやはり優雅に頷いた。立ち話もなんですから…、そう言ってテーブルの方に向かおうと思ったが僕はふと立ち止まる。果たしてこの質素なテーブルと、丸太を輪切りにしただけの椅子…。ど、どうしよう?良いのかな、こんな上品な紳士をソファーとかに案内しなくて…。
僕を呼びに来てくれたシルフィさんも互いの自己紹介が終わったからと言って受付カウンターに戻る訳ではなく、この場に留まっている。
日本的な感覚で言うと今は午前十時前くらいか、冒険者ギルドには依頼をしにやってくる人がにわかに増えてきた。朝、業務を開始した商家などで何か必要な物が出てきたりしてやってくる。
それが今日に関しては多めである。今なギルド内には早朝の冒険者がごった返す騒がしさとは少し違った落ち着かなさがある。
「場所を変えた方が良いかも知れませんね」
シルフィさんがそう助言してくれる。
「私はここでも良いのですが、ゲンタさんにご迷惑をかけてしまうかも知れませんね」
「僕に…、ですか?」
「ええ、この人が多い状況ではゲンタさんに耳目が集まるかも知れません」
うーん、なんで集まるのかな?それよりも…、確かにあまり注目されるのは良くないかも知れない。寄って来るのが良い人だけなら良いが、悪意があるような人なら問題だ。
「場所を移しますかな?私の事は気になさらずに。移動には馬車もあります。気軽に話せる場所であれば問題ありませんので皆さんで参りましょうかな」
ヒョイさんの申し出に甘える事にしよう。でも、どこが良いかな?
「ウチの石木のテーブルはどうだい?アレなら平だから何か書類にサインをするような事があっても良いんじゃないかい。それに儂には残念ながらこちらの旦那を案内出来るような場所には心当たりは無いし、下手な場所に案内するよりはゲンタに何か手立てがあるならその方が良いんじゃないかい?」
マオンさんの助言になるほど…と思う。
「ではヒョイさん、話の続きはウチでも構いませんか?」
「ほほ…、良いのですかな?私はまだ名乗りを上げたばかり、その私をお招きいただけるとは…」
驚いたような口調で返事を返してきた。
□
「さあ、こちらです」
冒険者ギルドからヒョイさんの豪華な馬車で五分ほど…。マオンさん宅にやってきた。
「それでは私は…」
馬車を操っていた御者さんが馬車に乗り離れていく。おそらくは…そのあたりを一回りしてくるのであろう。
今ここには僕とマオンさんにヒョイさん、そしてシルフィさんが同行していた。やはり重要人物なのだろうか…。それとも…?
庭にある石木のテーブルに長椅子。マオンさんが手早く布で拭いていく。ヒョイさんには席に着いてもらいぼくはお茶の用意をする。
僕はホムラとセラ、火と水の精霊の彼女たちの力を借りお湯を沸かしてもらう。彼女たちのお湯の沸かし方はなかなかに変わっている。セラがソフトボールくらいの大きさの水の玉を浮かべる。そこにホムラが同じくらいの大きさの火の玉をを生み出しそれを水の玉に飛ばす。『ジュッ!』火は音を立て消えてしまうが、その熱は水に伝わる。一瞬で水が熱湯に変わる。ボコボコと沸騰しながら不思議な水の玉がフワフワと宙に浮く。
日本で買ってきておいた物がストックしてある納屋から饗応((もてなし)に使えそうな物を出してきた。そのうちの一つ、ティーカップとソーサー。紅茶にしよう、なんとなくそう思っていたので宙に浮いた湯の玉を注いでいく。ティーパックを入れ色を出していく。
お茶受けは単純にクッキーにした。マオンさんやシルフィさんと手分けしてテーブルに運んだ。
「ヒョイさん、お待たせしました。粗茶ですがどうぞ」
お客さんが来た時に言いそうでなかなか言う機会が無い言い回しナンバーワン『粗茶ですがどうぞ』を口にした事に自分の事ながら妙に感慨深い。ああ、こんな事を僕が言うなんて…、人生何があるか分からないものだなあ…。
そんな事を思っていたら、カップを手に取ったヒョイさんが、
「こ、これは…!」
驚いたような声を上げ、それからおもむろに一口紅茶を口に含む。
するとヒョイさんが明らかに動揺と言うか…、戸惑っていながらも目を閉じゆっくりと飲み込んだ。動揺したような表情はヒョイさんだけではなくシルフィさんも同様だ。同様に動揺…、一瞬そんな事を考えてしまった自分に軽い自己嫌悪を覚える。
「いやはや…、驚きました。粗茶などとはとんでもない。エグみもなく、そしてこれは果実の香りですかな?茶葉の香りだけではなくふくよかな果実の香りが…。お嬢さん、貴女は私より遥かに果実にお詳しいと思いますが…、いかがでしょう?」
ヒョイさんは笑顔を忘れたかのように真面目な顔つきになり、シルフィさんに意見を求めた。
「はい。ただ…、これは単純に茶葉と果実を煮て淹れた香りではないように思います」
