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32話 ヘタレ先輩と初めてのお誘い

 先週の土曜に花火大会の話を知って、美園を誘いたいと思ってから週が明けて1日経った今日まで、僕は結局何のアクションも起こせずにいた。そもそも会えてすらいない。


 夏休み前の文実の集まりは今日を含めて三回しかない。しかも内一回は土曜の前期お疲れ様会、つまりは飲み会なので美園と絡みに行けるかは怪しい。呼び出せば別だがこのままだと直接誘うチャンスは今日か金曜の全体会後しかない。

 だと言うのに、アクションを起こせないどころかどうやって誘うかもまるで考え付かなかった。いや、正確に言えばストレートな言葉くらいは思いついている。


「美園、一緒に花火大会に行かないか?」程度で良ければ僕にだって言える、かどうかはともかくとして思い付いてはいる。そう言ったとして「すみません」とバッサリ斬られるのであればいい。良くは無いが、まだマシだ。

 だが「ええと……あの……」などと、断りたいのに断れないというような雰囲気を出されたら最悪だ。あの子にそんな思いをさせるのは耐えられない。


 なので、『美園が断りやすく』尚且つ『断られない』事を前提として『僕が切り出しやすい』文句を考えている。トンチが効き過ぎていて頭が痛くなる。

 少し早く着いた全体会の会場で頭を悩ませていると、後ろから「マッキーさん」と声を掛けられた。振り返るといつも能天気な雄一が、少し深刻そうな顔でこちらを見ている。


「分子生物学の勉強見てもらってもいいっすか?」

「試験対策か? 分子生物学ならいいけど」


 分子生物学は生物学科一年次における必修専門科目の一つで、その単位を取らなければ他でどれだけ優秀な成績を修めても卒業が出来ない。仮に今年落としても、来年以降に単位取得は可能だが、そうなると二年次における履修に影響が出て来る。


「あざっす。三回休んでるんで、試験で点取らないとヤバいんすよ」

「お前、もう後が無いじゃないか」

「木曜の朝は眠いんすよ。それに木曜ってついつい休みたくなるじゃないすか」


 大学の授業は前期後期制で、それぞれ十五回の授業と一回の試験で構成されている。その内授業を四回休むと――レポートで許してくれる優しい教員もいるらしいが――落第となる。雄一はあと1ヵ月を残している段階で既に後が無いし、試験で点を取らなければ総合評価も厳しくなるだろう。


「金曜が三コマまでだから、全体会までの間でいいか? それで厳しそうならまた時間取るから」

「ほんっと助かります」

「これくらいなら気にするな。あと絶対もう休むなよ」

「はい!」


 右手で敬礼のポーズを取った雄一が、深刻そうな表情を忘れて元気よく返事をした。



 文実の中でも部によって忙しい時期は変わって来る。夏休み前に一番忙しいのは、間違いなく広報宣伝部だ。文化祭のロゴデザイン、ポスターやパンフレット作製の為の諸々の作業を、後期が始まる10月の頭までには形にしなければならないので、前期の内にやっておかなければならない事が多い。

 対して僕の所属する出展企画部は、出展希望団体の受付が始まってからが忙しい。つまり前期の段階でやれる事は少ない――去年の資料を流用できる箇所も多く、一年生にその辺の事を教える程度――ので、部会や担当会も早く終わる。


「じゃあマッキーさん、金曜お願いしますよ。委員会室ですよね?」

「ああ。くれぐれも木曜は寝坊するなよ」

「わかってますって。それじゃあお疲れ様っした」


 短い担当会の後、雄一は勉強を見るという話に念を押して帰って行った。


「雄一となんか約束したの?」

「勉強見る事になってる」


 尋ねて来た香は「あー」と納得してくれたようだ。学科が同じという分かりやすい接点があるおかげだろう。


「じゃあ美園、帰ろうか」


 荷物を持って立ち上がった僕に、美園からの「はい」の返事が来ない。不安になって視線をやると、彼女は驚いた様子でその可愛い顔を硬直させて僕を見ていた。何故か横に座る香までいつもより目を開いて僕を見ている。


「二人ともどうした?」

「え、マッキー本物?」

「偽物がいるのか? 僕に?」

「だって……まあいいや」


 呆れ気味の香が目で僕の視線を美園の方に誘導したが、美園は自分の頬を抑えている。なんと言うか、ニマニマしてしまう顔を必死で抑えようとしているといった印象だ。僕の何がそんなにおかしかったのか。


「あ、すみませんでした。はい、一緒に帰りましょう」


 文句を言いたい気持ちもあったが、その笑顔に吹き飛ばされる。


「香さん、お先に失礼しますね。おやすみなさい」


 美園が香に挨拶をすると、香は何やら微笑ましい物でも見るかのような視線を送って美園の頭を撫でた。羨ましい、代わってくれ。



「さっきのは結局何だったんだ?」


 帰り道、ずっと上機嫌な美園に尋ねてみると、笑顔のままで眉尻を少しだけ下げて「う~ん」と可愛くうなり始めた。その様子から判断すると、先程の驚きは恐らく不快な物では無いだろうとわかって一安心した。


「実はですね。牧村先輩からこうやってお誘いをいただいたのは、初めてなんです」

「いやいや。そんな訳……」


 ある。満面の笑みでそう言う美園に対してまさかと思い返してみるが、自分から明確に誘った事は無いような気がする。何より自分の性格を考えれば誘った事が無いという言葉の説得力が段違いになる。


「だからびっくりしました」


 ふふっと笑った美園はそこで僕から視線を逸らした。


「でも、嬉しかったですよ」


 少し照れくさそうな笑顔で付け加えられたその言葉が僕の心臓の鼓動を早くした。

 花火大会に誘うなら今しかないのではないか。少なくとも一緒に帰ろうと誘われて嬉しかったと言ってくれている。


「じゃあ――」


 口を開くと美園の視線が僕に戻って来た。そのつぶらな瞳を向けられ、もしもそこに嫌悪の色が浮かんだらと想像してしまい、言いたかった二の句が継げない。


「これからも誘っていいかな?」

「はい。お待ちしていますね」


 ニコリと笑って少し首を傾けた美園の髪が揺れる。

 どれだけヘタレだ僕は。今までは他人から言われてもあまり気にしなかったが、美園への好意に気付いてからは自分でも嫌という程わかる。


「夜でも熱くなってきたな。風が吹いて丁度いいくらいだよ」


 夏の夜風に乗せて、内心を誤魔化すかのように口を開いた。


「もうすぐ7月ですからね」


 揺れる髪を抑えて呟いた美園が、どこか少し寂しそうに見える。


「実行委員の活動も、夏休み前は次で終わりですね」

「ああ、寂しくなるな」


 そう。花火大会を抜きにして考えても、美園と過ごせる時間はこれから格段に減る。文実の活動はお盆明けから再開されるので、週末の飲み会が終われば2ヶ月近く美園には会えなくなる。もちろん大学構内ですれ違う事くらいはあるだろうが、その程度だ。

 美園の帰省の状況によっては、会えない期間は更に延びる。気軽に声をかけて遊びに行ける同学年の友人達とは違う。寂しくなる、というのは偽らざる本音だ。


「そうですね。寂しく、なりますね」


 上目遣いの美園に、言いたい事はいくらでもあったのに、僕は何も言えなかった。

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