恋人としたい事②
「そろそろ戻ろうか?」
夜の中庭をしばらく歩き、そう声をかけた。努めて平静を装いながらではあったが、きっと完全ではなかっただろう。
「はい」
美園は少し硬い表情ではあったが、僕の目をしっかりと見つめて頷いた。温かな色をした頬の理由は、照らしてくれる炎だけではないはずだ。
そしてそれは僕の方も同じ。昨日今日どころか、泊まる部屋を選んだ時から意識し続けながらも、それを表に出さずにきた。だがそれもそろそろ限界だ。
二人の部屋には客室露天風呂が付いている。
提案してくれたのは美園で、「このお部屋にしませんか?」と顔を真っ赤にしていた彼女を、僕は生涯忘れないだろう。つまりは、以前求めた事に対して美園が応えてくれた訳だ。その感動は羞恥を堪える彼女の可愛らしさも相まって、忘れる事の方がきっとずっと難しい。
美園は僕から視線を外さない。恐らく燃えるような恥ずかしさを覚えているだろう。潤んだ大きな瞳が揺らめく光を映し、吸い込まれるかと思うくらいにとても綺麗だ。
「行こう」
促すと美園はこくりと小さく頷く。そんな彼女の細い腰を抱くと、浴衣の裾がきゅっと摘ままれる。覚悟と言うと少し大げさかもしれないが、美園の意思表示だと受け取った。
だから僕自身、緊張と高揚が段々と増してきている意識はあったが、それでもゆっくりと、焦らず部屋までを歩いた。
その間で会話は無く、しかし美園はより一層僕へと体を寄せている。
「それじゃあ……僕が先に入ってるから」
腕と体を離しても、美園は僕の裾を摘まんだまま。声をかけると伏せていた視線が上げられ、その潤んだ上目遣いが高揚を煽る。
「はい。支度が出来たら、追いかけます」
「うん……待ってる」
「……はい」
◇
露天風呂は外から見えないように塀が立てられている。方角と時間的に残念ながら月は見えないが、建物と塀とで切り取られた夜空に見える星は大学付近よりも綺麗に思えた。今からこの空を二人で見るのだなと思うと感慨深い。
檜でこしらえられた浴槽に浸かりながら首を反らして空を見上げ、いつの間にか正座をしていた自分に気付く。
風呂に入るだけでこれ程緊張した事などあっただろうかと自問し、ある訳が無いと自答した。種類こそ違うが、先日参加したインターンすら比にならない。
流石に美園に告白をした時や初めて褥を共にした夜に比べればマシだという自覚はあるが、それでも早鐘を打つ心臓も、昂る気持ちも抑える方法を思いつけないままでいる。
僕は腰にタオルを巻いているし、美園だってきっと体を隠して入って来るはずだ。幾度となく肌を合わせている事を思えば別に大した事はないはずなのだが、彼女にとっては別種の羞恥が大きいようで、だからこそこうした機会を貰える事が嬉しくて、本当に堪らない。
顔のほてりは熱めの湯だけが原因でない事は明らかで、風呂桶に水をためて顔を突っ込んだ。物理的に顔は冷えるのだが、しかし頭の熱が引いてくれる気配はまるで無い。
「お待たせしました」
風呂桶から顔を上げると同時に、落ち着いた声が耳に届く。
いち早く振り返りたい気持ちを我慢してゆっくりと体を向けると、脱衣所との間の衝立から顔だけを覗かせた美園がいた。低めの位置でふんわりとしたシニヨンを作った髪型は調理の時などとは纏め方が違う、初めて見る姿だ。
顔に浮かんだはにかみや体を隠す恥じらいと相まって大変に可愛らしく、少し力が抜けるのを感じた。
「髪型似合ってるよ、可愛い」
「ありがとうございます」
えへへと嬉しそうに頬を緩めた美園がお団子部分にそっと触れる。
そんな美園は可愛らしいはにかみを浮かべたまま、しかし一向に衝立の向こうから出て来ない。
「早く入らないと冷えるよ」
姿を見せてほしいという欲求はもちろんあるが、万が一美園が体調を崩すようなことになったら後悔してもしきれない。本心が伝わったからなのか、美園は「うぅ」と一度伏せた視線を「分かりました」の声と共に上げる。
覚悟を決めた美園は行動が早い。現れた彼女の胸元から腿までを覆った大きなバスタオルはしっかりと巻かれているように見えるのだが、それでもやはり恥ずかしいのか手できっちりと押さえている。
「綺麗だよ、凄く」
ぴったりと肌を覆うバスタオルは、美園の華奢でありながらも女性的な曲線を主張する肢体を明確に教えてくれている。知っているはずなのに、それでも高揚が抑えられない。
そんな姿も、恥じらいで燃える可愛らしい表情も、つま先から頭のてっぺんまでの全てに目を奪われ、それ以外の言葉が出ない。先程抜けたと思った力がまた戻ってきてしまう。
「もう……でも、ありがとうございます」
尖らせていた口元をふっと緩め、はにかんだ美園が軽い会釈を見せ、ゆっくりと歩を進めた。