77話 近付いた距離の証明
「これ、前回の分です」
「ありがとう」
美園の実家への訪問を済ませた翌日の日曜の朝、文実の実務前に僕の家で朝食をとり終えた後の事。
因みに、美園はこの日の朝食を作ると言ってくれたが、前日の帰宅時間を考えると朝の支度が僕よりも大変であろう彼女にそれをさせる訳にはいかず、何とか言い含めて僕が作った。
「企画と詰め人員の募集か」
「はい」
美園に見せてもらったのは2枚のレジュメ。先日僕がバイトで休んだ全体会の資料だ。
委員会企画が主導する企画の一つはスタンプラリーで決まったようで、これから詳細を詰めていくにあたって、都度レジュメを作って部会、全体会と意見を募る事になるだろう。
「夏休み明けの委員会室での対応ですけど、私もやってみようと思うんです」
「そうか。頑張ってな」
「はいっ」
文化祭への出展希望団体の受付はもう始まっており、ホームページから以外でも委員会室での申し込みも――夏休み期間中は限定された時間だけではあるが――受け付けている。
少し緊張気味で、その役をやってみようとやる気を見せた美園の頭をそっと撫でた。実務用に既に髪をまとめてあるため崩さないようにすぐに終えると、美園は少しだけ寂しそうな顔を見せた。無自覚なのだろうが、あざとい、可愛い。
「ウェブ上での受付がありますし、それほどの回数入るつもりではないので、あんまり仕事は無いかもしれませんけど」
「いや、そうでもないよ。毎年出展してるような慣れてるとこはウェブ上から申し込むトコも多いけど、特に模擬店なんかはその年だけの団体も結構いるからね。説明聞きながら申し込みたいってとこも意外といるよ」
「え。それじゃあ、結構責任重大ですか?」
「美園なら大丈夫」
少し不安げに揺れるその大きな瞳だが、言葉の通り僕は何も心配してはいない。
「最初の一回だけでいいので、一緒にいてもらえませんか?」
「いいよ。とりあえず初回は僕のバイト無くて授業が早く終わる日で申し込んどいて。後で教えるから」
「はい。ありがとうございます」
「むしろ美園の仕事っぷりを見せてもらえるから楽しみだよ」
「もうっ」
嬉しそうに怒って見せる美園だが、僕の内心の喜びには気付いていないだろう。
今までの美園ならば僕にこう言った事は頼まなかったか、頼んだとしてもそれはそれは申し訳なさそうな顔をした事だろう。信頼と、距離が縮まった証拠だと僕は受け取った。
そんな幸せな気分で、美園の淹れてくれたお茶を飲みながら少しまったりしていると、すぐに家を出る時間になってしまう。
「じゃあそろそろ行こうか」
「はい」
先に立ち上がって手を差し出せば、美園は柔らかく微笑んでそれを取ってくれる。
玄関まで手を取って歩き、二人の決め事通り美園が鍵を開けてくれるのを待ったが、彼女はそんな素振りを見せず、じっと僕を見つめたまま。
「いってらっしゃいのちゅーを……」
「一緒に出るじゃないか」
苦笑する僕に対して、美園は無言で目を瞑って少し踵と顔を上げた。支えるようにそんな彼女の肩に手を置き、僅かに体を屈めて唇を重ねた。
相変わらずたった数秒、されど数秒だ。
◇
いつものように看板を運び終わり、日陰で一息つきながら色塗り組に目をやっていると、両側から肩を叩かれた。
「視線がいやらしい」
「気持ちはわかるよ」
前者を無視し、後者と握手を交わして隣を薦める。
「おい、無視すんな」
「日向が空いてるぞ」
「死ぬわ!」
死にはしないだろう。とツッコむ前に、サネはそのまま汗を拭いながら右隣に腰を下ろし、左隣のドクはクスクスと笑っている。
「しっかし、服買うの手伝わされた時も驚いたけど、髪型も変えるとはな」
「ね。びっくりするよ」
「夏だし、前の髪型はワックス使う量も多かったし」
「はいはい」
苦しい言い訳は友人達には全く通じなかった。通じるとも思っていなかったが。
「それで、上手くいってるの?」
「今のところ良好だよ」
「惚気るな!」
「理不尽だろ」
肩を殴り返すとサネは「DVだ」と少し喚いた後、ふっと笑った。
「まあ上手くいってるならいいわ。お前が捨てられると文実に混乱が起こりそうだから頑張れよ」
「巻き込まれなくても雰囲気ギスギスするの嫌だしね」
僕が捨てられる方なのは確定かと文句を言おうと思ったが、破局があるとすればその形しか無いのは確かだった。考えたくも無いが。
「今例年通りに戻りかけてるのに、文化祭直前に美園がフリーになったら怖い事になるだろうな」
「ちゃんと捕まえときなよ」
「……ああ」
