プロローグ 幼年期の終り
「僕の裡にあった色は僕だけの色じゃなかった。色んな色が僕の裡に入り込んでこうなってしまったんだよ」
かつて先生が私にこう言い聞かせてきたのを覚えている。当時、私はまだ十歳にも満たない幼さできっとこの言葉の意味を解せず無邪気に、無抵抗に言葉を受け容れていたかもしれない。
何で先生はその時に私にこんな言葉を放ったのか、今はもうその時の状況も気持ちも覚えてはいない。
ただ言葉とその時のそっぽを向いた先生の表情だけは今でも覚えている。
先生の元で過ごし始めてからまだ間もない頃で、初めて先生から教えてもらった事がその言葉であった。
今から数年前、私は先生の元で助手として仕事の手伝いをしながら共に過ごしていた。
尤も、そんな風に思っているのは私だけかもしれない。
幼い時分の特有の我が儘で自ずから半ば強引に助手に立候補したのは私だ。
当時、私が何でそんな暴挙に走ったのかもすっかり忘れて、そんな態度に対する先生の真意も未だに知り得ない。
ただ寡黙な先生は曖昧模糊な背中を向けるだけで、私はそれを都合よく解釈してきた。
大概はそれで物事が上手く進み、障碍も乗り越えてこられた。
今、私はそんな今までを振り返り始めた。今や当時のように幼稚で居られるほど私は幼くない。
単純な年齢の換算でも僅かばかり持ち合わせている矜持でも。
知らんぷりで我が儘を通すことに背徳感を感じるほどには成長した。
私は無事に、自分を省みるぐらいの繊細な人間にはなれたのだろう。
けれど、そんな自己満足の感傷に浸りたいわけではない。
私はこの成長のおかげで、もしくはそのせいで、過ちを見つける事になったのだ。
とは言え、気づいてしまったのだから見逃すわけにはいかない。真に孤独な人間が自分自身の存在価値をひたすら模索しようとするように、何とかしてこの燻る思いを解消しなくてはいけないと思っている。
以前までは先生の選択は正しいものには思えず、その真相は何者かの陰謀によって引き起こされたか或いは外発的に引き起こされた悲劇なのだと怯えていたこともあった。
またそうでないとしても先生の選択はやはり人として許しがたいものであり、悪徳であるのだと思ったこともあった。
しかし、そんな社会の通念なんてものを量りの材料に使って判決を下しても彼への理解は遠ざかるばかりで結果虚しさだけしか残らない。
過去と言葉は性質がよく似ている。
通り過ぎてしまった過去を人はよく吟味し咀嚼してから自分好みに形を変えてしまう。
言葉はまるで生き物のように元の意味を変えていく。
そのくせに一度人の心に刺さってしまうと、しぶとく形を残してなかなか去ろうとしない。
どちらもひどく厄介な物だ。
私の裡に刺さった先生の言葉も過去も今やまったく違う意味を持ってしまっているのかもしれない。
今更どんなに考えてみようとも結局のところ分かりやしない。
だけれど、どうせもう戻りはしないものだ。
ならばどれだけ自由に振る舞おうと、どれだけ元の形を崩そうと誰も責めやしない。