66話 三面の敵と隣の恋人
「遅い」
「遅いですね」
「遅いっすね」
前と左右の三方向から同じ言葉で責められる。おかしいな、ここは僕の本拠地のはずなんだが、完全にアウェーの空気が醸し出されている。
弁当屋のオードブルセットをおかずに――米だけは炊いた――夕食を済ませ、美園が片付けに席を立った瞬間、三人からの攻撃が始まった。
テーブルのベッド側に僕、その向かいのデスク側に香、左の窓側に志保、右のキッチン側に雄一が陣取っている。
実務の後で香に呼び止められ、そこに志保と雄一が加わってこうなっている。全員が敵である。因みに味方になりそうな奴らは、全員予定があって連れて来られなかった。
「遅いって何がだよ」
「付き合うのが」「告白が」「告るのっす」
言葉は違うが、全員言いたい事は同じらしい。
美園が席を立つのを待っていたらしいが、1Kの部屋ではキッチンにいる彼女に丸聞こえで、美園はちらちらと僕の方を見ている。「気にするな」と目で合図すると、伝わったかはわからないが、眉尻を下げて笑ったのが見えた。
「そうやって人前でイチャつくんだから、さっさと付き合えば良かったのにって言ってるの」
「言ってます」
「言ってるっす」
「イチャついてない。あと喋るの一人でいいだろ」
三人揃ってため息、「はいはい」と言われているようで悔しい。
「実際告るの3ヶ月は遅いでしょ」
「そんなにか?」
「3ヶ月かはわかんないっすけど、6月に担当会やった時にはもう付き合ってるかと思ったっすよ」
呆れ気味にそう言う香と雄一の言葉に、そこまでバレバレだったかと驚いた。美園の話では、香は美園から僕への好意に気付いてそれを尋ねたらしいが、僕の側の好意にもあっさりと気付いていたようだ。雄一も直接聞きこそしなかったが、割と早い時期に確信を持っていたという事がわかる。
そこでもしやと思い志保を見ると、否定の意を示しているのか、目の前で軽く手を振っていた。
「私は担当違うんで。二人一緒のところをあんま見てなくて確信は無かったですけどね。それでもまあ好意があるのはわかってましたよ。確信したのは花火大会の時ですね」
「え?花火行ったんすか?そこは告るとこでしょ。何を1ヶ月ももたついてんすか」
志保の言葉を受けて、呆れ気味から呆れに変わった雄一は天井を仰ぎ見た。香の方も「うわまじかコイツ」と言わんばかりの視線を僕に向けている。
「いや、だってさあ……」
「あのっ」
反論を試みようとしたタイミングで、キッチンの美園から声がかかった。全員がそちらに視線をやるが、三人とも向ける視線の質が僕の時とまるで違う。
「おつまみ、簡単ですけど作りましたから、そろそろ……」
唯一の味方がそこにいた。
◇
美園があり合わせの材料で作ってくれたのは、だし巻き玉子と塩ドレッシングのサラダ。「お口に合うかはわかりませんが」と謙遜していたが、そんな事をいう奴がいれば追い出してやるつもりでいた。もちろん無用な心配だったが。
「美味しい」
玉子を食べてそう言った香に、横で雄一がうんうんと頷いている。反対側の志保は何故か自慢げな表情をしている。
僕の左隣座った美園はそんな様子を見てほっとした表情を浮かべている。
「で、さっきの続きだけど」
そのままビールを呷った香が先程の話を蒸し返した。終わったと思ったのに。
「いつくっつくのかなって思って見てたけど、一向にそんな気配見せなくてさあ、割と我慢の限界来てたかも」
「そうっすよ。車の中とか、俺すっごい気まずかったんすからね」
「車の中?」
今考えると、あの時雄一が言っていた「香さんに相談」は恐らくこの事だったのだろう。僕に言えない訳であると安心したが、その事情を知らない志保は首を傾げた。美園も不思議そうに僕を見ている。
「合宿の時の行きの車で――」
「その話は止めよう。僕だけの話じゃ済まないし」
「あー、確かにそうっすね。無しで」
志保は「えー」と不満げな様子を見せているが、あれは相当に情けないエピソードなので、同乗者達を巻き込まなかったとしても言いたくない。
