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71話 あの日と違う一条

「で、牧村君を試しつつ『娘はやらん』て言ってみたかったと」


 お父さんの隣にはお母さんが座り、花波さんは椅子を持って来てお誕生日席に陣取りつつ、話を要約してくれた。因みにお母さんは「あらあら」とだけしか言わなかった。

 美園がお父さんの呼びかけに不思議そうな顔をしたのも、僕の挨拶に言葉を被せられた事も、先ほどの態度がわざとだとすると得心がいく。


 曰く、三人娘の父として一度は言ってみたいセリフだった。

 曰く、長女が彼氏を連れて来てくれないので、娘の恋人の品定めをどうしてもしてみたかった。因みに、「経営者としての性かな?」とおどけて見せたお父さんは、美園の負のオーラに気圧されてすぐにごめんなさいをした。


「牧村君。本当にすまなかった」

「いえいえ。僕は全然気にしてませんので」


 お父さんはテーブルに頭をこすりつけるように謝ってくれているが、実際のところ本当に気にしていないのでむしろ止めてほしい。


「大事なお嬢さんの恋人として突然お邪魔した訳ですので。むしろしっかりと見て頂けるという事は、僕としても嬉しく思います」

「ありがとう!」


 手を取られてしまった。それもガッシリと両手で。


「ほら、美園。牧村君もこう言ってるし、そろそろ許してあげなって」


 いまだにムスっとしている美園を見かねた花波さんが、お父さんに助け舟を出した。


「交際はもちろん認める。牧村君、美園を頼んだよ」


 お父さんはチャンスとばかりに、両手で握った僕の手を持ち上げて美園にアピールしている。


「お父さんね、牧村君が来るのを一番楽しみにしていたの。お夕飯だっていいお寿司頼んでいるんだから」


 テンション上がってドレスまで着た人が言うと説得力が無い。あと、この家基準のいいお寿司が楽しみだが怖い。


「美園。この通り僕はむしろ嬉しいくらいだからさ、いつもみたいに笑ってほしい。僕と一緒にいるせいで怒りっぽくなったって思われたら困るだろ?」

「……ずるいです」


 そう言って小さく息を吐き、照れながら見せてくれたのは、いつも通りの可愛い笑顔だった。



 美園の機嫌は直ったものの、面談は少し時間をおこうという話になった。妹の乃々香さんが16時くらいには部活から帰る予定だそうなので、その辺りからリビングで歓談しよう、というのが花波さんの提案だった。「お父さんが付き合うの認めたんだから、もうここで話す事そんなに無いでしょ」だそうだ。

 因みに、僕の買って来たお土産の大福はそのまま冷蔵庫行になった。あの場の空気で食べるのも憚られたし、せっかくだから歓談の時にしようと、お茶だけもらって美園の部屋に通してもらった。

 その時に花波さんと美園が「準備はオッケーだから」「ありがとう、お姉ちゃん」とこっそりと話していたのが聞こえたが、それが何かはわからなかった。


 美園の部屋は二階にあった。三姉妹の部屋が並んでいるようで、その中央の彼女の部屋は、恐らく十畳程の広さで、雰囲気としては美園の一人暮らしの部屋とよく似ていた。


「先ほどは父が申し訳ありませんでした」


 部屋に入れてもらい、小さなテーブルの前に座ってすぐ、美園は綺麗に正座した状態で頭を下げた。


「気にしないでって言ったろ。ほら、顔上げてさ。その可愛い顔を見せてほしい」


 そう言って美園に近付いて体を起こそうとすると、少し抵抗された。「嫌だったら言って」と声を掛け、僕の方も力を入れて体を起こさせると、赤くなった顔を隠したかったのだとわかった。そんな美園が可愛くて、彼女の実家だというのについ抱きしめてしまった。


「僕のために怒ってくれて嬉しかったよ。ありがとう」

「はい」


 感謝を伝えると、優しい声ともに背中に腕が回り、ぎゅっと抱きしめ返された。そのまま抱きしめていたかったが、いつもと少し違う香りと、いつも通りの柔らかな感触の波状攻撃で体に支障が出そうだったので、断腸の思いで美園を引き離した。


「もうおしまいですか?」


 拗ねた美園が目を潤ませて小さく首を傾げた。

 僕はその細い肩に手を置いたまま、肘も曲げているので顔と顔の距離は近い。おしまいだよと、そう言って頭を撫でよう。自分の頭でそう思っているのに、顔と顔の距離を離せない。


 頭の中の悪魔が「唇を奪ってしまえ」と囁きかけ、対する天使は「美園も嫌がらないでしょ」と余計な事を言ってくる。その声に従って顔を近付けると、少しだけ美園の瞳が揺れたような気がした。

