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68話 誠実で素敵な恋人?

 美園のご両親への挨拶は9月最初の土曜の14時にセッティングされた。隣の県にある彼女の実家の最寄り駅までは、バスと新幹線と電車を乗り継いで2時間30分程らしい。こちらの駅で土産を選ぶ時間と昼食の時間も考慮し、9時30分頃のバスに乗って出かける予定になっている。

 そんな当日の7時に起床し、朝からシャワーを浴びて、支度を済ませていく。服を新調しておいて本当によかったと思うが、こんな事になるのなら靴も買っておきたかった。

 身支度を済ませて軽い朝食をとり、迎えに来ると言ってくれた美園を待っている間に、彼女のご両親への挨拶を再度調べる事にした。今からなら30分程調べられる。

 夢中になって復習をしていると、ピンポンと玄関のチャイムの音が響いた。時計を見ると約束の時間の5分前になっていた。


「おはようございます。牧村先輩」

「おはよう、美園」


 慌ててバッグを手に取って玄関を出て挨拶を交わすと、美園はニコリと微笑んで彼女のバッグからキーホルダーを取り出して、合鍵で部屋のドアをかけた。

 二人でこの部屋を出る時と入る時、鍵の開け閉めは美園の役目になっている。本人が「これからは二人の時には私にさせてください」と言うので任せている。たかが鍵の開け閉めなのだが、そのたびに幸せそうな顔をするので、こちらも嬉しくて言われるがままに任せている。


「あれ。今日は……」

「はい。その、デート、という訳じゃないですけど、二人でお出かけなので」

「そっか。ありがとう」


 付き合い始めてから、美園はデートの時は化粧を変えてくれている。初回のデートの時に、唇の部分だけ違いがわかったので聞いてみると、「せっかくなので」と嬉しそうに言って、化粧を少し変えている事を教えてくれた。

 上目遣いでおずおずと「似合っていますか?」と尋ねる美園がとても可愛かったので、正直違いはよくわからなかったが「ああ、よく似合ってる。凄く可愛いよ」と褒めると、ほっとしたように「よかったぁ」と言って満面の笑みを浮かべていた。

 2回目のデートでも化粧を変えていて、今日も同じという事は、美園にとって今日はデートのつもりなのだろう。因みに、最初は唇でしか判別できなかったが、今では頬の色と目元でも少し違いがわかるようになった。


「因みに、僕の方はこれでいいかな?」


「彼女 両親 挨拶」で調べると、スーツでなくてもジャケットは着ろ、と大概のページで書かれていたので、今日は薄いグレーの襟付きシャツの上から、先日買っておいた紺のサマージャケットを羽織っている。下は黒のスキニーなので、そこそこフォーマルに仕上がっている気がする。

 感想が欲しくて1回転して見せると、美園はぽけーっとした顔で「かっこいい」と呟いた。彼氏補正が極端に効き過ぎていてまるで役に立たない。自分でも「お、そこそこイケるな」と思いはしたが、絶対にそこまでではない。


「行こうか」

「あ、はい」


 良し悪しに関わらず、美園からのダメ出しは間違いなく飛んでこないので、諦めて出発する事にした。

 階段を下りる時も、もうお互い何も言わずに手を取るようになった。しかしいつもと違うのは、階段を下りた後も美園が手を離さない事だった。


「昨日の分です」


 昨日は僕がバイト、美園は志保達と約束があるという事で、付き合ってから初めて一度も顔を合わせない日だった。「寂しかったです」と手に込められる力に幸せを実感する。僕の方は、一夜置いた事で襲って来た強烈な緊張で、寂しさが緩和されていたのだと思う。


「とりあえず、繋ぎ変えよう」

「あ。そうですね、ありがとうございます」


 苦笑しながらそう言うと、美園も気付いたのか僕の左側から右側へと立ち位置を変え、照れ笑いをしながら僕の右手を取った。

 普段美園を家まで送る時は車道の左側を歩くが、今日は大学方面へ向かうので向きが逆になる。中々スマートにはいかないものだとお互い苦笑するが、初々しい失敗とでも言えばいいのか、少しくすぐったいような感覚を覚えた。



「美園のご両親はどんな人?」


 バスの中、今まで聞けていなかった今日の成否に関わる質問をぶつけてみた。窓側に座った美園は「うーん」と少し考える素振りを見せてから困ったように笑った。


「優しいですよ」

「それはわかる」


 美園を見ていれば、この子がご両親から愛されて育った事はわかる。


「そうですか?」

「そうだよ」


 品のある立ち居振る舞いに、素直で他人に気を遣える優しさもあり、気弱に見えてその実芯は強い。ただ裕福な環境で育っただけでは、きっとこうはならないと思う。


「まずはお土産用に、甘い物大丈夫か、洋菓子と和菓子どっちがいいか、とか教えて欲しいかな」

「そうですね。二人とも甘い物は大丈夫なはずです。ただ、父は牧村先輩と同じで甘さは控えめの方が好きですので、和菓子の方がいいかもしれません」

「助かるよ。あとは美園が買った事がある物と被らないように、選ぶの手伝ってもらっていいかな?」

「はい。任せてください」


 美園はニコニコしながらそう言って、軽く自分の胸元を叩いた。無自覚なのだろうが、そういう事をする前に自分の大きさを理解してほしい。


「あー。美園はリラックスしてるけど、不安じゃないか?その、僕がちゃんと挨拶できるかとか、ご両親に悪い印象持たれないかとか」


 引き付けられた視線を誤魔化す意味もあって、先程からやけに落ち着いている美園に質問を投げてみた。


「牧村先輩を信じていますから」


 美園は真面目な顔でそう言って、「別の緊張はありますけどね」と少し照れたように付け加えた。


「信じてもらえるのは嬉しいけどさ」


 美園が言う「別の緊張」という部分は気になったが、ここで昨日の父さんからの唯一のアドバイスを活かすチャンスではないかと思い至った。


「どんな感じで会えばいいかな?こう、自分の見せ方というかさ」


 父さんは昨日、「相手の子が気に入ってくれたお前を見せればいい」と言っていた。つまり逆に考えて、これに対する美園の返答は、「僕のどこを好きになってくれたか」という悩みの答えになるかもしれない。


「普段通りの牧村先輩がいいと思います。誠実な人柄がきっと伝わります」

「誠実か」


 ニヤケそうになる顔を、必死に力を入れて抑える。自分が誠実かどうかはわからないが、美園がそう思ってくれている事がこの上なく嬉しい。

 どうもこのニヤケは抑えられそうにない。幸い通路を挟んで反対側には人が座っていないので、少しだけ顔を逸らした。


「どうかしましたか?」

「いや、何でもない」

「何でもなくないですよ」


 そう言った美園は、少し目を細めながら僕の顔を覗き込んだ。


「その。すみませんでした……」


 そして僕の醜態(ニヤケ面)を見て察したのか、気まずそうに笑ってから、窓の外を見るようにわざとらしく顔を逸らした。


「でも、ありがとう」


 悩みが無くなった訳ではない。それでも、心は軽くしてもらった。美園はそういった意図があって言ってくれたのではないだろうが。


「本当の事ですからね。牧村先輩が誠実で素敵な人だって事は」


 窓の外から内へと視線を戻し、微笑みながら美園はそう言った。

 正面からそう言われて顔が熱くなる。


「牧村先輩は誠実で素敵な人です」


 そんな僕の様子を見てか、少しいたずらっぽい笑みを浮かべ、美園は再度繰り返した。


「本心ですよ?」

「わかるよ……」


 僕に比べればそうでもないのだろうが、美園の顔も少しだけ赤くなっていた。

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