おもはゆさともどかしさ
美園が体を流す姿を見ているのも悪いなと思い頑張って視線を外すと、彼女が持って入って来た風呂桶が目に入った。中にはシャンプーやトリートメント、その他にもいくつかボトルやチューブなどが収められている。それらを見ると、一緒に風呂に入りたいと簡単には言えないなと思ってしまう。
一般的な女性と比べてどうかは分からないが、僕から見て美園は美容に相当気を遣っていると思う。スキンケアにせよヘアケアにせよ、入浴中に行う事は多いはずだ。
もちろん今回の件を美園自身も楽しみにしてくれていた事は分かっている。だがそれでも彼女に不便を強いた事は確かだろう。
「大丈夫ですよ」
「ん?」
「お待たせしました」
申し訳なさを感じていると頭の上から優しい声がかけられ視線を桶から戻すと、美園が浴槽の縁まで来ていた。
濡れてより体に張り付いたバスタオル、毛先だけほんの少し濡れた髪、湯を浴びてほんのりと色付いたなめらかな肌の上を伝う湯雫。初めて見る姿は煽情的で、気付けば完全に見入っていた。
「……あ、ごめん」
恥じらいに頬を染めながらほんの少し頬を膨らませる美園に謝罪を告げて視線を逸らすと、彼女がふふっと笑い「失礼しますね」と水面に僅かな波紋を起こし。それが徐々に大きくなっていく。
「恥ずかしいですけど、智貴さんが喜んでくれるなら、やっぱり私も嬉しいですから」
隣に収まり肩を触れ合わせた美園がはにかむ。
「そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど……」
もちろん美園の内面だけでなく外見も大変に好むところではある。当然今のような艶姿も見たいと思っている。だがそれを知られるのは少し格好悪いと思ってしまうのは彼氏としての小さなプライドだろうか。
まあ美園には以前からバレバレではあるのだ。だから今も、僕の内心の葛藤を知った上で彼女は嬉しそうに頬を緩めている。
「……ところで、大丈夫って何の話?」
「負担にはなっていませんよ、というお話です」
誤魔化しも兼ねて話を戻すと、美園は持って入って来た風呂桶に視線を移し優しく微笑んだ。
恐らく表情に出ていたのだろうが、それにしてもよく分かったものだと、感心と理解への嬉しさが心を満たす。
「一緒に入って一緒に上がるとなるとちょっと困っちゃいますけど、タイミングをずらすのであればケアの時間は取れますから」
「それなら良かったよ」
「ええ」
そう言って頷き、少しして美園は表情を変える。浮かべていた優しい笑みから、ほんの少しおずおずと横目で僕を窺うように。
そしてそれは僕の方も似たようなもの。するべき会話が終わり、次の話題を選べずにいる。もちろん話す事などいくらでもあるのだが、せっかく旅行に来て、せっかく美園と一緒に露天風呂に浸かっているのだからと考えると、どうしても範囲が狭くなる。
「お湯、熱くない?」
「はい。温泉ですから、このくらいがちょうどいいです。智貴さんはもっと熱い方がいいですか?」
「僕もこのくらいがちょうどいいかな」
「良かったです」
などと言う言葉を交わし、また少しの沈黙。そして二人同時に笑い、顔を見合わせた。
湯船につかって少し血色が良くなってはいるが、そこにあるのは普段と変わらない美園の愛らしい笑顔。
「美園」
「はい」
腕を伸ばして腰を抱き寄せると、穏やかな笑みを浮かべた美園がそっとまぶたを下ろす。
触れ合わせるだけのキスを落として顔を離すと、ぱちりと目を開いた美園が可愛らしいはにかみを見せ、もう一度と言わんばかりに瞳を閉じ、ほんの少し顎を上向かせた。
「うん」
次のキスはもう少し長く、僕の肩に重ねられた美園の手のひらに少し力が入り、そして抜けるまで。揺れる水面とは違う音を響かせる。
美園の唇からほんの少し荒い息が漏れ聞こえ、先程とは違いゆっくりとまぶたが上げられ、彼女は嬉しそうに笑って軽く首を傾げた。
「智貴さんは、お風呂の中でこういう事をしたかったんですね」
「まあ……そうかな?」
実際にどんな事がしたかったのかと言われるとあまり考えていなかったのだが、美園としたい事を問われればやはりこういう事も望んでいるに決まっている。
「他には、どうですか?」
「ハグとか?」
「はい……では、どうぞ」
胸元のバスタオルの結び目を気にした後、美園はニコリと笑って両腕をこちらへと伸ばす。さっきまであれだけ恥ずかしがっていたのに、だ。
もちろん恥じらいを失くしてしまった訳でない事はわかるが、美園はそれでも二人で楽しむことに重きを置いてくれている。だから「ありがとう」と告げ、腰を抱いていた左手で美園を更に引き寄せて両腕で抱きしめた。
肩から上は露出しているもののバスタオルが意外な守備力を見せたほか、湯船の熱さが美園の体温をかすませるので、抱擁の感覚としては着衣時の方がダイレクトに彼女を感じられたのだと思う。しかし逆に、美園が僕に這わせた手をしっかりと感じられる。背中に直接触れる彼女のしなやかな指は少しくすぐったく、羞恥故か少しだけ力が籠っていた。
そのまましばらく抱擁を交わしていると、不意に美園の腕から力が抜けた。このままもう一度キスだろうかと腕を緩めて体を少し離すと、予想通りと言うべきか彼女の顔が近付く。
何か企んでいるような可愛らしい小悪魔の笑みに、何をしてくれるのだろうと目を閉じたが、少し待っても美園のやわらかな唇がやって来ない。
「お仕置き、するって言いましたよね?」
「あ」
やわらかな感触がやって来たのは唇ではなく左の首筋。小さな音を立てて触れられると同時に、頬の辺りを何かがくすぐった。目を開いてみるとダークブラウンのシニヨンがすぐそこにあり、そしてかすかに揺れた。
お団子はもう一度僕の頬をくすぐり、また首にやわらかな感触。今度はただ触れるだけでなく、恐らく美園が唇で食んでいる。頬で感じたくすぐったさとは違う、もどかしさをはらんだこそばゆさを覚える。
「美園、くすぐったいよ」
「お仕置きですから」
首に触れたまま声を出すので、唇を伝わってまたもくすぐられ、僅かに体が震える。
美園はそんな僕の首からいったん離れてくすりと笑い、「それじゃあ、続けますね」と妖しく笑った。