2020年11月22日
温泉回の途中ですが日付的に今日しかないので。
旅行編は申し訳ありませんが一話飛ばして読んでください。
※作者が話数入れ替え機能があると思い込んでいた為
ホテルを出て北へ。時間に余裕があったので歩きたいと美園から言われ、学生時代を過ごした懐かしい街の中、手を繋いで歩く。行き先こそ違うが、二人の初デートで通った道を。
街並みは記憶の中とあまり変わらない。それでも二人とも社会に出ている今、学生の頃の思い出は少し遠く感じる。隣にいる美園も社会人1年目、髪を伸ばした事もあるがやはり学生の頃よりも少し大人びて見える。この上なく可愛らしい顔立ちは変わっていないのに、不思議だなと思う。
「ちょっと緊張してきた」
「気が早いですよ」
美園が僕を見上げて目を細め、口元を押さえて可愛らしくくすりと笑い、ダークブラウンの髪がほんの少し揺れた。
「緊張もするって。やっとなんだし」
「そうですね、これを出せばやっとです」
美園は肩から下げた白いバッグにそっと触れ、優しい微笑みを浮かべた。あの中には彼女の私物の他にも、大切な物が入っている。その中でも一番大切な物は、誰でも手に入れる事の出来る一枚の紙切れ。婚姻届と名前の付いた、僕たちの関係を変える紙。
「うん」
頷くと、顔を綻ばせた美園が「はい」と普段より少し大きく頷いた。
繋いだ手とやわらかな笑顔からは、美園も僕と同じ気持ちなのだと分かる。
必要な書類を揃え、ただ一枚の紙に必要事項を記入し、それこそ何十回と不備が無いかを確認して迎えた今日。期待と緊張で胸がいっぱいにもなるというものだ。
◇
「不思議ですね」
「うん?」
区役所の敷地内、建物を振り返った美園が穏やかな表情を見せた。
「日曜だから仕方ありませんけど、本当にただ預かってもらっただけでしたから」
「まあ確かにね」
苦笑の美園に僕も頷く。
提出書類は次の平日になってようやく内容の確認をされ、今日の日付に遡って受理される為、ここに来るまでの期待と緊張に反して現段階では少し実感が沸きづらい。
「でも、今日から夫婦だ」
「はい。今日から私は智貴さんの妻です」
同じように区役所を見上げてから美園の腰に手を回して抱き寄せると、彼女は顔を綻ばせて僕を見上げそっと抱き着いた。
「今日から私は牧村美園です」
「……改めて言われると、なんか恥ずかしいな」
僕の妻だと誇らしげに笑い、少しだけ頬を染めた美園は新しい名前を口にする。
「照れないでください」
伝染したのか、可愛らしい顔の色付きをほんの少しだけ濃くした美園が口を尖らせ、ぎゅっと僕を抱く力を強め、胸元に顔を埋めた。
「ごめんごめん」
そんな美園の髪をそっと撫でると、「もう少し」と優しい笑みが返ってきた。
「うん」
「幸せです」
休日の朝という事もあり役所の敷地にはまだ人影は見えず、それをいい事にしばらく抱擁を続けていると、美園が少し力を緩めた。
「本当に幸せだよ」
僕の妻だと、牧村美園だと名乗った彼女。見慣れた笑顔が違って見えたのは、きっと実感が沸いたから。今日から僕たちは夫婦になった、それを強く自覚したから。
ずっとそうなりたいと思っていた関係に、やっと進んだ。
「美園」
「はい。智貴さん」
今年の春、美園が就職をしてからは同じ部屋で暮らしている。結婚式の準備や挨拶などはあるが、二人の生活がこれから劇的に変わる訳ではないのだと思う。今までもこれからも、愛し合う事に変わりは無い。
だがそれでも、今日が二人の門出な事も間違いない。
「改めてだけど、これからも一生、よろしく」
正式なプロポーズ以前も以後も、似たような事は言ってきた。それに対して美園の返答はいつも同じ。そして今日も。
「はい。これからもずっと、よろしくお願いします」
ただやはり、表情は違って見える。喜びと期待に満ちた美園を一生大切にする。そう誓って彼女を強く抱きしめた。
Twitterでちょろっと書いたのですが、消極先輩と積極後輩の物語スタート時点では2016年です。
そしてエピローグが2020年11月22日設定で、今回のお話は智貴と美園がエピローグで大学に行く前の話になります。
せっかく今日(投稿時点)という事で書いてみました。