67話 悩みと更に大きな問題
カレンダーが1枚めくられ、早いもので美園と付き合い始めて1週間になる。
それを口実に今日は美園をデートに誘った。午後から一緒に出掛け、映画を見た後に予約しておいたレストランでディナーへと繋げた。
8月に公開されたその恋愛映画は、恋人同士がトラブルを乗り越えて固く結ばれるという、良く言えば王道だが悪く言えば無難な物で、レストランまで歩いている間でその話題は終わってしまった。
対してディナーの方は、以前美園が行きたがっていたフレンチという事もあって、帰りのタクシーの中でも料理や店の雰囲気について嬉しそうに話していた。
「牧村先輩」
タクシーで美園の家まで帰ってきた後、そのままの流れで部屋まで上がらせてもらい、いつものように飲み物をご馳走になり、そのままくつろがせてもらっている。
付き合って2日目以降ある種の定番になった体勢、ベッドに寄り掛かった僕の前に美園が座り、後ろから抱きしめる恰好で10分程経った頃、美園の声のトーンが変わった。
僕の腕の中をもぞもぞと動くので、邪魔にならないように腕を浮かせると、美園はそのまま動いて体を反転させ、「んしょ」と言いながら僕の脚の間で正座をした。
「無理、していませんか」
真剣な目で僕を心配してくれている。
不謹慎ながら少し嬉しい。だがそれ以上に情けない。
「なんにも。無理なんてしてないよ」
嘘だ。あの日以降僕は必死だ。サネとドクに晩飯を奢り、服を選ぶのを手伝ってもらい、秋物を含めてそれなりの量を買った。髪をほんの少しだが切り、セットの仕方も僅かに変えた。デートだって今日は付き合ってから2回目だ。因みに1回目は「付き合い始めた記念に」と言って誘った。
「私、牧村先輩の事ならわかりますよ。それは嘘です」
あの時香が僕に向けた言葉の中にあった「美園がどう思ってたか」という部分。香の意図とは全く別の受け取り方をしてしまった。
あれを聞いてから、美園が「僕の事を」どう思っていたか、僕のどこを好きになってくれたのか、それが気になってどうしようもない。
それでいながら「僕のどこが好き?」などと聞く事も出来ず、少しでも外見を良く見せようとしたり、デートに誘ったりした訳だ。
そして一緒に過ごす内に、もっと美園の事を好きになって更に不安になった。
「もし、この間私が言った事が原因でしたら、気にしないでください。今までのままでも、凄く大切にしてくれていたのはわかっています。十分幸せですよ」
少し不安そうに、それでも真っ直ぐ僕の目を見て美園はそう言ってくれた。
「ありがとう。ちょっと焦りがあったかもしれない。でも――」
言いかけた僕の邪魔をするように、テーブルの上に置いた僕のスマホが震えた。
「あ、お電話でしたらどうぞ」
「いや、後で――」
誰からか確認だけして折り返そうと思って立ち上がり、画面を確認したのだが、そこにあった名前は美園のお姉さん、花波さんだった。
「ごめん、やっぱり出るよ」
「はい」
美園が破いた花波さんの連絡先だったが、1枚を半分に破いただけだったので文字は十分読み取れたし、恋人の姉を無視する訳にはいかず、僕の方から連絡を取った。最初の挨拶以降特にやり取りはしていなかったが、何故かこのタイミングで電話がかかってきた。
「はい、牧村です」
『あ、牧村君? 花波です、元気?』
「おかげさまで。花波さんもお元気そうで」
花波さんの名前を出した瞬間、美園が座ったままでピクリと反応し、ちょっと機嫌の悪そうな顔になった。「お姉ちゃんと連絡取り合ってたんですね」といじけたように言うので、違うと首を振ってから美園の頭を撫でた。「誤魔化されませんよ」と言った彼女はしかし、心地よさそうに目を細めた。
『まあね。ところで今美園と一緒?』
「はい、そうですけど。代わりますか?」
『牧村君に用があった訳だしそれはいいよ。後で聞かせてあげて』
「はあ。僕に用って何ですか?」
『いきなりだけど明後日ウチ来ない? もちろん美園と一緒にね』
「はい?」
『お父さんとお母さんが牧村君に会いたいって』
いきなりの展開に頭が付いて行かない。美園も混乱している僕を見て首を傾げている。
花波さんが言うには、美園の妹さん、乃々香さんが食卓で姉に彼氏がいるとポロっとこぼしてしまったらしく、ご両親に「それなら呼んだらどうだ」と言われてしまったそうだ。
「ええと、バイトも無いんでやぶさかではないんですけど、付き合ってまだ1週間でご挨拶って早くないですか?」
適切な期間はわからないが、1週間ではないはずだ。