ふと、僅かに服に重みを感じたので見てみると、少し不安そうな顔をした美園が僕のシャツをつまんでいた。「大丈夫」と小声で言って頷いて見せると、彼女は自分の状態に気付いたのか、ハッとして指を離し恥ずかしそうに俯いた。
そんな様子が可愛くて今すぐ頭を撫でたい。こいつら早く帰んないかなと3割ほど本気で思う。
「理由があるとすぐイチャつきますね、この人達」
「ね」
そんな僕達を、三人は呆れながら見てきた。
「で、結局どうしたいんだよ」
そんな三人にこれ見よがしにため息を吐いて見せ、今日の目的を尋ねると全員が大真面目な顔で答えた。
「やきもきさせられたから仕返しでからかいたい」
「「同じく」っす」
「帰れ」
こちらも大真面目に玄関を指差すと、志保が「まあまあ」と軽い調子で宥めてきた。
「帰らせてからイチャつく気でしょ?」
「ああー、それかー」
「そんな事するか!」
「えっ?」
「「「「え」」」」
四人の視線が一ヶ所に集まる。その場所は僕の左隣。その様子で本人もそれが大失言だった事に気付いて、顔を真っ赤にしている。
「何と言うか、ごちそう様?」
「ですかね」
「お粗末様だよ」
気まずい空気の中、何も言えない美園の代わりに、内心の喜びを隠した僕はヤケクソ気味にそう返した。
◇
「そろそろ帰ろうか。二人の時間を邪魔しちゃ悪いし」
あれから1時間と少し、美園の失言のおかげで追及のペースは相当緩くなり、何となくゆっくりとした空気が流れていた中、時計を見た香がそう言い出した。
「そうですね。私も家まで帰るんで、そろそろいい時間です」
「馬に蹴られたくないっすからね」
今度乗馬サークルに馬貸してもらおうか。
「それじゃあ美園、またね」
「またねー」
「お疲れ」
二人の時間だの恋路だの言われて照れていた美園だが、いつの間にかきっちりと佇まいを正していた。しかし僕への挨拶が無い。
「はい、おやすみなさい。色々と相談に乗って頂いたり、気を遣って頂いたり、ありがとうございました」
そう言って、背筋を伸ばして腰を折った美園はとても綺麗で、玄関で三人を見送りながら「お気を付けて」と笑顔を見せた。
「マッキーは下まで見送りに来て」
「……了解。じゃあ美園、ちょっと行ってくるから鍵締めといて」
「あ、はい。わかりました」
香が何でもないようにそう言ったので、僕の方もさり気なく美園に戸締りを頼むと、彼女は少し首を傾げながらも承知してくれた。
「それで、本題は何だ?」
「せっかちな男は嫌われますよ」
「ほっとけ」
アパートの階段を下りたところで香に尋ねると、志保が軽口を叩いた。
「美園がどう思ってたかは私達からは言わないけどさ、大切にしてあげてよ。私にとっても大事な後輩なんだからね」
「ああ」
真剣な表情の香に、こちらも真剣に返すと、彼女は満足そうに頷いた。
「私の親友をよろしくお願いします」
「ああ、任せろ」
志保も初めてみるように真面目な顔で頭を下げてくれた。美園が大切に思われている事が伝わってきて、胸が温かくなる。
「文化祭前に気まずくなるのとか絶対嫌なんで、頼んますよ」
「わかったよ」
雄一だけは笑っていたが、口ぶりから本心で応援してくれている事がわかる。
「ありがとう」
三人それぞれの目を順番に見て、心からそう言って頭を下げた。
「じゃあ帰るから。思う存分イチャついて」
「僕の感謝を返せ」
◇
「おかえりなさい」
「ただいま」
「香さん達は――」
玄関を開けると、優しい微笑みを湛えた美園がすぐそこで出迎えてくれた。おかえりとただいまを済ませると、次の言葉を待たずに抱きしめた。衝動的だった。
「どうかしましたか?」
美園の顔は見えないが、きっと驚いたであろう彼女は、一拍置いて優しい声でそう尋ねて、僕の背中をさすった。
「美園は愛されてるなあって」
「どうでしょうか。ただ、周りの人達にはとっても恵まれたと思います。私の自慢の一つですよ」
誇らしげにそう言うと、美園は「でも」と言葉を続けた。
「牧村先輩が一番、私の事を愛してください」
「約束する。絶対に」
先程三人に言われた優しい言葉の一つが僕の心に影を落とした。
それを吹き飛ばしてしまうように、僕は強く約束の言葉を口にした。




