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52話 生涯最長の6日間と久しぶりの後輩

 美園が実家からこちらに戻ってくるのは8月の第3火曜だと言う。実家へ帰るための出発時刻とこちらへの到着時刻がわからないので正確には誤差がある訳だが、美園がこちらにいない期間は15日。

 その内の9日はもう過ぎた。半分以上も過ぎたのだ。ただ、これからの期間は友人が皆帰省しているため一人で過ごさなければならない。


 残り6日の内バイトは4日で8時間ずつ――1時間の休憩込みで拘束9時間――入っている。睡眠、食事、風呂、家事で1日当たり長く見積もって12時間とすると、僕が一人で潰さなければならない時間は36時間。なんだかいけそうな気がしてきた。


 しかしそれは完全に気のせいだった。余りにも暇すぎて目を瞑って600秒を数える遊びをしていたが、目を開けてみると400秒しか経っていなくて愕然としたり、腕時計の秒針が20周するまでじっと見ていたが、20分しか経っていなくて腹を立てたりしていた。

 美園からのメッセージを支えに過ごしたこの6日間は、僕の人生で最も長い6日間だった事は疑いようがない。大学に入ったばかりの友達が一人もいなかった頃と比べても遥かに長い。


『こちらに着きました。またよろしくお願いしますね』


 昼過ぎに届いたメッセージは、いつものようにペンギンのスタンプ――今日は手を振っている――と一緒だった。


『お帰り。よかったら晩飯でもどうかな?』


 普段ならあまりガッついているように見せたくなくて即既読を付けないように注意するところだが、今回ばかりは10秒もかからずに既読を付けて30秒もかからずに返信を返した。

 ところが逆に既読こそすぐに付いたものの、美園からの返信は遅かった。


『すみません。姉と妹が来ていて、一緒に晩ご飯を食べる約束をしてしまいました。本当にすみません』

『了解。そういう事なら仕方ないから気にしないで』


 ペンギンの無いメッセージに涙を飲んでそう返し、長く息を吐きながらうつ伏せでベッドに倒れ込んだ。


「うべぇ」


 肺が圧迫されて変な声が出て咳込んでいると、またもスマホにメッセージが届いた。


『牧村先輩さえ良ければですけど、明日はどうでしょうか? お昼も夜も空いています』

『ごめん。明日は昼前から夜までバイトなんだ』


 美園がいない期間はあれだけ入りたかったバイトのシフトが、身勝手ながら今は恨めしい。

 しかし美園から代替案を出してもらえたのは嬉しい。今になって最初のメッセージを見直すと、自分が送ったとは思えない率直さで美園を誘っていた。ヒカれなくて良かったと思う。

 会えない時間が愛を云々とは言うが、恋人関係でもないのにそれがとてもよくわかる。



 金曜になれば文実の全体会がある。そこで会えるはず。美園がこちらに戻って来たおかげなのか、そう考えると不思議と時間の流れがいつも通りに思えた。

 これが無ければ一緒に食事に行けたのにと恨めしく思っていた今日のバイトにも、心穏やかに出勤できた。


 昼時を過ぎた店内は昼食時からの客こそ多いものの、ほとんどがゆっくりしているだけなのか注文は少ない。だからバックヤードの仕事でもしようかと思ったところにちょうど来客があった。

 この2週間、ずっと会いたかった女の子の来店。テーブルに案内されながらきょろきょろと視線を動かす美園は、僕に会いに来てくれたのだと、今日だけはそう自惚れてもいいだろうか。


 バイト中ではあるが目が離せない。髪の長さが元に戻った美園は、こんなに可愛かっただろうか。ダークブラウンの髪は毛先だけ緩く巻かれているし、大きな瞳も、スラっと高い鼻も、夏だと言うのに日焼けの様子など一切無い白い肌も、記憶の中の彼女と変わらないはずなのに。

 僕が見惚れてずっと見ているので、必然僕を探してくれているであろう美園と目が合う。破顔してペコリと会釈をしてくれた彼女に慌てて僕も会釈を返し、僕はバックヤードに逃げ込んだ。顔の筋肉が言う事を聞いてくれない。


