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42話 姉からの電話と勘違い後輩

予約投稿しようと思っていたのにミスりましたので、今回は夜のアップはありません。

 定期試験まであと10日、花火大会まで15日となった7月半ばの金曜日、今日も僕は美園の部屋にお邪魔している。

 7月に入って文実の活動が無くなり、学年も学科も違う美園と会える時間はここしか――稀に大学構内で挨拶を交わす事はあるが――ない。貴重な時間な訳だが、勉強に集中していると過ぎる速度が速く、帰り道ではとても勿体無い事をした気分になる。


 贅沢なのはわかっている。最初は単純に、一緒にいられる時間が増えるだけで嬉しかった。それなのに今は、出来もしないそれ以上を望んでしまっている。

 自分はこんなにも欲深い人間だっただろうかと、内心驚いていると窓の外から小さく雨音が聞こえた。

 美園は集中していてその音に気付いていないようなので、邪魔をしないように静かに立ち上がり、少しだけカーテンをめくって外を見ると、部屋の防音性能の影響か、想像よりも大きな雨粒が地面を叩いていた。


「雨降るとは思って無かったな」

「予報では雨が降るとは言っていませんでしたから、通り雨だと思いますよ」


 独り言に対して反応があり慌てて振り返ると、少し驚いたような美園がすぐ後ろに立っていた。


「あ、ごめん。驚かせたかな」

「いえ、私の方こそ。すみません」


 くすりと笑った美園は「紅茶をご用意しますね」とダイニングへと向かって行った。

 そんな彼女の後姿を見送って、スマホで天気を確認すると、周辺には小さな雨雲が表示されていた。このくらいなら後1時間程で止んでくれるだろう。



「多分止むと思うけど、もし止まなかったら傘貸してもらえるかな? 明日には返しに来るから」


 出してもらったマドレーヌをつまみながら念の為にお願いをしておくと、目の前の美園は可愛らしく首を傾げた。


「泊っていけばいいじゃないですか」


 それこそ「紅茶飲みますか?」くらいの軽い提案かのように、美園はあっさりとしている。

 あまりに何でもないような様子に、これは僕の聞き間違いではないかとすら思う。


「傘貸してもらえるかな? 何なら家に戻ってすぐ返しに来るから」


 そうでなくともお互いの認識に何らかの齟齬があるのかもしれないと思い、もう一度繰り返すと美園は拗ねたような顔を見せた。


「お泊りくらいは大した事じゃないんですよね? 私の部屋では嫌ですか?」

「それは泊める場合であって泊る場合は別!」


 以前僕が言った事を真に受けてしまったのか、美園の価値観が間違った方向に進みそうだったので、慌てて訂正をかけておく。

 付き合っている訳でなくても文実においては、男が女を部屋に泊めるというのは稀にある事だが、その逆はほとんど聞いた事が無い。


「そうなんですか?」

「そうだよ。男が泊める場合はたまにあるけど逆は無いよ」

「じゃあ。牧村先輩も、女性の家にお泊りした事は無いんですか?」

「……無いよ」


 恐る恐る、といった様子で尋ねた美園に一瞬返答を考えたが、結局正直に話した。


「今、目を逸らしました」

「ほんとに無いよ」


 湿った視線を向けて来る美園を正面から見て、苦笑しながら否定すると、彼女ふっと息を吐いた。僕が嘘を吐いていないとわかってホッとしたという様子だ。

 実際に嘘は吐いていない。女の子の部屋に泊まった経験など無いのだが、はっきりそれを言うと「僕は彼女がいた事がありません」と宣言しているようで、口にするのをためらってしまっただけだ。


「だから泊っていけば、なんて言っちゃダメだよ」


 ここに来て、ようやく自分が間違った価値観を植え付けられていた事に気付いた美園は、恥ずかしそうに顔を赤くして「はい」と小さく頷いた。その間違った価値観を植え付けた僕としては、申し訳ないとおもいつつも、そんな彼女の様子が可愛くて仕方なかった。

 美園は何か言おうと口をぱくぱくとさせたが、結局黙ってしまった。

 その沈黙を破ったのは、僕ではなく美園のスマホが震える音だった。


「あ、お姉ちゃん」


 スマホを手に取って、画面を見た美園はそう呟いたが、中々電話に出ようとはしなかった。


「僕の事は気にしなくていいよ」


 そう伝えると、美園は「すみません」と言って立ち上がり、ダイニングの方へ向かって行った。


「もしもし。お姉ちゃん? うん」

「ごめんね。後で掛けなおすから今は――」

「え!? 誰もいないよ! 一人だよ!」


 最初は僕に気を遣っていたのか小声だった美園が、突然大きな声を出した。盗み見しているようで気が引けたので背を向けている僕でさえ、声だけで嘘だとわかるくらいに動揺している。