「ふむ、やはり…」
「おそらくは…ですが、茶葉自体に果実の香りを焚き込むと言いましょうか、水で煮出した物とは明らかに違うハッキリとした香りです」
「エルフ族のお嬢さんが仰られるのならば間違い無いでしょう。いや…、これほどの紅茶を知り合ったばかりの私に振る舞っていただけるとは…、どうやら私は底知れぬお方に会ったようです」
にこり、ヒョイさんは再び笑顔を浮かべた。
「あ、あはは…。お気に召して頂ければ幸いです」
ど、どうしよう。確かアレってお買い得パックのを買ったから500円はしなかったよなあ…。それをここまで褒められるとなんか気まずいので笑って誤魔化す。そうだ、ボロが出ない内に話題を変えてしまおう。
「ところでヒョイさん。ヒョイさんはどのようなお方なんですか?凄く豪華な馬車もお持ちですし…、気品あるお振舞いですし…」
僕は話を切り出した。
□
ヒョイオ・ヒョイさんはこの町で社交場を経営しているらしい。いわゆる会員制の高級バーのような交流場から、庶民も入れる劇場やカジノのようなものもあるという。日本的な言い方をすれば、総合的な娯楽業の経営者といった感じだろうか。
元々は王都の出身で家業の小さな劇場を営んでいたが、それを今のような総合的な社交場へと発展させ、総合的な娯楽業としてのスタイルを確立していったらしい。また、王都だけでなく商都と呼ばれるこの国の経済の中心地…、海を隔てた大陸などとの交易もあるそうでそこでも事業を営んでいるという。
「王都、商都の社交場は長男、王都の方は次男に任せましてね。私はこちらにやって来たのですよ」
ここ異世界では、違う町に新たに新規出店をする際は商会主が直接やって来て指揮をとるのが一般的なのだと言う。そして元々営んでいた店は家族など信頼できる人に預け、新天地での店を軌道に乗せられるようにするのだという。
新たな町に出店商都目論むからには、その商会主は既存の店舗を発展させてきただけの経験実績がある。不測の事態などがあっても切り抜けられるだけの知恵や、出店する町に今までの取引相手がいれば何かと協力を得られるかも知れない。何より商会主なのだから意思決定がその場で出来る。
『時は金なり』ではないが、迅速な決断を迫られる時は往々にしてあるものだ。また、仮に出店が失敗に終わってもベースとなる場所に戻れば良いのだ。そこでまた力を蓄え再起を計れば良い。
「また、ヒョイ様はミーン商業ギルドの相談役でもあられます」
シルフィさんがヒョイさんについての情報を補足する。その言葉の中に商業ギルドという単語が聞こえ、僕は『びくっ』と反応した。
初めてこのミーンの町に来たあの日、僕とマオンさんは商業ギルドへ向かった。そこで僕たちはパンの販売をしようとしたのだが、ギルドマスターの息子であるハンガスと取り巻きのギリアムにより痛めつけられ、ギルドから叩き出された。いまだにその苦痛も恐怖も身体が覚えているのだろう。(第12話参照)
「と言いましてもね、私は何も商業ギルドに属している訳ではないのですよ。ですので緊張しないで下さい」
僕の反応を緊張と感じたのかヒョイさんはにこやかに言う。
「だってそうでしょう?いくらお飾りでも相談役です、意見を求められれば良い事も悪い事も忌憚なく述べるのが役目ですからね。そこに属しては…、耳に痛い事を言い辛くなるでしょう?」
なるほどなあ…。そういう考えもあるなあ。
「それに私は社交場を営んでおります。アレやコレやとしがらみにとらわれては酒も芝居も楽しめますまい。ゆえに私は何にも縛られずに営みたいのですよ。美味い酒飲めば嬉し、踊り明かせば楽し、王であろうと庶民であろうと、上から下まで誰もが当たり前に抱く感情ではありませんか。憂い多き世の中なれど、ここに来れば一瞬は涙も忘れられる…。そんな場があっても良いのではないか…、私はそのように思いましてね…こうして年齢を重ねた現在も店に立たせていただいているのですよ」
上から下まで当たり前に抱く思い…か、シルフィさんも以前言っていたもんな。僕の持って来たパンを食べてみんなが笑顔になるって…、笑顔って事は喜んでもらえているんだと思う。多分…だけど。
だとすればヒョイさんの抱く思いも同じような感じなのだろうか。用件というのがまだ何かは分からないけど、きっと悪いものではない…。冒険者ギルドに尋ねてきたからには僕が冒険者である事は知っているはずだ。
しかし、僕は狩猟はおろか採集すらした事がない。達成できた依頼なんて土木工事現場に大福を持ち込み、カレーを煮炊きしたくらいだ。それだってナジナさんやウォズマさんが同行してくれたからだし…。
そんな事を考えているうちに話題は僕への依頼内容へと移っていった。