「仕事中に気持ち悪い顔しないでよ」


 はぁとため息を吐いたリーダーは、バックヤードから顔を覗かせて店内に視線をやっている。


「因みに聞くけど。あの子が例の美園ちゃん?」

「はい」

「めっちゃ可愛くない? 紹介してよ。私が付き合いたい」

「ふざけんな」

「そう思うなら注文取りに行ってきなよ」


 パンっと背中叩いたリーダーに「ありがとうございます」と頭を下げて店内に戻ると、ちょうど美園はメニューを開いていた。

 テーブルの近くには美園から注文を取りたいのか、同僚がウロウロしていた。お前にそれはさせない。

 知り合いのアドバンテージで呼び出しボタンが押される前に声を掛けてやろうと美園のテーブルに近付くと、ちょうど顔を上げた彼女と目が合った。


「牧村先輩」


 ニコリと笑うその表情と僕を呼ぶ声に弛みそうになる顔の筋肉に、舌を噛んで無理矢理言う事を聞かせる。


「いらっしゃい。美園」


 呼びかけると嬉しそうに笑った美園が、少し照れたように口を開いた。


「来ちゃいました」


 その様子にまた舌を噛まざるを得ない。


「と、とりあえず近くにいるから、注文決まったら呼んで」

「いえ、もう決めましたから」


 そう言った美園が「これにします」と指差したメニューを覗き込み、ハンディ端末に入力する。


「やっぱり苺好きなんだな」

「はいっ」


 美園が選んだのは苺を含めたベリー類の乗ったパンケーキ。らしいなぁと微笑ましい気持ちになる。


「牧村先輩が持って来てくれますか?」

「ああ」


 本来なら断言は出来ないが、迷わず返事をした。


「待っていますね」


 知り合いだからと念を押して、出来上がったら絶対に呼んでもらおうと決めた。この笑顔に嘘をつく訳にはいかない。


「今日は何時までお仕事なんですか? 夜までというお話でしたけど」

「20時までだよ」


 約束通りパンケーキを運び伝票を卓上に置いたところで、美園から声を掛けられた。

 僕の返答に少しだけ思案するような表情を見せた美園は「わかりました」とだけ呟いた。

 非常に名残惜しいがこうなってしまえばもう長居は出来ない。仕事がそれほど忙しくないとは言え最低限の公私の別はつけなければならないし、美園にそれが出来ない男だと思われるのは絶対に嫌だった。


「それじゃあ、ゆっくりしていって」

「はい。ありがとうございます」


 軽く一礼して美園のテーブルを辞した僕は、その後はホールとバックヤードを行ったり来たりして仕事をしていった。

 その最中、よく美園と目が合った。僕がちらちら見ているのに気付かれてしまい少し恥ずかしいが、それでも視線を向ける事を止められなかった。

 正確な時間はわからないが、15時の時点では美園は店内からいなくなっていた。見送りが出来なかった事が残念だが、顔を見られて話も出来た。次に会うまでの活力としては十分だ。



 次に会う金曜まで頑張れる。そう思っていたのだが、次はすぐにやって来た。


「美園?」


 着替えを終えて店を出た20時10分、店の前に見えた人物は、僕が絶対に見間違えないと言える女の子だった。


「美園」


 慌てて駆け寄り声を掛けると、美園はパッと顔を輝かせて僕を見た。


「あ、牧村先輩」

「まさか待っててくれた?」

「いえ。今日は流石に一度帰りましたよ」


 心配になって尋ねてみたが、美園は苦笑しながらそれを否定してくれた。ひとまず安心したが、別の心配が首をもたげてくる。


「じゃあ暗い中ここまで来たのか? 用があったなら呼んでくれれば帰りに寄って行ったのに」


 ルートとしては少しだけ遠回りになるが、方向的にはバイト先から僕の家の間に美園の家がある。日の入りから1時間以上経った道を一人で歩かせるなんて事はしたくなかった。


「思い立ったらつい来ちゃいました」


 少し困ったようにえへへと笑う美園が可愛くて、嬉しくて何も言えなくなってしまった。

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