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88話 広がる世界の隣のあなた

「明日、もう今日だけど、どうする?」


 順番に軽くシャワーを浴びた後、シーツを換えたベッドの上で愛しい彼女を腕の中に抱きながら、そっと髪を撫でた。


「そうですね。もう2時ですし、残念ですけど」

「いや、僕の方はいいんだけど。嫌じゃなければだけど、コースちょっと変えれば睡眠時間は確保できるし」


 不思議そうな顔で「それは全然嫌じゃありませんけど」と言う彼女に、続きの質問をしづらい。


「体の方は大丈夫かなって」


 シャワーを浴びに行く時も、戻って来た時も、僕のシャワー中に恐らくスキンケアをしていたであろうデスクから戻って来る時も、美園は僅かに足をぴょこぴょこさせながら歩いていた。仕方の無い事とは言え僕に原因があるので、その姿を見るのは少し心が痛んだ。

 正直な話、彼女の痛みがどれだけのものなのか、男の僕にはわかりようがない。だからこそ今日はゆっくりした方がいいのではないかと思った訳だが。


「多分ですけど、一晩眠れば朝には大丈夫だと思います」


 答えづらいかと思った質問だが、美園は特に気にした様子も無く答え、続いていたずらっぽい笑みを浮かべた。


「優しくしてもらいましたから」

「……そういう事を言わないでくれ」

「赤くなっていますよ、智貴さん。可愛いです」

「電気消そう」


 実質の敗北宣言を行い、枕元の照明のリモコンに左手を伸ばすが、美園の右手によって優しく掴まれた。


「もうちょっと、このままでいませんか?」

「明日出かけるならそろそろ寝ないと」


 苦し紛れの言い訳ではあったが、実際にその方がいいのは確かだったので、美園は寂しそうに「そうですね」と僕の手を離した。


「消しても話は出来るから、寝ちゃうまではさ」

「はいっ」


 今から寝るとは思えない溌剌とした声の美園に苦笑しつつ照明を落とすと、左手に彼女の指が絡められた。


「寝てしまう前におやすみのちゅーをしてください」

「まだキスって言うの恥ずかしいの?」

「……そんな事はありませんよ」


 それ以上の事をしたじゃないかとは言えず、ははっと笑って返すと、美園は「智貴さん、いじわるです」と小さく言った。


「ごめんね。おやすみ」


 そのまま彼女の唇に少し、触れるだけの口付けを落とした。


「おやすみなさい。智貴さん」


 優しい声で僕の名前を呼ぶ美園の声が心地よく、「おやすみなさい」の言葉が甘い倦怠感を思い出させた。

 結局そのまま、ほとんど会話もしないまま、柔らかな彼女に抱かれた幸せの中に、僕の意識は溶けていった。



 僅かな気怠さを残しつつ目が醒めた時、既に隣に美園はいなかった。かけたはずの目覚ましでの起床ではなかったので、彼女は大分早く起きたのだなと思って枕元のスマホを取ると、示された時刻は11時8分。因みに目覚ましは8時30分にかけたはずだった。


「はあ!?」


 半分まどろみの中にあった意識が完全に覚醒した。ドライブ行く約束が台無しになるじゃないかこれ。


「おはようございます。智貴さん」


 穏やかな声の後、ゆっくりとベッドに近付く足音が聞こえる。


「おはよう、美園。ごめん、すぐ支度するから――」

「気にしないでください。目覚ましを止めたのは私ですから」

「え?」


 慌てて上半身を起こしたところにかけられた声に、その動きが止まってしまう。

 既に化粧も着替えも、髪のセットも終わった美園は普段通り。普段通りの優しい微笑みを湛えている。


「智貴さん、お疲れのようでしたから。お出かけはまたいつかで構いませんよ」

「いや、今からすぐ支度すればそれなりのとこまでドライブ行けるはずだから――」


 そう言いながら掛布団から出てベッドから床に足を下ろして体重をかけた時だった。脚、股関節に少しだけ違和感を覚えて力が入りづらい。


「あれ?」

「どうかしましたか?」


 立ち上がれなくはない、歩けなくもない。ただ力が入りづらい。


「ごめん。やっぱり遠出はまた今度でいいかな? ちょっと今日は危ないかも」


 正直この状態で運転はしたくない。美園を隣に乗せるとなれば尚更だ。


「それは全く構いませんけど、お体は大丈夫ですか?」

「多分、ちょっと疲労が残ってるくらいだと思う。ごめん」

「謝らないでください。大学が始まるのは明後日からですから、今日はゆっくりしてくださいね。私に頼ってください」

「ありがとう、助かるよ」


 ニコリと笑った美園は、「任せてください」と軽く自分の胸を叩いた。昨日の今日でのその行為は、中々に刺激的だった。



 遅い朝の支度を済ませると、美園がソファーに座りながら膝枕を促してきたが、気が弛んだのだと思う、僕の口から出たのは「添い寝をしてほしい」という欲望だった。

 一瞬驚いたような美園だったが、次の瞬間にはもう頬を弛ませて、「智貴さんは甘えんぼですね」と笑った。言った自分が恥ずかしかったが、言ってしまった以上はもうその幸せに頭まで浸らせてもらう事にした。


「文化祭が終わったらですけど、私も免許を取ろうかなと思っています」

「うん。2月3月になると高校生も取りに来るから、そのくらいの時期からの方がいいんじゃないかな」

「免許を取れたら、ドライブの時に智貴さんがお疲れだったら私が代われますね」

「気持ちだけ受け取っとこうかな」

「信用していませんね?」


 美園が僅かに口を尖らせる。乃々香さんから「お姉ちゃんはあんまり運動得意じゃありません」と言う話を聞いているので、初心者ドライバーとの合わせ技が怖いという事もあるが、それだけが理由ではない。


「彼女の前でカッコつけたいだけだよ」


 そう言って、物理的にも尖った彼女の唇を奪う。


「もうっ」

「ごめん」


 お互いにくすりと笑い合い、もう一度一瞬だけ唇を合わせた。


「車の免許だけじゃなくて、アルバイトもしてみようと思います。勉強や実行委員の活動もあるので、そう多くは出来ないと思いますけど」


どこで働くにしろ、美園のバイト先はお客さん増えるだろうな。可愛いし可愛いし。


「楽しみだな」

「はい。2年生になればゼミも始まりますし、智貴さんに言ってもらった通り、少しずつでも自分の世界を広げたいと思います」


 キラキラとした笑顔を見せていた美園が、「でも」と真剣な顔を見せた。


「どれだけ私の世界が広がったとしても、私の隣には智貴さんにいてほしいです」

「どっか行けって言われない限りはずっと隣にいるよ」

「言う訳ありませんよ」

「知ってる」

「もうっ」


 そして、お互いを強く抱きしめたまま、午後になってもずっとそのままで過ごした。

 夏休みが終わって一緒に過ごす時間は減るが、それでも二人は大丈夫だと、お互いに強く強く思えるように、ずっと抱き合っていた。

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