挨拶という言葉を聞いて察したのか、美園も驚いている。
『それねー。ウチの両親さ、美園と牧村君が夏休み前から付き合ってると思ってたみたいだから。勘違いだってわかっても、呼ぶって言った手前引っ込みつかないみたい』
「なんでそうなったかはわかんないんですけど。僕一人でどうこう言える事じゃないんで、美園と相談して折り返します」
『いい返事待ってるよー。じゃあね』
「はい。失礼します」
電話を切ると、美園が申し訳なさそうに僕を見上げていた。
「挨拶って、もしかして私の両親に、でしょうか?」
「うん。明後日どうか、だって」
そう答えて、美園の正面で、彼女と同じように正座の姿勢をとった。
「さっきの話じゃありませんけど、無理しないでくださいね。私から両親に話しますから」
「いや。美園が嫌でなければ、挨拶させてほしい」
不安げな美園の目を見てから、少し頭を下げた。
「でも……」
「まあ打算的な話をするとさ、呼んでもらったのに行かないのって印象悪いだろ?」
そう言って笑って見せても、美園の顔は渋い。「急に呼ぶ方が悪いんです」と口を尖らせる彼女は、僕に無理強いさせたようで後ろめたいのかもしれない。
正直言うと、恋人のご両親に挨拶などというイベントは出来れば勘弁願いたい。それがたとえ大好きな美園のご両親だとしてもだ。しかし――
「いつかは挨拶しなきゃいけないんだから。早い内にしておくのも悪くないかなと思う」
「それって……」
照れ隠しで視線を逸らしてそう言うと、意図が伝わったのか、美園は顔を赤くして俯いた。
「付き合って1週間でこんな事言うのもアレなんだけど――」
頬を掻きながら言葉を続けていると、距離を詰めて来た美園に抱き着かれ、そのままの勢いでベッドにもたれかかった。
「嬉しいです。私の両親に、会ってもらえますか?」
「うん。挨拶させてほしい」
丁度胸で抱きとめる格好になった美園の背に左手を回し、右手で頭を優しく撫でた。
◇
花波さんへの連絡は美園がしてくれると言って聞かなかった。長くなるかもしれないからと美園が言うので、彼女と別れの挨拶を済ませて部屋を辞した。詳しい時間などは後で連絡を貰う事になっている。
正直美園が僕のどこを好きになってくれたか、という悩みは依然残ったままだ。しかし、今はそれより大きな問題が目の前に現れてしまった。
挨拶させてほしいというのは偽らざる本心だが、出来れば避けたかったのも矛盾するが本心だ。美園と一緒にいると何でも大丈夫な気になるが、一人になると途端にこれだと、苦笑しながらスマホを取り出した。
「この時間なら出てくれるだろ」
人通りの無い夜道で独り言を言いながら、電話帳を呼び出して電話をかける。
『もしもし。珍しいな、智貴。こっちにかけて来るなんて』
「うん。ちょっと相談があって」
『母さんには聞かれたくない話か?』
「まあ……あんまり」
かけたのは父さんの個人携帯。用がある時は大体実家にかけるので、この番号にかけるのは確かに珍しい。
母さんに知られたくない訳では無いが、大袈裟に反応する母さんが目に浮かんでしまい、何となく避けてしまった。
『そうか……いくら必要なんだ?』
「は?」
神妙な声の父さんの意図が一瞬分らず、変な声が出た。
「違うから。彼女が出来て、ご両親に挨拶に行くんだよ」
『そういう事か……いつだ?』
「明後日」
『すぐだな。わかった、その日なら一緒に行ける。流石に詫びの場がお前一人ではな』
「一緒に? 詫び?」
『相手のお嬢さんは何ヶ月だ?』
「ちげーよ! 妊娠させた訳じゃないからな」
とんでもない勘違いだ。あんたの息子はまだそういう事してないからな。
『それじゃあ母さんに知られたくない相談っていうのは何なんだ?』
「いや、普通に挨拶の時どんな感じで行けばいいかとか、お土産何がいいかとか、そういうのだよ」
『様子が深刻だったから何かと思えば、なんだそんな事か』
「そんな事ってなんだよ。一大事だぞ」
聞こえよがしに大きなため息を吐いた父さんは、『時代も変わってるし、そういうのも勉強だ』とだけ言うと、最後に一つだけと付け加えた。
『普段通りでとは言わないが、極端に自分を良く見せようと思うな。相手の子が気に入ってくれたお前を見せればいい。それじゃあな』
「……ありがとう」
通話の終わったスマホを見ると、無意識に「それがわかればな」と口からこぼしていた。
しかし、何はともあれもう猶予は無い。気合を入れる為に頬を叩き空を見上げると、新月前日の月が頼りなく光っていた。