「違うの! お友達が来ていて、だから――」

「うぅ。そうなんだけど……だから切るね」

「え。それは……」

「お姉ちゃんのいじわる」

「ちょっと待ってて」


 段々とトーンダウンしていった美園の声が途切れてから、ゆっくりとした足音が背後から近づいて来た。


「牧村先輩」


 振り返ると、美園が嫌そうな顔をして立っていた。通話内容のせいなのかこんなに露骨な美園は初めて見たが、それは家族との距離の近さ故だろうと思う。


「どうかした?」


 通話口を抑えているので、まだ姉との通話は続いているはずだが、僕に何の用だろう。


「お姉ちゃんが、牧村先輩とお話したいって……」

「え」

「嫌ですよね? 断りますから」


 上手く話せるかという不安はあるが、決して嫌ではない。何より美園のご家族だ、向こうが話したいと言ってくれているのを断るのは気が引ける。


「いや。僕で良ければ出るよ」

「え……わかりました」


 うなだれた美園はスマホを耳に当て、姉に向けて今から僕に変わる旨を説明し――


「スピーカーにするからね。変な事言ったらすぐ切るから」


 と言って、スピーカーホンに切り替えて、手に持ったまま僕の隣に座った。

 今から美園の姉と話す事に加え、彼女との距離の近さがより心臓の鼓動を早くした。


『こんばんはー。牧村君でいいんだよね? 美園の姉のカナミです』

「こんばんは。はい、牧村です。初めまして」


 聞こえて来た声自体は美園のものとよく似ている気もするが、喋り方の印象のせいか姉妹と言われても少しピンと来ない。穏やかに丁寧に話す美園と比べて、お姉さんの方はとてもフランクで陽気な印象を受ける。

 そんな僕の横で、左手でスマホを持ったままの美園が右手でノートに「花波」と漢字を書いてくれた。これでカナミと読むのだろう。


『そんな畏まらなくてもいいよ。私の方が1個上だけどさ』

「お姉さんは美園、さんから僕の事を聞いてるんですか?」

『花波でいいよ。あと美園の事も普段呼んでるみたいに、みーちゃんでいいからね』

「呼ばれてない!」


 顔を赤くして否定する美園に『ごめんごめん』と軽い感じで謝った花波さんは、先程の質問の答えを続けた。


『牧村君の事は美園からよく聞いてるよ。お世話になってる先輩だってね』

「どちらかと言うと僕の方が世話になってますよ」

『あはは、ありがとう。だからちょっとご挨拶しておきたくて』

「わざわざありがとうございます」

『ううん。末長いお付き合いになるかもしれ――』


 会話はそこで途切れた。通話終了ボタンの上で、美園の白い指の先だけが、少し赤みを帯びていた。


「美園、さん?」

「お勉強の続きをしましょうか」


 俯いて表情の見えない美園に恐る恐る声をかけると、彼女はぱっと顔を上げてニコリと笑った。ほんの少しだけ怖いと思ったのは口に出せない。


「花波さんはいいの?」

「いいんです」


 拗ねたように口を尖らせる美園が可愛らしい。

 本気で怒っていた訳では無さそうで安心したが、お姉さんとの遠慮のないやり取りを思い出して羨ましくなる。ああいう顔は僕にはまだ見せてくれないのだから。


「みーちゃん」


 少しだけ意地悪がしたくなって呟いた呼び名に、びくりと反応した美園は、赤らめた頬と潤んだ視線を僕に向けた。


「それ、ダメです」

「ごめん。つい」


 笑いながら謝ると、美園はいじけたように「もう」と口にして、上目遣いで僕を見た。

 意地悪をしたというのに、返って来たのはご褒美だった。



 雨はいつの間にか止んでいて、結局傘を借りる事も無く家に帰った。

 傘を返しに来るという口実が使えなくなった、という事に帰り道で気付き、過ぎてしまった通り雨を恨めしく思った。

通話内容


「もしもし。お姉ちゃん?うん」

『美園ー。今ちょっといい?夏休みの話なんだけど――』

「ごめんね。後で掛けなおすから今は――」

『ん?お出かけ中?誰かと一緒?』

「え!?誰もいないよ!一人だよ!」

『一緒なんだ。もしかして牧村君?』

「違うの!お友達が来ていて、だから――」

『牧村君なんだ』

「うぅ。そうなんだけど……だから切るね」

『話してみたかったし丁度いいや。ちょっと代わってよ』

「え。それは……」

『メイクとか教えてあげたのになー。それが終わればお姉ちゃんは用済みかー』

「お姉ちゃんのいじわる」

『代わってくれる?』

「ちょっと待ってて」

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