 その瞬間に思い出すのは、僕を誠実だと言ってくれた美園の言葉。それが僅かに残った理性を後押しした。


「っと……やっぱりペンギン好きなんだな」


 美園の肩を優しく押し、顔の距離を離して無理矢理話題を見つけた。向うの彼女の部屋にもあったが、ここにはより大きなぬいぐるみがいくつか置いてあった。一番大きな80センチくらいありそうなぬいぐるみに視線を向ける。


「あ……はい。大きすぎて連れていけなかった子達です」


 少しぽーっとしていた美園も、すぐに元通りの彼女に戻った。逆に僕は元通りには戻れず、彼女から顔を逸らすように、立ち上がって室内を見渡した。

 水色と白を基調とした部屋なのは向こうと同じだが、勉強机だけは子どもの頃からの学習机なのか、木の色をしていた。「へえ、ここで勉強してたんだな」と声に出して近付いてみたが、我ながらわざとらしかった気もする。


「はい。受験勉強もそこで頑張ったんですよ」


 いつの間にか立ち上がっていた美園が、嬉しそうにそう言って僕の隣まで移動して来た。


「そっか」


 内心の動揺を悟られないよう、振り返って外していた視線を机の方に戻すと、その上に置いてある大判のハードカバーの冊子が目に入った。


「卒業アルバム?」


 濃紺の表紙に金の文字で、お嬢様学校ですと主張せんばかりの高校名が書かれている。


「はい……もしよければですけど。見ますか?」

「いいの?」

「はい」


 卒業アルバムを大事そうに手に取った美園がおずおずと聞いてくるので、期待を込めて聞き返すと、彼女は少し恥ずかしそうにそれを僕に差し出した。


「ありがとう」


 両手で大事に受け取り、いつも互いの部屋でしているように、ベッドに背を預けるようにして腰を下ろした。アルバムを見るので、美園は流石にいつものように僕の前ではなく、左隣に少しだけ離れて座った。


「他の子に目移りしちゃ嫌ですよ」

「大丈夫だよ」


 卒業アルバムを見る時の定番と言えば可愛い子探しだが、流石に彼女のアルバムでやるほど僕は馬鹿ではない。何より美園より可愛い子がいてたまるものかと思い、上目遣いの美園に苦笑しつつ答えた。


「美園は何組?」

「二組でした」

「了解」


 表紙をめくると、校訓や校歌、校長挨拶のようなページがあったが当然のように飛ばすと、横で美園がくすりと笑った。


 写真のあるページに辿り着いたが、お嬢様学校だけあってか落ち着いた雰囲気の写真が多い。式典や授業以外は笑顔で写る生徒が沢山いるが、そのほとんどがお淑やかな物で、はしゃいだような写真はほとんど無かった。

 美園の学校の制服は、紺色のブレザーと同じ色のスカートに藍色のリボンを身に着ける落ち着いた物で、彼女が着ていたらさぞ似合うだろうと思って探してみたのだが、美園は見つからない。大学デビューだと言っていたが、それでも美園なら大勢の中にいても見つけられると思っていただけにショックだった。


 悔しい思いはあったが、美園の制服姿を早く見たいという欲求には勝てず、アルバムの後ろの方にあるであろうクラス写真へとページを飛ばした。

 そこでふと、左肘に重みを感じて首を回すと、何か言いたげな美園が僕を見ていた。


「どうかした?」

「あの、えっと……いえ、何でもないです」

「そう?」


 高校時代の自分を見られるのが恥ずかしいのだろうか。僕がいきなりページを飛ばしたせいで、覚悟を固める時間が少なくなってしまったかもしれない。

 そんな事を思いつつ、二組の集合写真に視線を落とした。恐らく担任の先生であろう女性を前列中央にした、前後二列の女生徒達は全部で三十人程だろうか。

 しかし順番に見て言っても美園が見つからない。もう一度しっかり探してみようと思い、前列の右端から指で一人ずつ確認していくと、美園を見つけるよりも先に見覚えのある女の子を見つけた。


「この子……」


 眼鏡をかけて髪を二つにまとめたその女の子は、僕にとって忘れられない少女だった。

 ここまで来ればもしやという予感、いや確信めいた物があった。先ほどは流したその子の顔をよく見てみれば、集合写真の小さな顔には確かな面影がある。

 ぱっと顔を上げて隣の美園を見れば、不安で消えてしまいそうな顔をしているように思えた。


「美園」

「……はい」


 僕は()()に聞きたかった事が一つだけあった。


「大学生活は楽しいか?」


 その質問に、最初美園は目を見開いて驚いたように見えたが、意図を理解してくれたのだろう、その表情は少しずつ柔らかくなっていった。頬には僅かに朱が差している。


「はい……はい!とっても、とっても楽しいです」


 爽やかな笑顔でそう言った彼女の、頬を流れる一条の意味は、きっとあの日とは違う。

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