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78話 未定の予定への期待

「で、その他の注意事項としては、やっぱり基本的にバンドがメインになるから、どうしても騒音との戦いにはなるんだよね」


 香の説明を後輩二人は真剣な表情で聞いている。

 9月の第2木曜日、美園と付き合いだして2週間が経つ今日は、午後から僕の部屋で第2ステージの担当会が行われていた。


 10月半ばで出展団体の受付を終了してすぐ、出演者への説明会を行ってスケジュール設定を行う必要がある。これに遅れが出ると、パンフレットの締め切りに間に合わなくなるし、ステージ看板に演目一覧を書くのも遅れる。

 そうならない為に、9月中には各担当でその段取りを整えておく手筈になっている。


「その辺の騒音に関してはマッキーから説明して」

「了解」


 席順は窓を背にした香から反時計回りで僕、美園、雄一となっていて、美園と雄一の視線が左へ90°動く。


「今から言う事はどちらかと言うとアリバイ作りに近い。参加者から詳しい説明を求められたら、まあ求められる事もないだろうけど、僕が答える」


 文化祭本番では、ステージ前の定位置に騒音計を置いて騒音の大きさを測定する。そして規定値を超えるようならば演者側にそれを注意する。その規定値は過去に近隣住民から苦情が来た時の統計で決定している。


「アリバイ作りって事は測定器こっそり遠ざけちゃえばバレないんじゃないすか?」

「文化祭が来年無いならそれでもいいけどな」

「低い数字なのに苦情が来てしまったら来年以降の基準が厳しくなっちゃいますね」

「そういう事。楽はしたいがその辺を誤魔化すと余計に面倒だ。ただでさえも実際には大した意味の無い事な訳だし」

「そうなんですか?」


 美園は不思議そうに首を傾げている。雄一も難しい顔をしているが理系のお前は気付いてくれ。


「測るのは一地点のラウドネスレベルだけだからね。スピーカーを点音源に近似したとして、周波数の違いによる減衰を考慮できないし、はっきり言って気候、遮蔽物はじめ諸々の条件が足りな過ぎる。だから実際には測って出た数字が同じでも、付近の人の感じ方は違う。もちろんその人達だって毎年同じじゃないだろうしね。美園は統計的にこれがボロボロだってのはわかるだろ?」

「はい。騒音については難しくてわかりませんでしたけど、統計データとしては、その……」


 気まずそうな顔で言葉を濁す美園と、今なおちんぷんかんぷんな顔をしている雄一を見て、香が苦笑した。


「まあそう言う事だから、私達は対策してますよって言うアピールの面も大きい訳。数字の記録と注意の実施記録を学生生活課に提出して、後はお任せするの。もちろん事前に広報主導で近隣の人達への説明会があるんだけどね」


 学生生活課はサークルや部活などの課外活動をサポートしてくれる大学の部署で、文実としては大学側の窓口になってくれるこの課に、他のサークルや部活よりもお世話になる事がとても多い。文化祭に対する近隣からの苦情などの窓口にもなってくれるので、僕達としては本当に頭が上がらない。


「一応大まかな基準だけど音を抑えようとはしてるからな。周囲の事なんか知った事かって訳じゃないぞ。念の為な」

「それはわかるっす」


 最後だけ威勢よく頷いた雄一だが、来年の1年生にしっかり説明できるだろうか。



 ノートPCのキーボードの上を、白く細い指が軽やかに踊っている。そんな風に喩えてしまうのは贔屓目だろうか。上品に淀み無いタイピングを見せる美園に、そんな事を思う。

 出展団体に渡す注意事項は、毎年前年度の物を流用して作成する。今回も同じような手順を踏もうと、昨年のそれに話し合いながら赤ペンを入れていった。1年生への説明をしつつ、小一時間話し合って文面を決定させ、香の持つUSBメモリに入っている去年のデータを改変しようという時だった。

 美園が「これなら一からタイプした方が早いかもしれませんね」と平然と言い放ったので、任せてみたら実際にタイピングが驚く程速かった。確かに細かい改変だと、どこを変えてどこが変わっていないかのチェックが面倒なので、これだけの速度が出せるなら一からの方が理に適っている。出せるなら、だが。


