番外編 誕生日の謀
きっかけは恋人である牧村智貴の些細なミスだった。
君岡美園が牧村から告白を受け交際を始めて以降、彼の部屋で美園が留守番をする時には牧村はパソコンを起動して渡してくれていた。しかし美園の実家を訪れた日を少し過ぎた頃にたった一度だけ、慣れによるものなのかミスを犯した。
牧村が美園にパスワードを教えて使わせていたのは実はゲスト用アカウントで、それとは別に彼個人のアカウントがパソコンに存在している。しかしその日の彼は後者のアカウントでログインした状態で美園にパソコンを渡してしまった。
美園が別の作業をしていたのならスクリーンセーバーが起動して別アカウントの存在がバレるだけで済んだのだが、牧村にとって運の悪い事にその日の彼女は来たる恋人の誕生日に向けての調べ物に手を付けてしまった。
そしていつもと違うデスクトップに違和感を覚え、美園はすぐにその理由に気付く事になる。
美園は最初恋人の個人アカウントの中身を探ってやろうという気は一切無かった。プライベートな部分だからと、すぐにログアウトして普段のアカウントで入り直そうと思った。なので、悪いのはどうせ誰にも見せないと高を括って秘密のフォルダへのショートカットを堂々とデスクトップに置いておいた牧村である。
そこまでお膳立てされてしまえば、美園がその中のwmvファイルを開いてしまった事も仕方の無い事と言える。
知識としてだけ知っていた初めて見る世界がそこにあった。
因みに、牧村が帰宅する頃には美園の手によってゲスト用アカウントに切り替えられていた為、彼はこの事実を知らない。
◇
牧村と付き合ってキスまで済ませた美園だったが、つい先日の事件までその先の事を考えた事はなかった。
しかし、牧村がああいった行為をしたいと思っているのならそれには当然応えたいと思うし、彼とより深い仲になれるのであれば美園としても望むところだった。
「美園から誘えば?」
「出来ませんよ……」
誘われた女子会の席での先輩からのあっさりとした提案に、美園は顔を赤くしてジュースの入ったコップで口元を隠した。
女に対して夢を見ている男は知る由もない事だが、同性のみの場であれば女も下ネタを話す。因みに、異性のいる場であっても構わない剛の者もいるにはいるが、希少である。
美園から話を振った訳ではなかったが、そういった話になった時の彼女の反応がいつもと違う事を見逃す先輩女子達ではなかった。あっさりと話を聞き出され、あのような提案を受ける結果となった。
「でもさっさとヤ……関係を進めたいんでしょ?」
「まだそこまでは言っていません」
「まだ、ねえ」
赤くなった顔を逸らした美園に、先輩からのある意味では温かな視線と同級生からのご愁傷様の視線が突き刺さる。
「でもマッキーに任せてたら年内は手出して来なさそうじゃない?」
「あー、それねー」
「ぽいぽい」
「違います! 牧村先輩は優しいんです。大事にしてくれているんです」
大好きな恋人をヘタレ扱いされてムキになる美園を、「ごめんごめん」と先輩達は優しく宥めた。
「まあまあその辺で」
「しーちゃん……」
「こういうのは茶化さず見守った方が楽しいらしいですよ?」
「しーちゃん!」
そのおかげで美園にはより一層温かな視線が集まる事になった。
「もう知りません!」
真っ赤な顔の美園がプイッと顔を背けるが、そういった反応がここにいる皆を喜ばせている事を、彼女はまだ知らない。
◇
先日の女子会ではムキになった美園だが、その実先輩の言った事はある程度正しいとは思っていた。
直接誘うのが恥ずかしいのであれば誘惑しろ、向こうから手を出させろ。という先輩達のアドバイスを元に、いつもより体を密着させてみたり、恥ずかしさを押し殺して抱きしめた彼の腕に胸を強く押し付けたりもした。
早くなった牧村の鼓動が密着させた背中に伝わり、早速効果が出たと美園は内心喜んだ。しかし結局彼は美園の顔をむにむにとしただけ、誕生日に何でもいいのでしてほしい事はないかと尋ねても、「一緒にいてくれるだけでいい」とだけしか言わない。
因みにその日の就寝前、この言葉を思い出してベッドの上で悶える事になる。
牧村の誕生日当日もそうだ。彼からの「お願い」の意味はよくわからなかったが、手を握ってもらったりキスをしてもらったりと、美園の方が幸せを貰ったようなものだった。
◇
美園は自分の容姿に自信がある。元々が地味だった事もあって自身の変身具合はよくわかっていたし、大学の内外問わず異性からよく声をかけられる事も、牧村以外は目に入らないにしてもその自信を後押ししてくれた。
身長こそ平均には満たないが、胸のサイズだって――牧村が見ていた作品の演者と比べれば目測でアルファベット二つ分程小さいが――一般的には十分大きい部類に入る。
牧村はそんな美園の容姿を好いてくれているし、時折だが胸元に視線も感じる。だが手を出してはくれない。
美園は今になって姉の言った言葉の意味を理解していた。牧村は美園の事を大切に、それは大切に思ってくれている。だからこそ彼本来の気質と合わさって手を出してもらうのは中々に難しい事だった。
更に言うならタイムリミットも近い。後期に入れば一緒に過ごす時間自体も減るし、基本的に毎日朝から授業か文化祭実行委員の実務がある。そんな状況では牧村が初回のお誘いをしてくれるとは全く思えなかった。
「勝負は私のお誕生日」
夏休みの終わりまで2日を残す、牧村と24時間を一緒に過ごす特別なその日。最早それ以外には無いと思えた。
◇
自身の誕生日に向けて美園は作戦を立てていた。
元となったのは自分の経験。夏休みにしばらく牧村に会えなかった時、彼の誕生日プレゼントを選ぶためにしばらく秘密の行動をしていた時、会いたいという気持ち、抱きしめてほしいという気持ちが爆発しそうだった。
なので誕生日前日から牧村との接触を減らして、彼にもっと美園と一緒にいたい、触れたいという気持ちを強めてもらう、というのが美園の考えだった。
最初の膝枕は牧村が疲れていたので居ても立っても居られずの例外と自分に言い聞かせ、その後実践してみたが、自分でもバカな事を考えたと思った。触れてもらう機会を自分でフイにし続けるのがこれ程辛いとは思わなかったし、どことなく寂しそうにしている恋人を見るのは――作戦が上手くいっている証ではあったが――心が痛くて仕方がなかった。
「誕生日おめでとう」と言ってもらった時は、スマホに届いたメッセージに助けられなければ作戦を台無しにするところだったし、当日の起床後に右手の指輪に気付いた時などは、牧村が眠っていなければその場で抱きついてキスをせがんだと思う。結局起きた後抱きついてしまったが。
そんなこんなで作戦としてはぐだぐだになったが、牧村は連夜美園の部屋に泊まってくれる事になったし、同じベッドで眠る事も了承した。
「一緒にいるだけじゃもうダメみたいだ」
そして引き出したその言葉が嬉しすぎて、美園は上手くいっていた作戦を放り投げてしまった。
「智貴さん」
その先に不安が無い訳ではなかった。それでも、初めて名前を呼んだ愛しい人の腕の中には、そんな物を持って行けはしなかった。