そう応じると、僕越しに笑いあった友人達は、揃って僕の背中を叩いてそのまま押し出した。振り返りながら「痛いよ」と文句を言うと、サムズアップした二人は「行ってこい」「俺達はもう少し休む」と色塗り組の方を指差した。
「……さんきゅ」
二人には聞こえない程度に口を動かし、反応を見ないまま美園がいる方へと向かうと、ちょうど向こうもキリのいい所だったらしく、彼女も手を止めて周囲と笑顔で会話をしている。
友人達に感謝して歩いて来たので気まずいが、僕が入っていっても邪魔になると思い、つま先の向きを2年生の集団へと変えた。
「あれ、マッキー。あっちはいいの?」
美園の方を目線で示しながらちょっとニヤついた顔を見せたのは、色塗り組の音頭を取っていた広報宣伝部部長の大谷あゆみ。
「知ってたのか」
「そりゃ知ってるでしょ。マッキーはともかく美園は有名だし。私も一緒に女子会した事あるよ」
「ともかくで悪かったな。で、手伝いに来たんだけど、休憩中?」
「そだね。ちょっと休んだらまた色塗り。後は字の上手い子は乾いてる看板に字書いてもらおうと思ってるけど、マッキー字上手だっけ?」
「筆でとなると自信無いな。あゆみは?」
「去年は書いたんだけどね。今年は指揮もあるし他の子にもやってもらいたいかな」
「じゃあ推薦したい子がいる。字は抜群に上手い」
「惚気るね~」
僕が自信満々で視線を向けた先を見て、あゆみはニヤニヤとしながら頷いた。
ちょうど目が合った美園は、可愛い笑顔で首を傾げている。
◇
「はい。書かせてほしいです」
あゆみから簡単な説明を受けた美園は、「絵筆で字を書くのは初めてですが」と前置きこそしたものの、しっかりと頷いた。
「頑張ってな」
「はい。ちゃんと書けたら見てくださいね」
「楽しみにしてる」
応援の言葉を口にすると、美園は胸元で小さく手を握り、目を輝かせながら頷いた。
「あのー。説明の続きいい?」
「隙あらば二人の世界に入ろうとしますね、この人達」
いつの間にかくっついて来ていた志保が、あゆみと顔を見合わせて呆れた様子を誇張したジェスチャーをしている。アメリカ人かお前は。
「あの、ごめんなさい」
「いいんだよ。美園は気にしないで」
「そうだよ。美園は」
顔を赤くして謝る美園だが、流石に責められる程の事では無いので、申し訳ないというよりも恥ずかしいと言った様子だ。
対して僕は何故か責められている。特に二人目はチラチラと視線をよこしながら「は」のところをやたらと強調していた。
「ごめんなさい」
「とりあえずマッキーは色塗り班ね。一緒にいると美園の集中が乱れても困るし」
「了解」
その場を離れる前に美園に視線をやると、少し恥ずかしそうではあったが、その目は「任せてください」と言わんばかりに、しっかりと僕を見ていた。
「写真撮って後で送りますね」
美園には聞こえないようにだろう、僕の背中に隠れるような位置取りの志保が、こっそりとそう伝えてくれた。
「助かる」
「今度飲み物でも奢ってください」
「わかった」
◇
「やっぱり上手だな」
「ありがとうございます」
実務の後、僕の部屋で志保からもらった写真を眺めながら呟くと、隣に座った美園が嬉しそうに微笑んだ。実物は僕が別の作業をしている内に片づけられてしまったので、魚拓を掲げるかのように紙製の小さな看板を胸元に持った美園の写真を、スマホの小さな画面で見ている。一緒に見る為にはゼロ距離にいる必要があるのでそれも都合がいい。
使うのは絵筆と墨汁ではない塗料。慣れない状態ではあったはずだが、白ベースの看板に書かれた字は教科書のお手本のように綺麗な美園の字だった。
「前にも一度褒めてもらった事がありましたよね。私の字が綺麗だって」
「勉強会の時だっけ」
懐かしむように言う美園は、「はい」と呟くように言って、僕の肩に頭を預けた。髪留めは外しているので、髪型はいつもに近い――毛先がまっすぐなところが違うが――状態に戻っている。
「あれから自分の字が好きになりました。昨日、字が好きだって言ってもらえて、もっと好きになりました。今日推薦してくれた事も嬉しかったです」
「うん」
背中側に腕を回し、美園の髪を撫でる。どうやら朝の段階で物足りないと思っていたのは彼女だけではなかったようだと、数時間越しで思い知らされた。
ランキングの隅っこに載ったおかげもあり、ブクマが100を超えました。
読んでくださる皆さんのおかげだと思っています。ありがとうございます。
このまま完結まで頑張り(たいと思ってい)ますので、今後とも何卒よろしくお願い致します。