「美園タイピング速いね」

「びっくりっすよ」

「美園はピアノやってたからな。凄い上手らしいぞ」

「何でマッキーが自慢げな訳……」


 驚く香と雄一に、内心の驚きを見せずに聞かせてやると、二人は呆れ半分で僕の顔をじっと見た。


「えっと。ピアノとはまた少し勝手が違うかなと思います……牧村先輩にピアノの事を話しましたっけ?」


 少しだけ照れたような表情を浮かべた美園は、その後首を傾げた。


「乃々香さんに聞いた。お姉ちゃんはピアノが上手なんですって、さ」


 自慢げな彼女の顔を思い出し、弛む頬を抑えて言うと、雄一はため息を吐いた。


「既に家族ぐるみっすか」

「ねえ?」


 雄一と香は顔を見合わせて呆れたような表情を浮かべた。

 墓穴を掘りそうなので反論は見送った。



 明日の部会で各担当間のすり合わせを行い、それを踏まえて来週再度僕の部屋で担当会を行う事になっている。今日行う作業はきっちり終わらせると、二人は「邪魔しちゃ悪いから」と言って早々に帰って行った。


「色々と考えないといけない事が多いですね」

「うん。もう2ヶ月ちょっとだからね。これからやる事はどんどん増えてくよ」


 いつものように美園を前に座らせ、後ろから抱きしめながら頭を撫でる。


「不安?」


 美園が僕の腕をぎゅっと抱きしめるので、もしやと思い尋ねてみた。


「そう、ですね。不安が無いと言えば嘘になると思います。でも、牧村先輩と一緒ですから、きっと平気です。頑張れます」


 抱きしめた僕の左腕の先、手の甲を白い指を這わせるようにそっと撫でながら、美園は笑う。


「それに皆さんいい人ばかりですから。一緒に文化祭を作っていくんだって思うと、不安よりも楽しみが勝ちます」

「そっか。楽しみだな」


 大好きな恋人と同じ物を目指して行ける。何物にも代え難い時間を、今過ごしている。ともすれば無自覚になってしまうが、これは本当に幸せな事だと思う。


「はい。でも……一つだけ」

「不安な事?」


 出来るだけ優しく、彼女の不安を和らげられるように声をかけ、そっと頭を撫でた。


「はい。忙しくなると、後期の授業も始まりますし、こうやって過ごせる時間が減っちゃうなって。実行委員の仕事も楽しいですけど、私、自分で思っていたよりもわがままみたいです」


 想像していた類の事とは全く違う美園の言葉に、思わず笑ってしまう。


「あ、笑いましたね。大切な事なんですよ」


 顔こそ見えないが、ぷりぷりとした口調の美園は、ぺちぺちと可愛く僕の腕を叩いている。


「ごめんごめん。可愛いなって思って」

「……そういう言い方はずるいです」


 ぴたっと動きを止めた美園が、拗ねたようにそう言うので、頭を撫でていた右手を彼女の首元へと回し、両腕でそっと抱きしめた。


「僕だって同じだよ。夏休みが終わるとどうしても会える時間は減るからね。寂しいよ」

「はい……」


 回された僕の腕をぎゅっと掴んだ美園は、静かにそう口にした。


「だから9月はたくさん一緒にいよう」

「はい! でも9月だけじゃ嫌ですよ? 文化祭を成功させたら、次は冬休みです。その次は春休みもあります。旅行の話だって忘れていませんよ?」

「良かったら9月中にもちょっと遠出しないか? バイトもあるから日帰りになるだろうけど」

「行きたいです。早速予定を立てましょう」


 そう言うが早いか、美園はもぞもぞと僕の腕の中から抜け出して立ち上がり、自分のバッグからメモ帳を取り出した。

 正座の美園は、「いつにしますか? どこに行きますか?」と目をキラキラさせている。気が早いなと苦笑して見せつつも、全く決まっていない彼女とのデートに、僕は僕で胸を躍らせていた。

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