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オレンジは腐らない  作者: 忸怩くん
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人生に蘇った①


ミスズは静かな部屋の中で一人、文字盤の鋭利な機械音を立てて、一昨日回収に行った※1〈フヂナ〉の、※2〈保棺局〉に提出する報告書を作成していた。


〈フヂナ〉として※3〈硝子棺〉に収められた※4〈今際人〉の名前、生年月日、住所、職業、家系、死亡日時・要因、それから彼について遺族から言及された幾分かの情報を紙面に文字として纏めていく。


単純な事務作業のようなものだ。

今回の〈今際人〉は老年の女性で、享年は九十九歳。死亡要因は心筋梗塞。

死亡時刻は先生が今際の際に立ち会っていた十七時四十五分。回収した〈フヂナ〉の個数は三十二粒。

色彩は4F2C。

言うように特に面白みはないただの事務作業だが、ミスズは彼女が先生と呼んで付き従っているアガタのような※5〈掬者〉になることを最大目標としている。

そのため、アガタの閑静としていてやたらと広い住居に居候という立場で暮らし、調査書の代筆など〈掬者〉の仕事を手伝って勉強をしている。

そのほかにも居候という立場で甘んじないよう自発的に家事も彼女が行っていた。

ミスズは文字盤の横に置いたココアを注いだ白いカップに唇を添えた。

しかし薄紅色の皮膚に受ける熱は少しだけ温み残した白い陶器だけだった。

コップを覗くとココアはもうない。

ミスズは立ち上がり、器を片手に台所へと歩いた。


(先生の珈琲ももうなくなっているかな…)


仕事のお供としてアガタに珈琲を淹れる時、彼女は必ず自分のココアも淹れた。

特に甘い飲み物が好きというわけでもなく、単純にミスズがココアを飲み干す頃にはアガタのコップも空になっているからだ。

そしてココアのおかわりを汲みに行くタイミングで、アガタの部屋にも行きに珈琲のおかわりを聞く。

概ねアガタは喜んでおかわりを受ける。

その一連の習慣を彼女は好んでいた。

この日も例外ではない。

台所から出る際には片手にコーヒーサーバーを持っていく。

アガタは濃い珈琲を好んでいるようなのでフィルターは二枚重ねてゆっくりとお湯を注ぐようにしなくてはいけない。

特に注文や不満も言わないが、自分の好みに合っているときなどの嬉しそうな表情などは分かりやすく、そんな顔をされるとやはりより良いものを提供したくもなる。


以前にミスズも何度かアガタと同じように白いコップに真っ黒な珈琲を注いだこともあったが、これだとミスズが珈琲を飲み干す頃にはアガタのカップの底は珈琲が茶色い円を描いて乾いている。

いつかは湿ったコップを二つ見ることが出来るだろうと何回か試しているが、今はまだその時ではないようだ。

甘く飲みやすいココアに甘んじよう。


ミスズはアガタの個室のドアをノックして、返事を聞かずにそのまま入り込んだ。


「先生、失礼します」


片手のコップのココアともう一つの片手に握っているサーバーに珈琲を溜め込んだ容器から液が零れないようにと下向きに注視していた頭を擡げると、急に眼前にアガタの胸元が映った。

二人は同じように驚愕の一声を上げて、一歩二歩と後ろへ退いた。

ミスズは危うく両手の頓着を落としてしまいそうになったが、アガタが咄嗟に彼女の手元を両腕で抑えた。


「おっと危ない、危ない。いや、ごめんごめん。大丈夫だった?」


アガタはミスズから手を離して、今度は自分自身のずれた眼鏡を整えた。


「いえ、私の不注意でした。すみません」


ミスズはまだ驚きで動悸の高まりが収まらない。

特に焦りで無意識に両手から液が零れなかったかを必要以上に確認していた。

アガタは眼鏡越しに優しく微笑み、ミスズが動揺を落ち着かせるのを暫く見つめて待った。

ミスズは不意に我に返ってアガタの方へ関心を向けた。


「どこかへ出掛けるんですか?」


「ん?ああ、そうそう。〈保棺局〉がお呼びなんだよ。アヅミノ地区へ〈今際者〉の〈フヂナ〉回収に行かなくちゃいけない。どうやら数日前に亡くなった〈今際者〉からだいぶ〈フヂナ〉が発散してしまっているのではないかということでね。すぐに行かないといけないらしい」


アガタは作業机の横から、〈保棺局〉の紋章が刻印されたトランクを取り出した。

そして次には機敏な動きでテキパキと着替えを始めた。


「それで、居場所が近い先生に仕事がまわってきたのですか」


ミスズは机の空いたスペースに陶器を置き、アガタの着替えを手伝いに掛かる。


「そういうことなんだろうね。まあノリクラ地区なら大した距離じゃないしね。ご遺体がどれほどの劣化状態なのかは分からないけど、今から向かえば〈硝子棺〉一寸くらいは確保出来るかな」


アガタは薄く笑っている。ミスズはそれに相槌をうつように空空しい笑いをした。


「直ぐに車を用意しますね」


着替え終わったアガタはトランクを漁り、〈硝子棺〉の在庫数を確認した。


「よろしくね。ふむふむ、一寸が三個、二寸と三寸が二つはあるから、これだけで持っていけば十分か」


ミスズは足早に部屋を抜け、車庫へと向かっていった。

アガタも回収器具を詰め込んだトランクと〈保棺局〉からの〈今際人〉に関する報告が記載された送付紙数枚を両手に持ち、悠長に車庫へと向かっていくと、その頃にはもうミスズが運転席へと乗り込みハンドルを手にしていた。

アガタも車に乗り込み、二人はアヅミノ地区へと向かい始めた。



※1〈フヂナ〉…人間が死ぬと身体から発散する光の粒。身体から空の上へと浮かんでいく。四十九日ほどで身体から完全に発散する。第二の誕生を迎える前の人間は無色に近いが、次第に色を付け始める。

※2〈保棺局〉…〈今際人〉の〈フヂナ〉の回収と〈硝子棺〉の保存などを管理している国営組織。

※3〈硝子棺〉…身体から発散された〈フヂナ〉の一部を保存しておくための容器。

※4〈今際人〉…身体的には死んでいるが四十九日を迎える前の、身体に〈フヂナ〉が残っている状態の人間。

※5〈掬者〉…〈フヂナ〉を〈硝子棺〉に込める事を生業としている。魂の方の葬儀屋と言われている。


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