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63話 合鍵と留守番後輩

 彼女が出来た翌日、その彼女が朝から部屋に来ていた。

 元はと言えばぐだぐだになった昨日の別れ際、美園が「モーニングコールをしてもいいですか?」と上目遣いで尋ねてきたので、「是非」と頼んだ事が発端だった。

 11時からバイトだったので8時には起きると伝えておいたら、8時ジャストに「お、おはようございます」と緊張気味のモーニングコールを受けた。


「なんであんなに緊張してたんだ?」

「か……恋人に電話をするなんて、初めての事ですから」


 理由を聞いてみると、美園はそう言って恥ずかしそうに顔を逸らした。可愛かったので頭を撫でておいたら、もっと可愛い反応をしてくれて悶えた。

 その電話で今から尋ねてもいいかと聞かれ、バイトまでで良ければ来てほしいと伝えて今に至る。


「でも、朝ご飯をもう済ませているとは思いませんでした」

「ごめん。予定よりもちょっと早く目が醒めたから、軽くだけど済ませちゃった」


 実際に目が醒めたのは7時頃。眠りに就いたのは日が変わって1時前だったと思うので、睡眠不足という訳では無いが、予定より早い起床の理由は間違いなく彼女からのモーニングコールが楽しみだったからだろう。


「だからこれは家を出る前に食べる事にするよ。ありがとう」

「いえ、気にしないでください。元はと言えば私が勝手に作って来てしまっただけですから。食べてもらえるのならそれで充分ですよ」


 そう言って美園は微笑みながら、小さなバスケット――朝食用にと作ってくれたお弁当が入っている――を優しくテーブルの上に置いた。

 向かいに座る美園の笑顔は、今僕だけに向けられている。それがたまらなく嬉しい。


「あ、そうだ。これ、受け取ってほしい」


 少しの間見惚れていたのを隠すようにそう言って、僕はニコニコと笑う美園に用意していた物を渡す。


「鍵、ですか?」

「この部屋の鍵」

「えっと、いいんですか?」


 僕が手渡した鍵を両手で受け取り、美園はおずおずと尋ねてきた。とは言え、その目にはしっかりと期待の色が浮かんでいる。

 以前一度渡し、そして返してもらった鍵。好意を自覚する前だったが、あの時はきっと寂しかったのだと思う。


「うん、持っててほしい。僕がこの部屋から出る時には返してもらわないといけないけど」

「嬉しいです」


 両手で持った鍵を胸元で抱きながら、少し頬を染めた美園が静かにそう言った。


「いつでも来ていい、と言うか来たい時に来てほしい」

「いいんですか?本当にいつでも来ちゃいますよ?」

「うん」


 テーブルに少し身を乗り出しながらの美園に、少し苦笑しつつも頷くが、そこで美園は何かを思い出したのかしゅんとしてしまった。


「私も合鍵を、出来れば牧村先輩に持っていてほしいんですけど……」

「ああ、気にしなくていいよ。あそこじゃ合鍵も渡せないでしょ」


 美園の家は女子専用のオートロック付き物件だ。彼氏とは言えおいそれと合鍵を渡す訳にはいかないだろう。男の僕が入口のインターホンを使わず、合鍵でオートロックを解除するのを見た住人は、間違ってもいい気分にはならないはずだ。


「それになんかさ、彼女に合鍵持っててもらうって憧れるシチュエーションだけど、逆はそうでもないかなって気がする」

「なんですかそれ。って言いたいところですけど、ちょっとわかるかもしれません」


 しゅんとしていた美園が口元を抑えてくすりと笑った。


「確かに、か……恋人に合鍵を渡すよりも、預けてもらう方が嬉しいかもしれませんね」

「だろ?」


 にまにまと笑う美園に、ふと気付いた事がある。


「ところでもしかして、彼氏って言うの恥ずかしい?」

「……そんな事ありません」


 一瞬はっとしたような表情を見せた美園が、ぷいっと顔を逸らして口を尖らせる姿に、いたずら心が急激に成長していくのを感じる。彼女の顔が少し赤いのもそれを促した原因だろう。


「そうだよな。美園は僕の彼女で、僕は美園の彼氏だもんな。事実だし恥ずかしいって事は無いよな」

「そうです。ありません」


 美園の横顔は先程よりも赤くなっていたが、満足すると同時に自分にもダメージがあった。


「口に出すと意外と恥ずかしいな」


 半分以上照れ隠しで笑うと、目の前の彼女は恥ずかしそうにコクリと頷いた。



「じゃあ送ってくよ」


 お弁当を食べ終えて――期待通りとても美味かった――そろそろバイトに出る時間が近づいて来たので、道すがら美園を送って行こうと立ち上がりながら声を掛けた。座ったままの彼女に手を伸ばしたが、何故かその手を取ろうとしない。


「このままいたらダメですか?」


 横座りからの少し困ったような上目遣い。僕の返答は決まっている。


「いつでも来ていいって事は、いつでもいていいって意味ももちろん含むよ」

「それじゃあ!」


 ぱっと顔を輝かせた美園に頷いて見せると、彼女は嬉しそうに言葉を続けた。


「お見送りとお出迎えをしたかったんです」

「バイト終わりまでいるって事?それは嬉しいけど、20時過ぎだよ、帰って来るの」

「待っています」


 そう言った美園は、伸ばした僕の手を両手で握って、満面の笑みを向けてくれた。



 今日の店にはリーダーがいなかった。

 なので、僕の頬が弛んでいてもその原因を知る人はいない。「牧村君、何かいい事あった?」というような事は三人に聞かれた。「彼女出来たんですよ~」と言って、美園の可愛い写真を見せて回りたい気持ちが、全く無かったと言えば嘘になるが、流石にそんな度胸は無かったし、大事な美園を自慢材料にするのも少し違う気がした。

 その彼女が部屋で帰りを待っていてくれるのだから、自然と笑みがこぼれるのも仕方の無い事だと思う。お客さんの前では顔の筋肉に力を入れたし、仕事は真面目にこなしたので許してほしい。

 しかも夕食をはじめとした家事もやってくれるという。最初はそんな事――食事以外――をさせる訳にはと言ったのだが、「か、彼氏……さんの家のお掃除やお洗濯をしてみたかったんです」と恥ずかしがりながら言われては、「お願いします!」と言う以外に無かった。

 とは言え僕は基本的に家事を溜める事はしないし、所詮は7畳1Kのアパートなので、それだけでは時間が余るだろうと、PCを起動して必要なら使うように言ってある。

 こういう事になるのならば、もっと一人で時間を潰せる物を部屋に置いておくべきだったと思うが後の祭りだ。これから美園が来た時の為に、何か本でも買っておこうかとも思うが、今日一日はなんとかPCで動画配信サイトでも見て過ごしてほしいと思う。

 しかし、これから美園が僕の部屋で過ごす時間が増えていくのだとして、その為の物や彼女自身の私物が増えていくかもしれないという事は、とても幸せな事だと思えた。

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